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第四一話 鎮西からの訪問者 二


「花……」


 あ、死体がしゃべった……。とりあえず、私の名を呼んだ気がする死体のほうに駆け寄ったら、虫の息になっている火野さんだった。


「火野さん、何があったの?」

「花、……姫様を……あれに会わせたら……アカン……。あれは人間ちゃうで……バケモンや……ガク」


 なんとか私の問いかけに答えた火野さんは、力尽きると白目を剥いた。


「火野さあああん!」

「……花、ちゃん……」


 必死になって火野さんの蘇生を試みようとする私を、かすかに誰かが呼ぶ声がした。私がそちらに駆け寄ると、それは現在の女子剣道部主将、百園あん先輩だった。


「百園先輩!」

「花ちゃん……誰も恨んではダメよ……。こしあんと粒あん……みんな違って、みんないい……。ラブエンピース……花ちゃんなら……わかるわね?」


 そう言って差し出された百園先輩の白い左手を、私は両手でギュッと握る。そして、面金越しに見える先輩の優しい顔に、コクリとひとつ頷いた。

 そんな私の顔を見ると、先輩は安心したようにやわらかく微笑んだ。


「……よかった。……私、知っていたの……。姫様が時々……私のことをジッと見て、つばを……飲み込んでいたこと。……最初は少しだけ怖かったけど、……これもひとつの好意の形だと思ったら、……嬉しくなったの……。花ちゃん……いつまでも姫様と……仲良く、ね……ガク」

「先輩! 百園先輩っ!」


 力を失った先輩の手を握っていた私は、白いもち肌が特徴的な百園先輩の、本来ならやわらかいだろう左手薬指と小指の付け根が、すっかり硬くなっていることに気づいた。いつもポヤッとした顔をしているこの人は、手のひらがこんなになるまで竹刀を握っていたのだ、毎日毎日。そして、碧川先輩に女子剣道部を託されてからは、その重圧とも戦いながら……。


「クッ、いったい誰がこんなことを!」

「……うちたい」


 仲間を皆殺しにされた主人公気分を満喫していた私が、突然かかった声の主を見上げたら、立花さんが苦笑いしながらポリポリと頬を掻いていた……。

 あ、そーですか……。


「みんなもう動けるだろ? ほらほら、いつまでも寝てないで立つんだ。姫様の御前でみっともないぞ」


 シャワー室に由布さんを案内して先に帰ってきたらしい碧川先輩が、少し呆れ顔でパンパン両手を叩いて活を入れたると、死屍累々と転がっていた部員たちはムクリムクリと起き出した。あーでも、みんなまだキツそうだな~、フラフラしてるよ。


「姫様、申しわけございません。全国のレベルを後輩たちが知るちょうどいい機会だと思い、ひとり五分ずつ、立花に全力で稽古をつけてもらったんですが、恥ずかしながらこの有様で……」


 先輩が真綾ちゃんに謝ってるけど、その稽古って、アレじゃない?


「あの~先輩、ひとり五分って、やっぱ……」

「もちろん、どちらが何本入れても五分間全力で戦い続けるルールだよ。花ちゃんも去年やったよね」

「あ、はい、……五分間も立ってたこと、一回もないですけど……」


 やっぱりアレだった……。アレ、マジでキツイんだよな~。立花さんのことだから容赦なくバンバン打ってきそうだし、五分間もサンドバックにされたら死ぬ自信があるよ、この私は!

 でも、よく考えたら、一時間ぶっ続けでアレをこなしたあとで、由布さんを腰にぶら下げて走ってたんだよね、この人……。

 私がチラリと見上げると、立花さんが碧川先輩に向かって優しい表情で笑いかけるところだった。……この人、こんな顔もできるんだ。


「まあ、静林館高等部でも、まともにうちん稽古相手できるんは先輩が数人と碧川、あとは京子くらいやけん、仕方なかよ。――ばってん、去年大会で先鋒と次鋒やっちょったふたりは、やっぱりよかモン持っとるっちゃ。一生懸命稽古したんがようわかるとよ、さすがは碧川ん後輩ったい。こりゃ帰ったら、うちん中等部にも活ば入れんといけんね」

「ありがとう立花」


 実力者の立花さんに可愛い後輩を褒められたからか、碧川先輩がとても嬉しそうに笑い返した。

 なんか、いいな、こういうの。――お互いを認め合う友達ができて、福岡でも碧川先輩はそれなりに楽しくやってるみたいだ。安心したよ私。

 それにしても立花さん……それほどか……。

 福岡静林館学園といえば全国屈指の女子剣道強豪校だ。うちと違って部員がうんと多いうえ、全国の有望株に声をかけて特待生にしているから、あそこは実力者ひしめく修羅の国のはずだ。

 なのに立花さんは、高等部に上がってからまだひと月もしないうちに、そんな修羅の国を制したみたいなんだよね。まともに稽古相手のできる人が先輩でも数人だけってことは、きっとそういうことだろう。

 やはり、立花さんは強い。……でも、まともに稽古相手のできる人間でさえ数人しかいないという彼女は、いったいどんな気持ちなんだろう。私なんかでは今ひとつピンとこないけど、剣の高みを目指す立花さんにとって、それはとても寂しいことなんじゃないだろうか……。

 彼女が真綾ちゃんに執着する理由、私、ちょっとだけわかった気がするよ。


「さあ羅城門、うちと勝負せんね!」


 思慮深そうな表情でボケ~っと突っ立ている真綾ちゃんを見て、立花さんは凄絶な笑みを浮かべた。


      ◇      ◇      ◇


「突き技、片手技あり、時間制限なしの一本勝負! それでよかね?」

「……」


 しんとした武道場に立花さんのやたらよく通る声が響くと、彼女と対峙している真綾ちゃんの面が、コクリと小さく縦に動いた。


「羅城門、もちろんお得意の上段もアリやけんね~。今日は心置きなく上段に構えてもろうてよかよ」


 うわー、立花さん煽るな~。去年の大会で真綾ちゃんに頭カチ割られたこと、まだ根に持ってるんだね。


「……わかりました」


 おお! 真綾ちゃん、乗ったよ。

 真綾ちゃんの涼やかな声が流れると、道場内が一瞬、ザワリとした。

 白い道着の真綾ちゃんと紺の道着を着た立花さん、道場の両側に立って対峙するふたりの糸杉みたいにスラリとした姿を、私たちは固唾を飲んで見守っていた。


 去年の全国大会、無敗の絶対女王を無名の一年生が圧倒したあの試合は、多くの人の心に強烈な印象を残した。あれが事実上の個人決勝戦だったと言う人もいるくらいだし、うちの町に至っては「姫様が日本一になった!」と、みんなお祭り騒ぎだったよ……。超絶美少女剣士の画像が流れてネットでもお祭りになったけど、そっちはすぐに治まった。ムーちゃんいわく、〈羅城門グループ情報部〉の力で……。

 その伝説の試合が、だよ? これから目の前で再現されようとしてるんだよ? 剣の道を志す少女たちにとって、それがどれほどのことか……。みんな目を皿のようにして、真綾ちゃんたちの一挙手一投足を見守ってるんだよね。そりゃまあ、真綾ちゃんはもちろん、立花さんも見た目が結構カッコいいからね、さらに気分が上がるってもんか。


 お、始まるぞ――。

 真綾ちゃんたちはお互いに礼をすると、腰に持った竹刀を抜くようにしながらゆっくりとしゃがみ、蹲踞(そんきよ)という、両足の踵を上げてしゃがんだ中段の構えみたいな姿勢になった。――私は何度やってもコロンと転げて、この姿勢がなかなかできなかったのだが、今となってはそれもいい思い出である――。

 それからふたりは、お互いの剣先を合わせたまま、スーッと真っすぐ立ち上がる。真綾ちゃんと立花さん、非凡な剣士ふたりが作るその美しい光景は、何かの宗教儀式みたいな神聖さを感じさせた。

 ちなみにこの試合、審判はいないよ。立花さんが「せんでもよかよか。勝ち負けは自分でわかるけん」と、審判を買って出た碧川先輩に言ったからね。きっと立花さんは、ふたりだけの時間を楽しみたいんじゃないかな。


「っしぇあぁぁああ!」

「……」


 鼓膜がビリビリするほどの掛け声を立花さんが出すと、真綾ちゃんは沈黙でそれに応じた。……うん、真綾ちゃんだ。

 去年の練習で真綾ちゃんが碧川先輩を最も悩ませたのは、彼女がひたすら無言を貫き通すことだったんだよ……。彼女らしいって言えば彼女らしいんだけど、剣道では、今の立花さんみたいに気合いの入った掛け声を出さないと、気勢不充実と審判員に取られてしまって、せっかくの打突が無効にされちゃうからね。……でも、これが真綾ちゃんには難しいらしくて、「ヤー」とか「トウ」とか、これっぽっちも気合いの感じられない棒読みの声が、ボソッと口からこぼれ落ちるだけだったんだ……。

 まあ、特訓の結果、なんとか打突時だけは、それなりの掛け声を出せるようになったんだけどね。


「花ちゃん、今ふたりが何をやってるか、わかるかな?」

「えっと……立花さんが仕掛けようとして、それを真綾ちゃんが上手く制してる……のかな?」


 審判を断られて解説役に徹することにしたらしい碧川先輩が、私の横からコソッと問いかけてきたので、私は思ったことをコソッと答えた。

 立ち上がってから、ふたりに大きな動きはない。とはいえ、アニメとかであるようにピタッと停止して相手の動きを読むんじゃなくて、常に流れるような足捌きでポジションの取り合いをしてるし、立花さんの剣先や手元が時々ピクッと動いている気がする。


「うん、よくできました。でも、仕掛けようとする動きの中に、かなりフェイントも混ぜているんだよ。――だけど、さすがは姫様、それを完璧に見抜いている。それに対して立花もまったく本物の隙を見せないから、姫様も攻めづらいだろうね」

「へー」


 なるほどー。そう言われるとたしかに、真綾ちゃんが立花さんの動きに応じるときとそうでないときがある……気がする。正直、私じゃわかんないよ。

 そんな感じで静かな攻防がしばらく続いたあと――真綾ちゃんの竹刀がスーッと上がり、前に出ている足が右足から左足に切り替わった。


「あ、出た、上段……」


 剣道の基本は中段の構えだ。そこから水のように千変万化できる中段と違い、上段はそのあとの行動が極端に制限されてしまうからね。そのうえ、すぐ目の前にいる相手に胴と喉をさらけ出さなきゃなんないから、必要な胆力もハンパない。だから実力も胆力もない人がカッコつけて上段に構えても、相手のちょっとした動きに焦ったりして破綻しちゃうんだって、前に碧川先輩から教えてもらったことがある。

 でも――。


「真綾ちゃんの上段、恐いんだよね……」


 私は上段に構えた真綾ちゃんと稽古したことがある。

 小柄な私からすれば、ここを打て! と言わんばかりにガラ空きの胴が目の前にあるんだけど……打てないんだよ、コレが。

 ただでさえ大きい真綾ちゃんが、上段に構えたとたん、山みたいに膨れ上がるんだ、冗談じゃなく。しかも私の頭上から、オシッコ漏らしそうなくらいものすごいプレッシャーが重~くのしかかってくる。それでヤケになって打ち込もうとした瞬間、パンッ! って、手加減してくれた真綾ちゃんの竹刀が私の頭に当たっていたんだよ、すでに……。


「そう、花ちゃんは知ってるよね。攻撃に特化した構えである上段にはデメリットもあるけどメリットもある。――まず、威圧感がすごい。それに呑まれた相手は崩れてしまうんだ。――次に、恐ろしく速い。上段からの面は他の技と違って、左足を継ぐとか腕を上げるとかの予備動作が必要ないからね。だから技の起こりを見てから応じるのがとても難しい。――そのうえ片手面のリーチはとても長いし、威力も大きい」


 解説キャラと化した碧川先輩が、私のつぶやきを聞き逃さなかった。

 そうなんだよねー、真綾ちゃんの上段って、ムッチャ恐くてチョー速いんだよ。……もちろん漏らさなかったよ。


「――姫様のように、長身で極めて身体能力に優れ、そのうえ胆力も機を見る目も充分ある。そんな人が上段を使えば、これほど恐ろしい構えはない。――面すり上げ面や面返し面だと姫様の速さに遅れる。出小手は姫様も警戒しているから応じ技を喰らうし、面返し胴もやっぱり遅い。相面は背の高い姫様が有利だし、突きも出頭面を貰うぞ……どうする? 立花」


 先輩、たいへん素晴らしい解説、ありがとうございます……。




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