第三七話 宮島パラダイス 七 プチガミ様
きらびやかな衣装を身に纏った幼い三つ子が、物欲しそうに指を咥えてお店の中を覗き込んでいる。それぞれがマイカーならぬマイ鹿の背にチョコンと跨がって……。日常生活において、これほど目を引く光景も、なかなかお目にかかれないだろう。
だというのに、お店の人も商店街を歩く観光客も、誰ひとりとして彼女たちに気づいた様子がない。それでいて、ぶつからないように観光客がちゃんと避けているあたり、なんらかの不思議な力が働いているのだろうか……。
「うん、間違いない、やっぱり昨日の夜に見た三つ子の神様たちだね。……もうこれからはプチガミ様と呼ぶことにしようかな、可愛いし」
「賛成」
などと声を潜めて真綾ちゃんと話しながら、よくよく見れば、彼女たちが覗き込んでいるお店は、ネットやガイドブックでもよく紹介されているオシャレなコロネ屋さんだった。ホント何やってんだろね、プチガミ様は。
私たちがジックリ観察していると、ふと、同時にこちらを向いた彼女たちは、そのままコロネ屋さんに首を戻そうとして……またこちらを向いた! 息の合った見事な二度見だ、さすが神。
私たちのことを認識したとたん、しまった! という顔をすると、プチガミ様たちはワタワタと慌て始めた。逃げる気だね……。
「確保!」
「ラーサー」
彼女たちがワタワタしている間に、私の号令で飛び出した真綾ちゃんは一瞬で距離を詰め、その長い腕でプチガミ様たちを一網打尽に抱え上げた。驚くべきことに、彼女が左手に持っていたソフトクリームはすでに口の中だ!
「何をする無礼者、我らは神ぞ!」
「とく離すのじゃ」
「心地よい……」
真綾ちゃんの腕の中で力無く手足をぶら~んと下げながら、プチガミ様たちは、ピーチクパーチクと口々に可愛らしい抗議の声を上げていらっしゃる。……目を細めてまんざらでもない様子の三柱目を除いて。
「その神様がこんなところで何してたんですか? 物欲しそうな顔で」
「そ、それは、その……ホレ、アレじゃ、ドサ回りじゃ」
「焦るなタゴリ、それは違う、見回りじゃ」
「よき匂い……」
昨夜あれだけド派手な演出で別れた私たちに、商店街で物欲しそうにしている姿を見つかったのが、よほど気まずいのか、彼女たちはキョロキョロと目を泳がせながら答えた。真綾ちゃんの腕の中で幸せそうにくつろいでいる三柱目を除いて……。
あのマイペースな子、昨日も三番目にしゃべってた子だよね、絶対。
すると、それまで口をモグモグさせつつ静かにプチガミ様たちを抱き上げていた真綾ちゃんが、ゴックンしてから口を開いた――。
「コロネ、食べたいの?」
そのド直球な質問を聞いたとたん、三柱目を除く二柱のプチガミ様が顔を赤くして、自分たちの頭上にある真綾ちゃんの顔をバッと見上げる。
「な、何を血迷うたことを! 我らは神じゃ!」
「さようなもの、欲しがるはずが――」
「コロネ食べたい」
「…………」
「…………」
精一杯強がっていたらしい二柱も、三柱目が正直に言うと、さらに顔を赤らめて黙ってしまった。プチトマトみたいだね。
しばしの沈黙のあと、プチトマトたちが口を開いた。
「供物ばかりでは飽きるのじゃ、たまには違うものも食べたいのじゃ!」
「供物にコロネやアイスはないからの……」
「コロネ食べたい」
ついにプチガミ様たちは、真綾ちゃんの腕の中で本音をぶっちゃけた。昨夜、ド派手かつ神秘的に退場された神々しいお姿は、そこにカケラさえ無かった…………。
ハァ、しょうがないなぁ――。
「じゃ、ちょっと待っててね」
プチガミ様たちの威厳もヘッタクレもない様子に、もう相手が神様であることを忘れることにした私は、彼女たちに敬語も使わずそう言ってから真綾ちゃんに頷いた。
私に頷き返すと、プチガミ様たちを降ろし始める真綾ちゃん。その様子を確認し、私はオシャレなコロネ屋さんの中に入っていった。
◇ ◇ ◇
「ほい、どうぞ」
私はお店から出ると、それぞれマイ鹿の背に戻っているプチガミ様たちに、買ってきたコロネをひとつずつ渡していった。
ちなみに真綾ちゃんは、私が出てきた瞬間、お店にササッと入っていったよ。きっと自分のコロネを買うためだろう。
「お、おぉぉぉ……」
「コロネじゃ……」
「コロネ……」
プチガミ様たちは、私が渡したコロネをちっちゃい両手で大事そうに握り、キラキラと瞳を輝かせて見つめている。よほど感動したのか、体も文字どおり輝いているね……。
「よ、よいのか? あとから返せと言われても、返さぬぞ」
「言わないって。――昨日は真綾ちゃんのこと、ありがとう。これはそのお返しだよ」
タゴリと呼ばれていた一柱目のプチガミ様が、しっかり両手で握ったコロネを私から遠ざけながら、疑うような目を向けてきたので、私は苦笑交じりに否定してから昨夜のお礼を言った。
昨夜、このちっちゃな神様たちは、私の大切な親友の助けになるような何かをしてくれたらしいのだ。コロネをおごるくらいお安いもんだよ。
「うむ、殊勝な心がけじゃ、今のそなたは、みみっちくないぞ」
「しょっぱくない」
「小さくない」
「…………なんか、釈然としないけど……まあ、いいか。――おあがりよ!」
コロネひとつで見事に手のひらを返したプチガミ様たちは、私がバッと両手を広げたのを合図にして、小さな口で一斉にコロネにかぶりついた。
「うま~」
「美味じゃ~」
「ほわ~」
ひとくち目をゴックンした彼女たちは心底幸せそうな表情で感想を述べた。みんな仲良く口の端にクリームをつけて。
そのまましばらく放心していたかと思ったら、彼女たちは再起動すると、モシャモシャと本格的にコロネを食べ始めた。
小動物みたいでとても可愛らしいその姿を、私は脳内のハードディスクに最高画質で記録する。いつの間にかコロネを買って帰ってきていた真綾ちゃんも、自分のコロネを食べながら録画中だ。
ちなみにこのコロネ、昔からパン屋さんにあったチョココロネとはちょっと違う。パイ生地みたいなサクサク生地で作った円筒形コロネの中に、あんことカスタードクリームがたっぷり入っているのだ。ものすごくおいしそうなのだ。
ホントに自分のチンケな胃袋が恨めしいよっ! くそぅ。
プチガミ様たちが小さなお口でモシャモシャとコロネをかじるたびに、パイ生地のカケラがパラパラと鹿たちの背中に落ちているんだけど、神様のマイ鹿だけあって上品そうな三頭の鹿は、ヌボーッと大人しく立っている。それでいいの? 鹿。
などと、鹿の背中を心配していた私は、真綾ちゃんが両手にコロネを持ってお店を出てきていたことを思い出した。
あーこれ、今食べてないほうのコロネは、たぶん私のために買ってきてくれたんだろうな。ホント優しいね、真綾ちゃんは。
でもごめんね、さすがに私、今はまだお腹がいっぱいなんだよね――。
「ごめんね真綾ちゃん、そっちのコロネだけど――」
「こっちは抹茶味」
「…………」
私が真綾ちゃんからのせっかくの厚意を遠慮しようとしたら、彼女はものすごく真剣な顔で、まだ食べていないほうのコロネを見せてくれた。どうやら彼女は、別の味も堪能したかっただけらしい……。くそぅ。
「ひとくちどうぞ」
「…………サンキュ」
私がちょっとイジケてたら、真綾ちゃんは抹茶コロネをそっと差し出し、お裾分けしてくれた。サクサクパイ生地の中に、あんこと少しほろ苦い抹茶クリームがたっぷり入っていたコロネは、そりゃもう、すごくおいしかったよ。
◇ ◇ ◇
コロネを食べ終えてゴキゲンなプチガミ様たちが、「お礼に良いところを教えてやるからついてくるのじゃ」とおっしゃったので、私と真綾ちゃんは、鹿に跨がったまま先導し始めたプチガミ様たちの、ちっちゃい背中についていった。
しばらくするとプチガミ様たちは、商店街の脇道を少し入ったところにある、オシャレなジェラート屋さんの前で鹿を止めた。
「よし着いたぞ、ここじゃ。二十種類近くあるから存分に堪能するがよい」
「前々から気になっていたのじゃ」
「広島レモン味食べたい」
一柱目のプチガミ様は小さい胸を張ってちょっと恩着せがましく言ったけど、二柱目と三柱目の言葉から容易に想像できる……。
「自分たちが食べたかっただけ、なんだね」
「…………」
図星だったようだね、一柱目のプチガミ様がプチトマトになった。――ホント可愛いなぁ、しょうがないなぁ。
どうやら私は、昨夜お世話になったことを抜きにしても、この可愛らしいプチガミ様たちのことがすっかり好きになってしまったようだ。
そしてそれは、真綾ちゃんも同じらしい――。
「好きなの選んでいいよ」
優しくそう言った真綾ちゃんは、プチガミ様たちを三人まとめて抱き上げると、ジェラートがよく見えるように、店内にあるショーケースのすぐ前まで連れていった。真綾ちゃんに抱き上げられるのが気に入ったのか、それともジェラートにありつけることが嬉しいのか、プチガミ様たちはみんなニコニコしている。
力自慢のママとその子供たちみたいだ……などと思い私がほくそ笑んでいたことは、死んでも真綾ちゃんには言うまい。
オーダーが決まったプチガミ様たちをそっと鹿の背に降ろすと、真綾ちゃんは店員さんに注文を始めた――。
「これと、これと、これを先にひとつずつ。あとから全種類をひとつずつください」
「えっ?」
真綾ちゃんの美貌に見惚れていた女性店員さんは、目の前にいる美人のお口から流れ出た無茶苦茶な注文内容を聞いても、にわかに理解ができなかったようで、ちょっと驚いたような声を上げた。
「これと、これと、これを先にひとつずつ。あとから全種類をひとつずつください」
「…………はい」
感情のまったく感じられない声と表情で真綾ちゃんが注文を繰り返すと、彼女から有無を言わせない何かでも感じたのか、店員さんは考えることをやめて、ひたすらジェラートをほじくるマシーンになった――。
「はい、どうぞ」
「お、おぉぉぉ……」
「ジェラートじゃ……」
「広島レモン味……」
真綾ちゃんからジェラートを受け取ったプチガミ様たちは、コロネの時と同様、瞳と体を輝かせては感動に打ち震えている。……可愛くてタマラン、同じ神様でも、いつぞやの貧乏神とは雲泥の差だよ。
――さて、私は商店街を歩き始めた当初、いかに真綾ちゃんといえども、胃袋と時間の都合上、表参道商店街を制覇するのは絶対に無理だと思っていた。
ところが、一軒目のもみじまんじゅう屋さんで私は見てしまった、真綾ちゃんが口元まで運んだもみじまんじゅうの……消える瞬間を! これなら、もし知らない人が見ても、異常な早食いくらいには思われるだろうけど、おそらく……たぶんセーフだ。
そう、彼女は、あとで食べるぶんを【船内空間】に収納することで、本当に商店街制覇をやってのけようとしているのだ。……なんて恐ろしい子。
だがしかし、もみじまんじゅうや牡蠣ぐらいのサイズならそれも可能だったけど、それなりに大きい、それも二十種類近くもあるジェラートを、これから彼女はどうやってごまかすというのだろうか?
私は目を皿のようにして見守った――。
「おまたせしました、宇治抹茶です」
「はい」
ジェラート全種類の一番目を店員さんから受け取った真綾ちゃんは、それをそのまま口元まで運び……消した!
「直球勝負かっ!」
いかんいかん、な~んの工夫もない直球ストレートを真綾ちゃんがぶん投げたもんだから、私は思わず突っ込んでしまったよ……。でも、今の不自然極まりない消滅を店員さんに見られてたら、さすがにマズイよね――。
「カフェオレです」
「はい」
あ、あれ? ジェラートほじくるのに夢中で見てなかったのかな? 店員さんは気づいた様子もなく、次のジェラートを真綾ちゃんに渡したよ?
それをさっきと同じように、真綾ちゃんは口元で消滅させる……。ア、アカン、今度こそバレた……。
「黒ゴマです」
「はい」
私の心配をよそに、そのあとも店員さんは、不自然な消滅をまったく気にせず、ジェラートを作っては渡し、それを真綾ちゃんは次々と消していった。……わんこそば?
「あ、そういうことか」
私は理解した。――さっき店員さんは、目の前で真綾ちゃんが目立つ衣装の三つ子をまとめて抱っこしているのに、そのことに関してはカケラも気にしていない様子だった。今も、店先でマイ鹿に乗ってジェラートを食べているプチ神様たちのことを、全然気にした様子がない。……これ、プチガミ様の神力だ、きっと。
「ありがとね」
仲良くジェラートの回し食いをしているプチガミ様たちに、私が小さな声でお礼を言うと、彼女たちはピッタリ同時にサムズアップした。キリッと凛々しい表情だけど、お口の周りはジェラートでベトベトだよ。
「おまたせ」
最後のジェラートを収納せず片手に持った真綾ちゃんが出てきた。ジェラート全種類制覇したからか、満足そうだね。
「じゃ、商店街に戻って、食い倒れ続行だよ!」
「おー」
「おー!」
私の言葉に応じた真綾ちゃんに続いて、さも当然のように、ちっちゃい右拳をピッタリ揃って突き上げる、プチガミ様たちであった…………。