第18話 特訓
「うむ。ここならどれだけ暴れても問題ないな」
得心したように頷くアポロ。
シンが連れてこられたのはグリフィン邸の裏側にあるだだっ広い庭だった。
周囲に障害物はなく、程良い長さに刈り揃えられた草が生えているのみ。屋敷からも距離があるため、余程のことをしない限りはアポロの言う通り暴れても問題ないだろう。
「では始めましょう」
そう言うと羽織っていたジャケットを脱ぎ捨て、袖を肘のあたりまで捲る。露わになった前腕は鋼糸で縛り上げられたかのように引き締まり、その戦歴を誇るが如く数多の傷で彩られていた。
シンもそれに倣い、カーディガンを脱ぐとシャツの袖を上げる。
アポロと違い細く貧相な腕はまるで枝のようで子どもの力でも簡単に折れそうだ。
シンは自分とアポロの腕を交互に見比べ、溜息を吐いた。
「大丈夫ですよ。ちゃんと鍛えればシンくんもあんな腕になれますから」
気落ちするシンにカーディガンを受け取ったフォルトゥナが励ましの言葉をかける。
その口元にはここ数日ですっかり見慣れた笑みが浮かんでいた。
「……はい。頑張ります」
その背後には「頑張って」と身振り手振りを送るアストレアと仏頂面でそっぽ向くカストルもいる。
それ見てシンはちょっと緊張がほぐれたような気がした。
「まずは私に襲いかかってきて下さい。『聖痕』を使うなり何をしてきても構いません」
「何でも、ですか?」
「ええ、何でもです」
戸惑い気味のシンの問いに笑顔で首肯するアポロ。
舐められているようではあるが、それだけの実力を有しているということなのだろう。
間違っても手加減などしてはいけない。
怪我をさせる気でいこう。
そう心に決めると足を爆発させた。
瞬きの暇すら与えず距離を詰め、勢いのまま拳を振るう。
直撃すれば骨を砕くどころか体を貫く一撃だ。
「――――」
しかし、アポロはその凶拳を流れるような動作で躱すと腕を掴み、勢いを利用してシンを叩きつけた。
「がっ……!」
一瞬、何が起こったか分からないまま苦鳴を洩らすシン。
すぐに自分が投げ飛ばされたのだということに気付き絶句した。
自分は『身体強化』を使って殴りかかったはず。
それなのに何故、躱されたどころか逆に叩き伏せられている?
「もう終わりですか?」
頬に一閃の血を滲ませたアポロが挑発するように問いかけてくる。
疑問と混乱を頭の隅に追いやるとアポロの腕を振り払い立ち上がる。
そして、質より量だと言わんばかりに連続の打撃を繰り出すが、これもアポロは次々と躱してゆく。
何故だ。
シンの拳は『身体強化』によって機関砲の弾丸と同然と化している。
どれだけ優れた動体視力、回避能力を持っていたとしても隙間なく放たれる攻撃を躱すことなど不可能。密室の中で迫り来る壁を回避出来ないのと同義だ。
再度絶句したシンだったが、幾度となく空を切る拳撃を繰り返している内その理由に気が付いた。
アポロは拳が直撃する直前でその射程圏内から外れることで攻撃を回避していたのだ。
先程シンの拳を機関砲の弾丸と例えたがそれは正確ではない。
機関砲が数十メートルの射程圏内を誇るのに対し、シンの拳撃はそれよりも遥かに狭い――剣や槍にさえ劣るだろう。
つまりシンの拳は機関砲と遜色ない速度と手数を持つ代わりに遅い。
射程圏内の広い機関砲の弾丸と比べると射程メートル未満のシンの拳から逃れるというのは難易度は天と地の差がある。
それでも弾丸並みのスピードの拳の間合いから直撃手前で外れるなど神業に違いないが。
「くっ……」
このまま拳撃を続けていても無意味。
それを理解したシンはどうすべきか考え――足に視線を遣った。
アポロがこちらの拳の間合いを把握して回避を続けているならその間合いより広い攻撃を繰り出し、リズムを崩してやればいい。
拳撃が来ると思っていたところにいきなり蹴撃を入れたらどうなるか――不意打ちとなりアポロは反応が遅れるのではないか?
そう考えたシンは拳を引っ込めた次の瞬間、流れるような動作でアポロの首目掛け蹴りを繰り出す。
その勢いはさながら生者の首を刈り取り、冥府へ誘う死神の大鎌のようだった。
「シィィィィィッ!」
繰り出された必殺の蹴撃が引き寄せられるように迫りゆき、アポロの首を刈り取った――かに思えた。
「――――」
だがそれをアポロはまるで予期していたかのように蹲み込みと回避して見せた。
「なっ――」
空を切った蹴撃とともにアポロの白髪が数本宙を舞う。
シンは三度絶句した。自信を持って放った攻撃を躱され、心が揺れる。
それが致命的な隙となった。
「やりますな。ですが――」
突如として腹部に感じる衝撃。
視線を落とすとそこにはアポロの穿ち出した拳がめり込んでいた。
回避と攻撃を同時に行うという隔絶した技量の差に驚くことすら許されず殴り飛ばされる。
草原に体を叩き付けられ、一回転した後、膝立ちで踏みとどまるも痛みで顔を顰めた。
手加減してくれているのか骨に罅などは入っていないようだが、殴られた痛みがなくなるわけではない。
それでも立ち上がろうと痛みを堪え顔を上げるが、
「敵から目を逸らすなど、あってはなりませぬぞ」
眼前にアポロが肉薄していた。
「ッ!?」
マズいと思った時にはもう遅い。
振り上げられた長い足がシンの顎下を打ち抜く。
「〜〜〜〜っ!」
顎下からの衝撃が脳幹を伝って頭を揺さぶる。
脳震盪を起こしたシンは声にならない悲鳴を上げながらそのまま意識を手放した。
◇
「ん……」
木漏れ日が瞼の間に差し込んできて、微睡の中にあった意識を刺激する。
思わず目を開けるとそこに飛び込んできたのはこちらの顔を覗き込むように窺うフォルトゥナの顔だった。
「おはようございますシンくん」
「……おはようございます?」
今って朝だったっけ?
朝の日差しのようなフォルトゥナの微笑を見て疑問符を浮かべる。
「シンくん起きたの!?」
そこへ駆け寄ってくる一人の影。
目だけを動かして声の方を見ると心配そうな顔でこちらに駆け寄ってくるアストレアが見えた。少し遠くにはアポロとカストルもいる。
ここでようやくシンは自分が特訓中だったことを思い出した。
「大丈夫?どこか痛くない?」
「あ、はい……大丈夫です」
凄い剣幕で駆け寄るアストレアに寝たまま答えるシン。
人によっては「王女殿下に不敬であるぞ!」と怒られそうな光景だ。
「貴様!寝たままとはアストレア様に不敬だぞ!」
ほら、案の定カストルが突っかかってきた。
「カストル、シンくんは今さっきまで意識を失っていたんです。あまり無理を言ってはいけませんよ」
そんなシンをフォローするフォルトゥナ。
これもこの短期間で定着したいつもの流れだ。
「それは少し私も気になるところなんだけど……」
だが、アストレアは普段とは異なった反応を見せた。
「……何で薄目でおれを見下ろしているんですか?」
「睨んでいるんですけど」
心配から一転して不機嫌になるアストレア。
カストルの言う通り寝たまま応対したのが間違っていたのだろうか。
謝ろうとシンは体を起こそうとして――、
「いつまでフォルトゥナに膝枕してもらってるの!」
「…………へ?」
癇癪を起こしたようなアストレアの態度に意味が分からず一時硬直するシン。
それからゆっくりと状況を把握すると仰向けになり、フォルトゥナの顔を覗きこむ。
「何でおれ膝枕されてるんですかフォルトゥナさん?」
「今気づいたんですかシンくん?」
上と下から互いを見つめ合うシンとフォルトゥナ。
お互い照れるわけでもなく、恥じらうわけでもない。平常運転で会話を続けてゆく。
「そのまま地べたで寝させておくのはどうかと思ったので私の膝をお貸ししたのですよ」
「お気遣いありがとうございます。でももう目が覚めたので大丈夫です」
「いえいえ、遠慮なさらず。まだお疲れかもしれませんしもう少し休んではどうでしょう?」
「大丈夫ですって……何故肩を抑えてくるのです?」
「何のことでしょう?」
起き上がろうと奮闘するシンとそれをお馴染みの微笑とともに妨害するフォルトゥナ。
そんな二人のじゃれあい(?)を見せられたアストレアの機嫌はますます悪くなってゆく。
「あの……アストレア様?」
「何よ!何よ!何よ!二人でイチャイチャして!いい加減にしなさいよーー!」
オロオロするカストルを無視してアストレアは二人に詰め寄る。
それに対してフォルトゥナはニコニコと追求を躱し続け、シンは二人の板挟みに遭い混乱するばかりだ。
そんな四人をアポロは少し離れたところから温かい目で見守っていた。
「四人……か」
そして、一人回顧するように、哀愁を滲ませるようにそう呟いた。
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