第2話 無常
「来たな……」
自らの『聖痕』で生み出した密林の上に潜んだシンが突入してきた一団を見て呟いた。
あわよくば密林を避けてくれればと思ったのだが、甘い考えだったようだ。
シンは腰のポーチから餞別に渡された目潰しの【神秘宝具】『閃光玉』を取り出すと敵目掛けて放り投げた。
「何だ?」
頭上からの落下物に気付いた赤髪の青年――カストルが訝しむように呟く。
そしてその声を聞いた先頭の女――アストレアは顔を上げ、それを目視すると血相を変え叫んだ。
「総員目を伏せて!」
アストレアの咄嗟の指示に団員達はそれを予期していたような訓練された動きで目を腕で覆い隠した。
同時に閃光玉が炸裂し、周囲を眩い光が覆う。
そんな中、シンは腕を伸ばすと頭上に垂れ下がる紐を力任せに引っ張り樹冠にあらかじめ仕掛けていた矢を発射させた。
更に最初の仕掛けが起動したことにより別の木に仕掛けられていた矢が連動して放たれ、更にその矢が別の木の矢を発射して――最終的にそれらは矢の驟雨と化し、アストレアらに襲いかかった。
視界を閃光で塗りつぶされている状態でこの数を捌き切ることは不可能。矢は騎士達の体を貫くかに思えた。しかし――、
「――――」
何かを感じ取ったのかアストレアが瞼を閉じたまま愛剣クラレントを構えると魔力を注ぎ込む。
それは魔力を喰らわせることで効果を発揮する魔装という武具の中でも強力な性能を持つ、王家より伝えられてきた二本の剣の内の一つ。
その刀身が光と熱を帯び、周囲を暖かさで満たす。そしてそれはスイングとともに光の斬撃となって撃ち出された。
「黎明の白銀!」
魔力の込められた斬撃が矢の雨を飲み込み、一瞬にして打ち消す。
更に黎明の白銀の余波はそれだけに留まらず周囲の木々を切り倒し、その内の一本に潜んでいたシンを宙に放り出した。
何が起こったか理解の追いつかないまま落下してゆくシン。
その直後、光が止んだ。
閃光玉の持続時間は約五秒。それを頭に入れていた団員達は腕を離し、視界を確保すると落下してゆくシンにすぐ気が付いた。
「いたぞ!奴だ!」
シンは咄嗟に腰の弓を手に取り、背中の矢を番える。狙いはアストレア。
お互いの視線が交差した。
シンが矢を放つ。だが、弦の引ききれていない脆弱な一矢は飛ばされた斬撃によって容易に弾かれてしまう。
先程と違って魔力の込もっていないただの斬撃。しかし、人の命を刈り取るには十分な威力だ。
シンはこれをなんとか躱してみせたが次の瞬間、弓を握っていた左腕に灼熱の炎が喰らいついた。
「ぐあああああああああああああっ!」
肉を焼かれる痛みに悶絶しながらシンは草の茂みに落下した。茂みがクッションとなったことで大した怪我はしなかったが、火傷の痛みで動くことが出来ない。
怪我の具合を知るべく焼かれた腕に目を向けると肘から先が焼失していた。
「外したか……」
まだ息の根があるシンを確認し、カストルが苛立ちに舌を弾く。
カストルの『聖痕』《日輪の祝福》が生み出す炎はただの炎ではない。太陽の炎だ。故にその温度は通常の炎を軽く凌駕し、物体を燃やすのではなく熔かす。
シンの腕は燃え尽きたのではない。熔かされ跡形もなく焼失したのだ。
「かかれ!」
今こそ絶好の機とばかりにカストルが声を上げた。
他の団員達も「応っ!」と吠えると馬の腹を蹴り一斉に飛びかかろうとする。
だが、団員の一人が乗る馬が仕掛けられた糸に足を引っかけ、前方から大量の石飛礫が放たれる。
「兄さん罠だ!」
「ああ、分かってる!」
カストルは一同を守るように前へ出ると飛来する石飛礫に向かって真炎を放ち、その全てを焼き尽した。
その隙にシンは茂みから脱出し、逃れようとするが、退路を断つかのように背後から放たれたアストレアの斬撃が前方の木を斬り倒す。
「逃がさないわよ」
シンは思わず身を竦めた。背中から視線と殺気をひしひしと感じる。まるで喉元に剣を突きつけられたようだ。
もう魔力は底をついた。下手に逃げようとすれば即座に殺される。シンはその場から動けずただ狩られる時を待つ哀れな獲物に成り果てた。
「ゆっくり前を向きなさい」
もうシンには従う以外の選択肢はない。残った右腕を上げ、ゆっくりと振り返る。
「投降してわたしたちに協力しなさい。そうすれば悪いようにはしないわ」
シンを捕らえればアストレア達は森林にまだあるかもしれない罠の位置と敵の布陣を吐かせることで安全にこの森を脱出出来、千変万化を仕留められる可能性も上がる。
殺すよりも捕らえる方に利があるのは明白だった。
「裏切れ、ということですか?」
アストレアの降伏勧告にシンは蝕むような火傷の痛みを堪えながら尋ねた。
「ええ。そして共和国の本陣へ突入。軍を壊滅させて、この戦争を終わらせるわ」
「そうですか……なら、おれはここで貴女に殺されることにします」
そう言うとシンは右手を下ろし、その場に棒立ちになった。
「何故、そこまでするの?ろくな装備も与えられてないところ見るにあなた、徴兵奴隷でしょ?……あんな国に従う必要なんか少しもない。あなたはわたしが助けるわ。だから……」
とても敵にかけるものとは思えない慈悲の言葉にシンは苦笑した。
「何がおかしいの?」
「いえ、貴女は優しい人だなと思って」
どこか悲しげな顔でシンは微笑んだ。
その表情と科白には「貴女にもう少し早く会えていれば」という無念が滲んでいるようにも見え、アストレアは胸が締め付けられる思いを覚えた。
「確かにおれがあの国に義理立てする必要はどこにもありません。ここで裏切っても主はお赦し下さるでしょう」
「なら……」
「しかし、おれはこの戦場に守りたい子がいます。他の人がいくら死のうがどうでもいいけど、あの子だけは生きてほしい。……だからおれは貴女方に情報を渡すわけにはいかない。例えおれが死のうとも」
本陣を攻められれば撤退した少女にも被害が及ぶ。悪くて戦死、良くて捕虜だろう。もう時間を稼ぐことは叶わない。
ならばせめて、情報を渡さないくらいはしなくてはならない。
そう言い終えると連続して浅い息をついた。
火傷のダメージが大きく喋るだけ、立ち続けるだけで体力がジリジリと削られているのだ。
我ながら情けないとシンは自嘲した。同じように彼らも自分のことを笑うのだろうと思ったのだが、アストレア達は何も言ってこない。
「……どうしたんです。呆れを通り越して笑いも出ませんか?」
「……いいえ。立派ねあなた」
それどころか今にも泣き出しそうなくらいに顔を歪めている。
何故、彼女があんなに辛そうにしているのだろうか?
シンは不思議そうに首を捻った。
「だから……せめてわたしの手で安らかな死を」
次の瞬間、アストレアはクラレントを水平に構え、シンの眼前にまで肉薄する。そして、流れるような動作で切先が胸に向かって突き出された。
肉を貫いた刀身は赤く染まり、周囲に赤い花を咲き誇らせた。
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