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第四二話 鎮西からの訪問者 三


 碧川先輩の素晴らしい解説キャラっぷりに、私が心の中で称賛と感謝の声を捧げていると――立花さんが動いた!

 うん? あれって……。


「上段?」


 その不思議な光景に、私の口から思わず声が漏れた。

 なんと立花さんは、スッと竹刀を上げたかと思うと、真綾ちゃんと同じ上段に構えたんだよ。つまり現在、道場の真ん中で上段に構えたふたりが向かい合っているという、摩訶不思議な状況ができあがってるんだよね。


「相上段、だと……。そんなことをしても身長の高い姫様のほうが有利、それは立花も充分わかっているだろう、それなのに……」


 ほら、碧川先輩も私のとなりで驚いているよ。剣道部員のみんなもちょっとザワザワしてるし……ホントに立花さんは何を考えてるんだろうね。

 そんな私たちの動揺をよそに、真綾ちゃんと立花さんは上段に構えたまま、静かな攻防をしばらく続けた。


「別名を〈火の位〉と呼ばれる上段は、その名のとおり、炎のような気迫を保ち続けなければならない。だから、相上段は気迫と気迫の戦いでもあるんだよ。……それにしてもあのふたり、なんて気迫なんだ……」


 律儀にも丁寧に解説してくれる碧川先輩が、真綾ちゃんと立花さんの姿に何を感じたのか、ほぼ素人の私でもわかる気がする。それくらい、今、ふたりの間では、目に見えない力がぶつかり合っているんだよ。


 そして、その時は唐突に訪れた。


「ンメエエェェェエンッ!」


 裂帛の気合いとともに立花さんが跳んだ! 予備動作も無く、高く、そして風のように速く! 私がそう認識した瞬間――。


「メン!」


 ――試合は終わった……いや、終わっていた。


 パアンッ! という、乾いた音の余韻が響く道場の真ん中に、真綾ちゃんの側頭部で竹刀を止めた立花さんと、立花さんの脳天に竹刀を当てた真綾ちゃんが、まるで彫像のように立っていたんだよ。

 それはかつて、真綾ちゃんちの庭で見た、彼女とおじいちゃんの姿そのものだった。


「……面切り落とし面……」


 息をするのも忘れていたらしい解説者……じゃなかった、碧川先輩が、呆けたように何やら技名らしきものをつぶやいた。……うむ、私の動体視力で捉えられなかったできごとも含めて、ここは彼女に解説をお願いするとしよう。


「なんです? それ。あ、それと、何が起こったか教えてくれると嬉しいです」

「…………ああ、うん。――まず立花が、あの馬鹿みたいな脚力を活かして飛び込み面を打った。応じ技で姫様の面に対処できないのなら、自分が先に仕掛けてやれと思ったんだろう。……とても立花らしいね、ひょっとしたら、去年の意趣返しもあったのかもしれないな。――高さは十分カバーできていたし、人間とは思えないほどスピードも凄まじかった。まず、あれに応じられる人間はいないだろう……」


 そこまで言うと、碧川先輩はゴクリとつばを飲み込んだ。


「……姫様を除いては、ね。――姫様はわざと一瞬だけ立花に遅れる形で、真っすぐ竹刀を振り下ろしたんだよ。そしてその竹刀に弾かれるように、立花の竹刀が外へと軌道を逸らせた……。これが、〈面切り落とし面〉とか〈面打ち落とし面〉とか呼ばれている技でね、一刀流の極意でもあるんだ」

「何ソレカッコイイ!」

「……花ちゃん、言葉にすると簡単だけど、タイミングとスピード、何があっても中心を外さない技術と力、それらがすべて合わさったときに初めて成功する、とてつもなく難しい技なんだよ、良い子は決して真似をしないように。……この技を偶然じゃなく本当に使いこなせる人間が、この世界中に何人いるだろう…………。さすがは、私のすべてを捧げると誓ったお方……」


 一刀流極意とか聞いて中二ゴコロを刺激された私を、やんわりたしなめてくれた碧川先輩が、感動のためか最後にウットリした感じで何か口走っていた気もするけど、それは聞かなかったことにしよう、うん……。

 そーかー、そんなに難しい技なんだー。うちの近所に、使える人が真綾ちゃん入れてふたりもいるんだけど……。


      ◇      ◇      ◇


 この小さな田舎町にはイートインできるお店が三軒しかない。仕出屋も兼ねているこぢんまりした食堂と、七十過ぎのママが夜な夜な開ける謎のカラオケスナック。――そして、火野さんのおじいちゃんがやっているラーメン屋、〈赤龍軒〉だ。

 そんな感じで競合店が無いうえ、コンビニなどというものも存在しないため、お昼のピーク時間にでも赤龍軒へ行ったら、これが意外なことに……って言ったらちょっと失礼だけど、結構繁盛しているんだよ。町に不釣り合いな規模の羅城門グループ系病院や、羅城門グループ系企業のサテライトオフィス、そういった存在も大きいのかもね。


 この日、剣道部の朝練を終えた火野さんに誘われて、私たちが訪れた時も、赤龍軒は結構な数のお客さんでにぎわっていた。


「うまか~! 博多豚骨もよかばってん、これもちかっぱうまかね!」

「うん! この焼き味噌ラーメンもすごくおいしいわ!」


 六人掛けのテーブル席に並んで座る真綾ちゃんと私の前で、立花、由布ペアが、ラーメンに舌鼓を打っていた。剣道部のみんなはそれぞれ自宅に帰ったため、この四人プラス、立花さんのとなりに座る碧川先輩、真綾ちゃんのとなりに座る百園先輩の、合計六人でお邪魔しているのだ。

 あ、ちなみに、真綾ちゃんは〈アルティメット醤油豚骨の全部マシマシ〉を黙々とすすっているよ。……うん、いつもどおりだ。


「ホンマですか! そない褒めてもろたら、ジイちゃんもオトンも喜びますわ」


 立花さんたちの満足そうな声を聞くと、店内をエプロン姿で忙しそうに動き回っていた火野さんが、こちらを見てニカッと嬉しそうに笑った。実はさっき、火野ママが「友達と一緒にお昼にしたら?」と言ってくれたのを、働き者の彼女は「家族がせわしのう働いとる横で落ち着いて食えんわ」と辞退したのだ。……ホンマええ子や。


「うん、うちはお世辞言えんけん。ほんなごつ関西弁ちゃんの店んラーメン、ちかっぱうまかっちゃんね」

「八千代、火野さんでしょ! ――ごめんね火野さん、この子バカだから。でもホントにおいしいね、ここのラーメン」

「ええて由布さん。せやけど、ホンマ嬉しいこと言わはるなあ。――ジイちゃん、餃子二人前追加や!」


 立花、由布ペアの言葉に気を良くした火野さんが、おそらくはサービスであろう餃子のオーダーを入れた――その直後!


「……本当においしい」


 今まで無言でラーメンをすすっていた真綾ちゃんが、唐突に顔を上げたかと思うと、火野さんを真顔で見つめながらボソッと言った……。どこまで食い意地が張ってるんだろうか、この子……。


      ◇      ◇      ◇


 あのあと火野さんが、「しゃあないなあ」と嬉しそうに六人分の餃子をサービスしてくれたため、私たちは餃子をつつきながら和気あいあいとおしゃべりしていた。


「――でも安心したよ百園、ちゃんと主将やってるじゃないか」

「私なんて全然ですよ~。部員のみんながいい子だから、こんな主将でもなんとかやれてるだけです。それに火野さんが頼りになりますからね~」


 碧川先輩の温かい声に、百園先輩は、髪の毛と同様ゆるふわな感じがする彼女独特の声で返した。

 こうやって百園先輩は謙遜してるけど、彼女の左手が竹刀ダコで硬くなっていることを私は知っている。碧川先輩から託された女子剣道部のために彼女がどれほど頑張っているか、それも火野さんから聞いて知っている。

 それにね、百園先輩の求肥みたいな包容力にふんわり包まれて、今の女子剣道部はまとまっているんだよ。


「いや、道場の中がいい空気だった。私が主将だった時ともまた違う、真剣だけどやわらかくまとまったような、とてもいい空気だった……。百園は百園にしか作れない部を作ったんだ、もう立派な主将だよ」


 ほら、ちゃんと碧川先輩もわかってくれてますよ、百園主将。


「先輩……」

「……よか後輩ば持って碧川は果報モンやね。――たしかに、やお~いばってん、いっちょんてれんぱれんしとうわけやなか、しゃんとしとうよか空気やった。まちっと修練ば積んだら、うったちの後輩んチームにとって、バリえずかチームになるかもしれんくさ」

「…………へ?」


 碧川先輩の言葉を聞いて泣き出していたらしい(私からだと、真綾ちゃんが邪魔で、百園先輩が見えないんだよ!)百園先輩にイイ感じで立花さんが優しい声をかけると、百園先輩はワンテンポ遅れて聞き返した。……でも仕方ないよね、さすがに今のは私もわかんなかったよ。


「ホントにもう、世話がかかるんだから……。『やわらかいのに、全然だらだらしていない、ピシッとしたいい空気だった。もう少し修練を積んだら、私たちの後輩のチームにとって、すごく恐いチームになるかもしれないね』と、うちのバカは申しております。――みんな誤解しないでね、こんな博多弁、福岡の人はだれも使っていないから」


 ちゃんと由布さんが翻訳してくれたよ。ヤレヤレって感じで言ってるけど、そんなに嫌じゃなさそうだね。うん、この人やっぱりイイ人だ。


 シャワーを浴びて私服に着替えた由布さんは、髪やお肌、ファッションにも気を遣っていて、ホントに女子力が高い人だった。あの服なんか、この前ファッション雑誌で見たコーディネートそのものだよ~。

 でもこの人、なぜか私と顔を合わせようとしないんだよな~。なんか嫌われることでもしちゃったんだろうか? 仲良くなりたいのにな……。

 よし! ここは思いきって話しかけてみよう!


「あの~。由布さんは博多弁じゃなくて標準語みたいですけど、やっぱり関東からの特待生なんですか? あ、ひょっとして東京とか」

「えっ? ……ああ、え~と…………そんな感じ、みたいな?」


 ドキドキしながら話しかけたら、なんかビックリされた。……でも、そうか~、由布さんも東京の人だったんだ~。同郷と聞いたら、ますます仲良くなりたくなったぞ! 頑張らねば!


「ご実家は東京のどこら辺ですか?」

「ええっ? え~と…………ウォーターフロント、的な? そんな感じ……」

「ウォーターフロント?」

「あ、ああ~、この町の子にはわかんないかな? ごめんなさいね。……スカイツリーが近くに見えるんだけどな……あと、有名なお寺? があったり、なかったり……」

「スカイツリーが近くに見えて有名なお寺が……あ、わかった! 浅草ですね! 由布さん、チャキチャキの江戸っ子じゃないですか!」


 おお、私と一緒じゃん! テンション上がるよ~! ……あれ? でも浅草ってウォーターフロントだっけ? ……ああ、たぶん隅田川のことだね。なるほど、言われてみたらたしかにそうだ、水上バスでお台場にも行けるし。


「そうそれっ! 浅草浅草! 大きいちょうちんのある浅草! こう見えて江戸っ子なの私。帝釈天の産湯に――」

「帝釈天?」

「――浸かるはずないじゃない。これはそういう言い回し的なアレよ……」

「ですよねー。で、浅草のどの辺ですか?」

「えっ? ええと…………原宿?」


 ん? 浅草にそんな場所あったっけ? 葛飾の新宿(にいじゆく)みたいな感じかな?


「あ、ごめんなさい、いい間違えたわ。……渋谷……」

「渋谷っ?」

「……でもなくて……」


 あ、なんか由布さんの目が、金魚みたいに泳いでる……。


「……もう、痛々しくて見てられない……。あのね由布、花ちゃんと姫様は東京生まれなんだよ。特に花ちゃんは、二年ちょっと前まであっちに住んでいたんだ」

「え……」


 話に入ってきた碧川先輩の説明を聞くと、由布さんは目を丸くして私の顔を見た。

 私がコクリと頷いたら、由布さんは三秒ほど固まったあとで、私に深々と頭を下げるのだった……。


「……ごめんなさい嘘ついてました。バリバリ博多っ子です」


 ……エエー……まあ、同郷じゃなかったのは残念だけど、なんか、嫌われてるみたいじゃないからホッとしたよ。


「京子、恥ずかしいっちゃね……。相手が田舎ん子や思うてつやつけてからに、そげんさっちむっち都会モンの振りするけん、こげなことになるったい。……こん、口だけ東京モンが」

「せからしか! なんばこきようとや!」


 立花さんが痛いものを見るような目でトドメを刺したとたん、由布さんの顔が秋田名物、なまはげに変わった!

 この顔、どこかで……。首をかしげた次の瞬間、私の脳裏に、去年の全国大会で見たなまはげの顔が、フラッシュバックした!


「び……びえぇぇぇん!」


 突然ほじくり出されたトラウマによって幼児退行を起こし、私が大声を上げて泣き出したことは、言うまでもない……。


      ◇      ◇      ◇


「――と、いうことがあったんですよ。気がついたら、みんなが面白がって私をあやしてたんですけど、もう恥ずかしいのなんのって……」


 そこまで言い終えて少し喉が渇いた私は、おじいちゃんに作ってもらったニワトコジュースをズズズとすすった。

 私は今日、真綾ちゃんちで、先日この町を訪れていた福岡のふたり組について、おじいちゃんに話しているんだよ。


「ハハハハハ……いや、ごめんごめん。でも、みんなの気持ちもわかるよ、幼児退行した花ちゃんは愛らしいからね。宮島に行った時を思い出すなあ」


 おじいちゃん、そんな涙を浮かべるほど笑わなくってもいいんじゃないかな……。


「由布さんだけはオロオロしてましたけどね……。なんでも私と試合した時は、立花さんの予想外な敗北と大将の重責でテンパってたみたいで、勝つことしか考えられなかったらしくて、あらためて会った私があんまり小柄だったから、罪の意識を感じちゃったんですって。……そんなの、試合だから気にしなくてもいいのに」


 気がついた私にわざわざ謝ってくれた由布さんの、なんとも申しわけなさそうな顔を思い出すよ。いい人だったな~。

 おじいちゃんはニコリと笑うと、私のとなりで柿ピーをボリボリ貪っている真綾ちゃんをアゴで指した。


「真綾からも聞くには聞いていたんだがね、『巴さんが帰ってきた。立花さんと試合して勝った。火野さんがくれたラーメンと餃子がとてもおいしかったからまた食べたい。花ちゃんが可愛かった』、としか言わないものだから、今ひとつ要領を得なくてね……。やっぱり花ちゃんは話し上手だねえ、とてもおもしろいよ」

「よ、話し上手」

「ハハ……」


 真綾ちゃん、呑気にパチパチ手を叩いている場合じゃないよ、立花さんとの試合の話がラーメンと餃子に負けてるって、どうかと思うよ。


「それで、そのおふたりさんは、もう福岡へ帰ったんだね?」

「あ、はい。その日は碧川先輩んちに泊まって、翌日にバスで。『いや~今回も完敗ったい、次に来た時は絶対うちが勝つけんね!』って言い残して帰っていきました。アレ絶対にまた来ますよ」


 完敗したと言うわりに、やたら嬉しそうな顔してたからなーあの人。

 まあ、高い山の上にたったひとりでいるよりは楽しいか……。

 それにしても由布さんって、なんだかんだ言いながらも、あのかさばる防具と竹刀を持って、はるばる福岡から立花さんについてきてあげてたんだよな~。ホント立花さんのことが好きなんだな~。

 真綾ちゃんがどっかで何かやらかしそうなときは、私も一緒に行かないとだね。

 あ、真綾ちゃん、チラッと見たら「何?」って感じで首をかしげたよ、ジャンガリアンハムスターみたいに柿ピー頬張ったまま。……ホントにこの子は……。


「……それにしても、とうとう〈切り落とし〉までモノにしたか……。もう、私が教えることは何も無いな……」


 そうつぶやいて真綾ちゃんを眺めるおじいちゃんは、何か大きなことをやり遂げたように満足そうで、そして、なぜか寂しそうだ……。

 私はこの時、おじいちゃんがどこか遠いところへ行ってしまいそうな気がして、胸がキュッと苦しくなった。

 その不安を言葉にすることもできず、心配顔になって見つめている私の気持ちを察したのか、おじいちゃんはあのいつもの優しい眼差しで、何も言わずにただニッコリと微笑んだのだった。


 おじいちゃんが体調を崩したのは、それから少しあとのことだ……。




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