第7話 捨て駒
フォルトゥナが出してくれた食事を平らげたシンは短く息をついた。
量は少なく、味よりも栄養価を優先した非常食だったが、今まで食べさせられてきた物と比べればずっと美味で満足感があった。
「帰ってきましたよ〜」
そこへ透明感のある声とともに天幕が上がり、フォルトゥナが帰ってきた。アストレアとカストルを連れて。
「シン君、体調は如何ですか?」
「はい、良いと思います」
「それは良かったです」
シンの答えにフォルトゥナは満足そうに頷き笑うとアストレアに目を向ける。
「どうぞ、アストレア様」
「……ええ」
フォルトゥナに促され前へ出たアストレアだが、シンと目を合わせようとはしなかった。
シンは『正義』でアストレア『悪』。
それをアストレアは自らの『聖痕』で思い知ることになった。
ならば裁かれるべきは自分であるべきだ。
にも関わらず死の刹那、臣下の顔が過り、アストレアは死を選ばず、シンを殺そうとした。
そんな身勝手な自分が腹正しく、目の前の少年に何と言葉をかけたらいいのか分からなかった。
「助けて頂きありがとうございます」
先に口を開いたのは意外にもシンだった。感謝の意を示すように頭を下げる。
「……っ!」
そんなシンにアストレアは驚きと呵責の念が混じった顔を見せる。
口汚く罵られても仕方ないと思っていた。
『悪』である以前に自分は彼の敵で、待っている人の下へ帰ることを妨げた。
殺さなかったのも自己満足――偽善に過ぎない。
恨まれる資格はあれど感謝される資格なんてないのに、何故この少年はそんな穏やかな顔を向けてくれるのか。
「ところでお隣の方はどちら様で……」
「わ・た・し・だ!」
初対面だと言わんばかりの反応にカストルがぐいっと顔を近づけて睨みつける。
「貴様に腕をへし折られた男だ!」
「そんな方いらっしゃいましたっけ?」
「いたわ!ついでに言うとお前の腕を焼き尽くした男だ!」
「……ああ、あの方ですか。ならお互い様ということで」
「なっ……」
「だって、貴方はおれの腕を焼いておれは貴方の腕を折った。おあいこ様で恨みっこなしじゃないですか」
「わ、私が言っているのはそういう問題では……」
「も〜!兄さんったら、そんな小さなことで一々目くじら立てない!」
そこへカストルに咎めるような声がかけられる。
「し、しかしだなポルクス……」
「言い訳しない!兄さんはもう少し心に余裕を持とうよ。カリカリしてても疲れるだけだよ?」
「それもそうだが……」
カストルを兄さん呼びしていることからして声の主は彼の弟なのだろう。
バツが悪そうに顔を逸らすカストルとそんな兄を叱りつけるポルクス。
感情的になりやすい兄を弟が窘めている至って普通の兄弟の会話だ。だが、
「……さっきから貴方は一人で何を言っているのですか?」
シンはその様子をまるで幽霊でも見たかのような呆然とした表情で見ていた。
今ここにいるのはシンとアストレア、フォルトゥナ、そしてカストルの四人だけ。他には誰もおらずカストルの弟らしき人影は見当たらない。
にも関わらずカストルはまるで足りないもう一人を補うかのように一人二役の会話を繰り広げていた。
話す際、人相や声色が別人のように変わっており、本当にその場に二人の人間がいるようだった。
そして、その光景をアストレアとフォルトゥナは何の疑問も持たず当然のように受け入れていることがシンをますます混乱させていた。
『本当にすいません兄さんが……』
「いえ……」
先程と明らかに違う態度と表情で謝罪するカストルにシンはそう答えることしか出来なかった。
気を取り直そうと首を振りかぶるとシーツの下からリンゴを取り出し齧り付く。
「待て」
戻ったカストルがリンゴを持つシンの腕を掴み、他の二人にも見せつけるように上げさせる。
「何ですか?」
「『何ですか?』じゃない。このリンゴはなんだ!」
キョトンとするシンにカストルが尤もな質問をぶつける。
ただでさえ食料が不足しているというのに盗み食いなど言語道断。怪我人と言えど許すわけにはいかない。
「……作った?」
「作ったとは何だ!貴様は種からこのリンゴを育てたとでも言うのか!」
「はい、そうですけど……」
「は?」
思わぬ肯定の返答にカストルが間の抜けた声を上げる。
「ベッドになんかの種が落ちててそれを成長させたらリンゴだった……って感じです。ほらこのテントの外にリンゴの木が……」
話を最後まで聞かず、カストルがテント窓から外を見るとそこには確かに小ぶりではあるもののいくつかの果実を実らせたリンゴの木が生えていた。
「要するにシンくんはリンゴの種を『聖痕』を使って急成長させたということですか?」
固まるカストルをよそにフォルトゥナが尋ねるとシンは短く頷いた。
「貴方の『聖痕』は一体どういう能力なの?密林を作り上げてたみたいだけど……」
アストレアの問いにシンは自身の『聖痕』について知っている限りのことを話した。
「生命体の『成長促進』と『創造』ね……」
シンの話を聞いたアストレアは冷静さを取り繕いながらも内心では絶句していた。
シンの言っている通りなら共和国の無尽蔵にも思える食糧はほぼ彼一人の手によって生み出されていたことになる。
知れ渡れば国が競ってその身を奪い合うであろう強力な『聖痕』だった。
「ちなみにあの『身体強化』と『治癒』能力はなに?」
「それはおれにもよく分かりません。貴方との戦闘中に急に使えるようになったので」
アストレアの問いかけにシンは首を横に振った。
おまけに戦闘と治癒行為まで行えるなど反則級の能力だ。今まで奴隷として扱っていた共和国の気が知れない。
「嘘はついてないだろうな?」
「嘘なんかついてませんよ。そんな力があったら最初から使っていました」
シンが口を尖らせて言うとカストルも不承不承納得したようで後ろに下がった。
「でもどうしては貴方は捨て駒にされたの?共和国の物資が豊かなのは貴方のおかげなのに」
「それは……」
その質問に対してもシンが答えると三人は顔を顰めた。
「錬金術による人工食物の生成ですか……」
「はい、それでおれは用済みというわけです」
一方のシンはあっけらかんとした様子で答えた。それが当たり前だとでも言うように。
「……そんなことあっていいわけないじゃない」
アストレアは拳を強く握りしめ、怒りで体を震えさせた。
国に多大な貢献をしていたのにも関わらずそれを正当に評価することなく異国人という理由だけで虐げ続け、挙げ句の果てに都合よく利用して切り捨てる。こんな悪魔の所業が許されて良いはずがなかった。
アストレアは体をシンへ向き直すと彼の肩を強く、されど優しく掴んだ。
「貴方は王国で保護する。だからわたしたちとついてきて」
「それは、どういう――」
「貴方は一人の人間よ。共和国みたいに奴隷扱いなんてしない。わたしが貴方を守るわ。貴方が幸せになれるように」
真っ直ぐなアストレアの瞳にシンは顔を逸らせなかった。
いつも共和国人から向けられていた蔑むようなら目とは違う、労るような慈悲に満ちた目。
こんな目を自分に向けてくれたのは今まであの少女以外にはいなかった。
そしてそんな彼女を美しいと感じた。
「……はい」
気が付けば惚けるように答えていた。
その返答にアストレアは優しく微笑むと「ありがとう」と返した。
思わず了承したシンだったが大切なことを思い出すとすぐに付け加えた。
「あと!一緒に助けて欲しい子がいるんです。その子は唯一のおれに親身に接してくれた子で……」
「分かったわ。その子も助けてあげる。何か特徴はない?」
「えっと……おれと同じが少し年上の小柄な女の子で、髪の色は貴方と同じ金色、あと……長さは短めで前髪を切り揃えてます」
そう答えるとシンは不安そうに上目遣いで見上げる。
あまりに情報が少ないためこれだけであの子を見つけ出せるのか不安だったのだが――、
「――――」
アストレアの反応は予想とは異なったものだった。驚いたように目を見開き、固まったまま動かない。
「えっと……どうかしたんですか?」
何か不味いことでも言ってしまったのだろうか?シンはオロオロと尋ねると、
「よりによって……どうして千変万化なの……」
そう途方に暮れたようにアストレアは呻いた。
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