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夜の黄昏亭2

 休憩と食事を終えて、店内に戻った。

 自分の両頬を軽く。切り替えよう。今は仕事に集中しないと。

 鍋を振るう店長の背中に声をかける。

「店長、休憩あがりました」

「おう」

 店長がホールを顎でしゃくった。

「こっちもちょうど団体さんのご到着で満席だ。エマと上手く回してくれ」

「はい!」

 空いた皿を持ってカウンターに戻ってきたエマさんにも声をかける。

「エマさん、戻りました」

「うん。じゃあ、あそこのテーブルが注文待ちだからをお願いね」

「はい!」

 それからしばらくは、僕も注文を取ったり料理を運んだりと忙しく過ごした。

 ホールの仕事が少し落ち着いたころには、店内の盛り上がりも一段と大きくなっていた。

 あちこちで笑い声が響く。時には泣き声や怒鳴り声も聞こえる。

 仕事終わりにみんなが感じる解放感は、こっちの世界でも同じらしい。

 そんな中でも、ひと際うるさかったのが、僕が休憩中に来店した傭兵団の客たちだった。

 傭兵の数は5人。2人が人間、2人がオーク、もう1人がリザードボーン、全員、筋骨隆々の大男たち。

 揃いも揃って厳つい恰好をしていて、お世辞にも人相がいいとは言えない。

 言葉遣いもすごく乱暴で、仕事じゃなければテーブルに近づきたくなかった。

 傭兵たちは浴びるようにエールを飲み、野犬みたいに食事を平らげていく。

 そのうち、ひと際大きな笑い声が起こった。

 たぶん、きっかけは傭兵の誰かが騎士団の悪口を言ったことだったような気がする。

 傭兵たちの会話はさらに盛り上がった。騎士に対する罵詈雑言が飛び交う。

 何やら、よほど不満が溜まっていたらしい。

 騎士の連中は口うるさいだの、お高くとまっているだの、見た目の割りに大したことないだの、弱いだの泣き虫だの好き勝手いい放題だ。

 僕は思わず店内を見回してしまった。

 客の中に騎士団の人がいたら、絶対にヤバいことになる。店の中で喧嘩は勘弁してほしい。

 騎士団の鎧や制服を着た人は……見当たらない。

 というか、思い返してみれば、この店で働き始めてから客の中に騎士団の人を一度も見たことがない。

 もちろん騎士団の人たちの顔を全部知っているわけじゃないから、普段着で店に来ている騎士がいたとしても僕には分からないけど……少なくとも、騎士っぽいお客さんは見たことがないと思う。

 たまたまなのか、それとも何か理由があるのか……

 とにかく、ほっとした。

 とりあえず喧嘩が起こることはなさそう――

 ドンッ!

 いきなり、店の奥ですごく大きな音がした。何かをテーブルに叩きつける音だ。

 店内のおしゃべりがぴたりと止んだ。

 傭兵の人たちも黙った。

 みんなが音のしたほうを振り向いた。

 僕も目をやった。

 店の一番奥、暗がりの隅の席に女の人がひとりで座っていた。

 女の人は持っていた樽ジョッキをテーブルに置いて、ゆらりと立ち上がった。

 壁にかけられたランタンの灯りが女の人を照らした。

 背が高い。しなやかな体格。金髪に碧眼。耳が長い。エルフだ。

 服装はシャツにパンツ。シンプルだけど清潔感がある。

 彫刻みたいに整った顔立ちをしていた。初めて見る顔だった。

「聞き捨てならないな」

 ぽつりと一言。怒りに満ちた声音。

 エルフの女の人がゆっくりとホールの中央に向って歩き出す。傭兵団のテーブルの前で立ち止まった。

 傭兵たちを無言で見下ろす。

「なんだぁてめぇ」

 リザードボーンが立ち上がろうとした。

「待て」

 別の傭兵がそれを片手で止めた。こっちは人間だ。雰囲気から察するに、この人が傭兵団のリーダーっぽい。

「この女、第五騎士団のアレクシア・フィンチだ」

「ああ? 副団長になったばかりのか?」

「そうだ」

 別の傭兵の言葉に、リーダーが頷く。

 エルフの女の人の名前はアレクシア・フィンチと言うらしい。副団長っていうくらいだから、きっと強いんだろう。

 でも、ということは……やっぱり喧嘩が始まってしまうかもしれない……

 当然僕には止めることはできない。

 助けを求めて、カウンターの中にいる店長を見た。

 店長が僕を見て頷く。鍋を振っていた手を止めて、エプロンを脱いだ。

 リザードボーンがテーブルの脚を蹴った。

「副団長だぁ? だったら何だって言うんだよ」

「お前じゃ勝てん」

「んなの、やってみなきゃ分かんねえだろうが!」

 リザードボーンがリーダーの手を振り払って立ち上がった。アレクシアさんに詰め寄る。

 2人の身長はほとんど同じだけど、筋肉の厚みのせいで、リザードボーンのほうが倍くらい大きく見えた。

「騎士団の副団長様が何の用だ? 夜の稽古でもつけてくれんのかぁ?」

 アレクシアさんは何も答えなかった。

 代わりに左の掌をすっと突き出す。

 次の瞬間、アレクシアさんの左手が爆発するように輝いて――

 リザードボーンが変な声を出して崩れ落ちた。

 床にバシャリと赤い血が広がった。

 呪文だ。何の呪文なのかは分からない。でもアレクシアさんが呪文を使ったことだけは理解できた。

 リザードボーンはうつ伏せに崩れたまま痙攣してる。

「騎士への侮辱は万死に値する」

 アレクシアさんはそう言い捨てて、席に戻った。

 誰も口を開かなかった。

 僕はリザードボーンに駆け寄った。

「大丈夫ですか?」

 リザードボーンを仰向けにしようとした。だけど、重くてひっくり返せない。

 駆け寄ってきた店長が手伝ってくれた。

 仰向けになったリザードボーンを見て、僕は小さく悲鳴を上げてしまった。

 リザードボーンの胸にはクレーターみたいな大きな穴が空いていた。

 傷口から勢いよく血が溢れている。口からは血の泡を吐いている。

 こんなの絶対に助かりっこない。それくらい僕にでも分かる。

「が……あぁ……」

 リザードボーンが何かしゃべろうとしていた。

 僕は訳も分からず咄嗟にリザードボーンの口元に耳を近づけた。

「マジで……ついてねえ……なに、が……てんせいだ……トカゲやろうなんかに、しやがって……あのくそじじい……」

「え……?」

 僕は思わずリザードボーンの眼を覗き込んだ。

 爬虫類のような瞳から光が消えていく。

 リザードボーンの頭がごとりと床に落ちた。

 死んだ……

 いや、そんなことよりも……

 てんせい……

 転生……?

 まさかこのリザードボーンの人、僕と同じ転生者だったのか……?

 いや、だとしても確かめる方法が、ない……

「おい、小僧」

 頭上から声をかけられた。

 びくりとした。

 傭兵のリーダーを見た。

「ドレイクのやつ、死んだのか?」

 恐る恐る頷く。

「そうか」

 リーダーが立ち上がった。

 アレクシアさんのテーブルに歩み寄る。

 アレクシアさんは座ったままだった。

「アレクシア・フィンチ」

「なんだ?」

「俺たちの顔を忘れるんじゃねえぞ」

「貴様こそ私の言葉を忘れるな」

 リーダーが鼻を鳴らした。

 席に戻ってきたリーダーがザックから無造作に金を取り出して、店長に手渡した。

 店長が金を受け取る。

「彼はどうする?」

 リーダーが床のリザードボーンをちらりと見て、鼻を鳴らした。

「捨ててくれ」

 リーダーが傭兵団を引き連れ、店を出て行った。

 店の扉が閉まった後も、しばらく誰も口を開かなかった。

「少年」

「は、はい!」

 今度はアレクシアさんに声をかけられた。慌てて振り返る。

 アレクシアさんが人差し指をクイクイッと曲げた。 

「こっちへ」

「は、はい」

 僕は思わず唾を飲み込んだ。びびりながらテーブルに近づいた。

 アレクシアさんがじっと僕の眼を見た。

 嫌な沈黙が続いた。

「あの、何か……?」

「あの傭兵、死に際に何と言った?」

「え、あ……ついてねえって……」

「それだけか?」

「は、はい……」

「本当に? 私には君の表情が不自然に変化したように見えたが?」

 心の奥を覗き込むような眼差し。

 眼を逸らせない。逸らせば、もっと追及される。

 何か言わないと。嘘でもいいから。何か嘘を。だけど、どんな嘘をつけば――

「あ、あの……」

「なんだ?」

「実は、もうひとつあって……」

「聞かせてくれ」

「その、お姉さんの悪口を……」

「なんと言った?」

「あ、あ……あばずれ騎士って……」

「そうか」

「ぼ、僕は、別に……お姉さんのことを……その、そんなふうには……」

「いや、いいんだ。そうか、あばずれか。最期まで見苦しい男だったな」

 そう吐き捨てるアレクシアさん。

「すまなかったな、少年。床を汚してしまった。これは迷惑料だ。マスターに渡してくれ」

 アレクシアさんが金貨を差し出した。

「あ、ありがとうございます……」

「それと、エールをもう一杯頼む」

「は、はい……!」

 なんとか上手く誤魔化せたみたいだ。

 ほっとしながら店長のところに戻る。

 店長にアレクシアさんの謝罪の言葉と注文を伝えて、金貨を手渡した。

 店長が金貨を上着のポケットにしまい、小さく息を吐いた。

「ナイル、ひとつ頼まれてくれるか」

「はい」

「衛兵の詰所までひとっ走りして、こいつを片付けるよう知らせてくれ。店の脇の路地に置いておく」

「分かりました」

 不意にぽんと肩に手が置かれた。

 振り向くとエマさんが立っていた。

「ナイル君、大丈夫?」

「は、はい」

「そう。よく取り乱さなかったね」

「いや、えっと……実はまだ、ちょっと手が震えてて……」

 エマさんが僕の手をぎゅっと握る。

「怖かったよね。えらいよ」

 エマさんの笑顔に少し気が楽になった。

「はい。じゃあ、行ってきます」

「うん、行ってらっしゃい。気をつけてね」

「はい。店長、行ってきます」

「ああ、頼んだ。床は俺とエマで掃除しておく」

 僕は店長とエマさんに軽く頭を下げて、店を出た。

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