第四〇話 鎮西からの訪問者 一
「――だから粒あんも捨て難いんだよ」
「わかる」
半分になった鯛焼き片手に私がアツく語るあんこ論を、真綾ちゃんはしみじみと頷いて支持してくれた。もちろん彼女の鯛焼きは、すでに胃袋の中を遊泳中だよ。
「こしあんと粒あんに優劣なんか無いんだよ。みんな違ってみんないい、それでいいじゃないか。ラブエンピースだよ。――真綾ちゃんならわかってくれると、私、信じてたよ」
「あんこは正義」
私たちがガシッと堅く手を握り合ったのは、去年卒業した小学校の校庭にある青いジャングルジムの上だ。
ゴールデンウイークが始まったにもかかわらず、今日どこにも行く予定のなかった私たちは、久しぶりにここへ遊びに来ているのだ。ここには中学校の校庭と違って遊具があるからね~。
「あんたたち相変わらずね~。まあ、元気そうで安心したわ。それじゃアタシ、仕事に戻るから――」
そう言って色っぽく微笑んだのは、オパイ神……白井先生だ。ゴルデンウィークだというのに今日は仕事らしく、出勤していた先生は、校庭に私たちの姿を見つけると、こうして鯛焼きを差し入れてくれたのだ。やはり神のごときお方である。
「――たまには顔、見せに来なさい。じゃ」
「へへー! お仕事頑張ってくださいね~。鯛焼きありがとうございました~」
「ありがとうございました」
片手をヒラヒラさせながら校舎へと去っていくオパイ神様の、なんとも色っぽい背中に、私たちがジャングルジムの上から両手を合わせていると――。
ドドドドド、と土煙を上げて、剣道着らしきものを着た何者かがこちらへ突進して来るのが見えた。
「……てー…………げーてー……」
「なんか言ってるね」
「うん」
その何者かは、必死に何やら叫びながら近づいているようだ。
「……にーげーてー……」
「あ、逃げてだって」
「うん、……巴さんみたい」
あ、ホントだ。真綾ちゃんの言うとおり、小学校の校庭を爆走して来るのは、なぜか剣道着を着ている、女子剣道部前主将の碧川巴先輩だった。
でも、碧川先輩はこの春に中学校を無事卒業して、たしか福岡の高校に進学したはずなんだけど……あ、そうか、ゴールデンウィークだから帰省してきたのか。あっちから走って来たってことは、後輩たちの練習を見てあげてるんだろうな。面倒見のいい碧川先輩らしいや。
私が納得している間にジャングルジムの前まで来ると、ズササササ~、と急停止した碧川先輩は、いきなり真綾ちゃんにピシッと頭を下げた。
「お久しぶりです姫様。不肖碧川、帰省してまいりました!」
……うん、相変わらず真綾ちゃんに対しては忠犬みたいだね、この人。
「お久しぶりです、巴さん」
「お久しぶりです先輩、帰省してきたんですね。なんか、ムッチャ元気そうで安心しましたよ」
真綾ちゃんと私が声をかけると、碧川先輩は嬉しそうに顔を上げた。
「花ちゃんも元気そうで良かった。今朝、夜行バスで着いたところなんだよ。やっぱり生まれ育った町が一番落ち着く…………違う! 悠長にしゃべっている場合じゃない! 姫様、今すぐお逃げくださ――」
話の途中で何か重要なことを思い出したらしく、碧川先輩が慌てて何か言いかけた、その時――。
ドドドドド、と土煙を上げて、剣道着らしきものを着た何者かがこちらへ突進して来るのが見えた。あれ? あの人、剣道着らしきものを着た人をひとり引きずってない?
「…………まーやー……」
「あれ? 何か言ってるね」
「うん」
「駄目だったか……」
何かを叫びながら近づいてくるそれを見て、碧川先輩が苦虫を噛み潰したような顔をした。なんだろうね?
「……らじょーもんまーやー!」
「真綾ちゃんの名前だね……あ、落ちた」
「うん、誰だろう?」
引きずられていた人がボテッと脱落すると、真綾ちゃんの名を呼ぶ何者かはさらに勢いを増して接近してきた。
やがてその人はジャングルジムの前でズササササ~、と急停止すると、真綾ちゃんをビシッと指差した。おや? ……この人って、たしか……。
「羅城門真綾! 今からうちと勝負するっちゃ!」
そう言って、獲物を前にした鷹のような鋭い眼光で真綾ちゃんを突き刺すと、不敵な笑みを浮かべた、その人物は――。
「……あ、ゲップの人」
「しぇからしか!」
――去年の夏、剣道の全国大会で真綾ちゃんに頭をカチ割られていた、中学剣道の絶対女王、立花さんだった……。
◇ ◇ ◇
「羅城門、碧川から聞いたばってん、なして剣道部辞めたと?」
「……」
「立花! 姫様がお困りだ、失礼な! 去年は私のワガママで臨時入部していただいただけだと言っただろう」
「そげに言わんでもよかろうもん、減るもんやなし。それにうちはこん羅城門に聞いとるんやけんね。――近う寄って見たらまあ、ほんなごとキレか顔やね~。博多人形んごたる上モンったい」
「ああっ! 離れろ!」
真綾ちゃんとガッシリ腕を組んで、小学校のとなりに建つ中学校へ連行していく立花さんと、それを看過できない碧川先輩が言い争っていた。
それにしてもこの人たち……デカイな~。身長一八〇センチの真綾ちゃんといるから小さく見えるけど、碧川先輩と立花さんも一七〇センチ以上ありそうだよ。ひとり一〇センチずつ分けてくんないかな~。
まあ、それはともかく、なんで碧川先輩が福岡の立花さんと親しげに話しているのかというと――。
去年の全国大会準決勝で惜しくも敗れたとはいえ、中学剣道の絶対女王と呼ばれるゲップ……じゃなかった、立花さんと、壮絶な死闘を繰り広げた碧川先輩は、女子剣道の名門である福岡静林館学園の高等部からお声がかかり、スポーツ特待生として入学したんだよね。つまり、このふたりは今、同じ剣道部の仲間なんだって。
「……まあ、答えんでもよかよ、うちにはわかるけん。羅城門、アンタ、剣道部辞めても修練ば積んどったやろ? 前よりさらに迫力ば増しとう、それも得体んしれんえずか迫力ばい。どんだけ強うなっとうか、ワクワクするったい」
この人……鋭いな。真綾ちゃんが熊野さんと召喚契約したのを、なんとなく感じ取ってるのかもしんないぞ。……さすがは中学剣道の絶対女王ってとこか。
「姫様、申しわけございません……。コイツ、姫様とまた試合すると言って、問答無用で私の帰省についてきたんです。ホントもう、私がいくら止めても全っ然、聞いてくれなくって……。仕方がないので、一緒に来てくれた由布が引き止めている間に、私が姫様をお逃がししようと思ったんですが……」
碧川先輩はすごく申しわけなさそうな声で真綾ちゃんに謝ると、私たちの後ろからトボトボついてくるボロ雑巾を、ものすご~く申しわけなさそうな表情で見つめた……。
「家に帰りたか……」
あ、ボロ雑巾がボソッとしゃべった……。この人が立花さんを引き止めてくれてた由布さんらしい。さっき校庭で振り落とされたせいで全身土まみれの悲惨な状態だ。かわいそうに……。
それにしても……私はこの由布さんっていう人のこと、どっかで見た覚えがあるんだけどな~、どこだっけ? やっぱ去年の全国大会だとは思うんだけどな~。
「由布、すまなかったね……。学校にシャワー室があるから案内しよう、そこで着替えるといいよ」
「うん……」
相変わらず面倒見のいい緑川先輩が痛々しげな眼差しで声をかけると、ボロボロの由布さんは小さく頷いた。
なんか、ホントにいたたまれないな、私も思いきって声をかけてみるか。
「あのー、怪我とか、ないですか?」
「えっ? ああうん、大丈夫……」
人見知りなのか、由布さんは私から顔を逸らすようにして答えた。私って、こういう奥ゆかしい人、結構好きなんだよ~。
今は全身土まみれだけど、よく見たら髪の毛とかもちゃんと手入れしてるようだし、密かにクンカクンカしてみたら道着姿なのにちょっぴりいい匂いがする。女子力高そうなお姉さんだね、いかにも剣豪って感じの立花さんとは対照的だよ。
ひょっとしたらこの人、立花さんの暴走を心配して、わざわざ福岡からついてきてくれたんじゃないかな? いい人じゃん、……きっと苦労してるんだね。
「心中お察しします。規格外な友人を持つと、ホント苦労しますよね……」
「……ううっ、なんていい子。……ごめんなさい……」
同類相憐れむ気持ちでしみじみと言う私に、由布さんは両手で顔を覆いながら謝った。 友達が迷惑かけてゴメン、的なヤツだね……わかるよ。
「しかし立花、人ひとり腰にぶら下げて、よくあのスピードで走れるね」
碧川先輩が呆れたように言うと、立花さんはカラカラと笑った。
「まあ、鍛え方が違うけんね。碧川も足腰の鍛錬ばもっとしたほうがよかよ、足腰は大事やけん。――あ、ばってん京子、ちょこっと重とうなったんやなか? また薬院あたりのカフェで食い過ぎ――」
「せからしかっ!」
あれ? 今、立花さんの言葉に素早く反応した由布さんの顔が、秋田名物なまはげに見えたような……。
あ、私の視線に気づいた瞬間、また顔を逸らした。……まあ、こんな女子力高そうな人が、なまはげのはずないか……。
などと思っているうちに、中学校の武道場に到着した。
近年はすっかり下火になったけど、かつてこの町は尚武の気風が強かったそうで、うちの中学にも結構立派な武道場が立っているんだよね。時代劇に出てくる道場みたいな渋い日本建築だよ。
ちなみに、ここまで来ればもう逃げないだろうと思ったのか、立花さんは真綾ちゃんの腕をリリースしている。立花さん、そこまで真綾ちゃんと試合したいのか……。まあ、去年は真綾ちゃんが個人戦に出てないの知って、この人、すっごく荒れてたらしいからな~。
「私は由布をシャワー室まで案内してきますので、姫様たちは道場の中で少々お待ちください。――じゃあ由布、行こう」
「うん……」
由布さんを案内していく碧川先輩を見送った私たちは、言われたとおり武道場玄関の唐破風屋根をくぐった。
「なんか懐かしいね、真綾ちゃん」
「うん」
思えば去年の夏、私たちも女子剣道部員として毎日ここに通ったんだよね。この古い木造建築独特の香り、懐かしいな~。
去年の全国大会における女子剣道部の活躍ぶりは、予想した以上に反響が大きくて、実はあのあと、大会を観たっていう入部希望者が何人も来てくれたんだよ。火野さんの話では、嬉しいことに今年の新入生もたくさん入部してくれたとか。
もちろん、憧れの姫様である真綾ちゃんがもう退部していることを知り、辞めていった人もいたそうだけど、残ってくれたのはみんな、火野さんたちの懸命な姿を観て心動かされた人たちだ。――みんなの頑張りは無駄じゃなかったわけだね。
そういうことで、女子剣道部には現在、碧川先輩のあとを継いで主将になった百園先輩以下、十二名もの部員がいるはず、なんだけど……。
「あれ? 『今年もゴールデンウィーク返上で練習や!』って、火野さん張りきってたけど……誰もいないのかな、やけに静かだよ。――たのもー」
しんとした武道場内の様子に首をかしげながら、使い込まれた引き戸をガラガラと引き開けた私は――。
「え……」
――戸口で固まってしまった。……だって、道場の中には、剣道の防具を身に着けた死体が十二体、転がっていたんだもん……。
どうも、作者です。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
さて、いよいよ真綾たちも中学二年生になり、今回はあの人たちが再登場しました。書いていて面白いキャラだったので、出してみたかったんです……。
そんなわけで、これからも真綾たちのことを、温かく見守っていただけると幸いです。
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