第二六話 召喚 四 能力の検証だよ
お腹がいっぱいになった私たちは、熊野さんにも協力してもらって、召喚能力などの検証をすることにした。――ナニカから真綾ちゃんを守らなきゃいけないみたいだし、私は鬼にだってなるよー!
そういうわけで、私たちは検証がしやすいように、ブリッジデッキの後方に位置する一等体育室という部屋に上がってきていた。
あ、ブリッジというのは、船の操縦室? 指揮所? まあ、なんかそんな感じのとても重要な場所で、ブリッジデッキってのはブリッジがある甲板のことね。
一等体育室というのは、一等船室以上のお客さんが使えるジムのことで、ダンベルやらバーベルやら腹筋台やら、私には生涯縁のなさそうな暑っ苦しい器具が、広い部屋の中に整然と並んでいる。
ちなみに、体育室のすぐ前は屋外エリアになっていて、窓から見えるプールに張られた水のキラキラとした輝きと、その横に並んだデッキチェアが、これでもかというほど夏のリゾート感をかもし出していた。――外、暑そうだな~。
「それでは熊野さん、まずは熊野さん本体のスペックから教えてください」
「はい、諸元ですね。全長二四九メートル、全幅……メートル、総トン数……トン」
あれ? ちょっと聞こえなかったよ。
「ごめんなさい熊野さん、聞き逃しました。全幅と総トン数のところ、もう一度大きな声でお願いします」
「全幅……」
「はい? よく聞こえませんね、もーいちど、おーきな声で」
「……シクシク」
「花ちゃん、もうやめてあげて」
あらら、熊野さん泣き出しちゃったよ、真綾ちゃんがなんとも言えない顔をしてこちらを見ているよ。
「あ、うん、レディに体重とか聞くの失礼だったよね。なんか、熊野さんごめんなさい」
「……いえ、花様、こちらこそ申しわけございませんでした。大切な真綾様のためだというのに、わたくしとしたことが……」
私に謝る熊野さんの声は、何か吹っ切れた感じがする。
「あ、でも、あまり言いたくないところは、無理しなくてもいいですよ」
「お気遣いありがとうございます。しかしながらこの熊野、真綾様のためならば、全幅や総トン数のひとつやふたつ、何が恥ずかしいものでしょうか!」
「熊野さん……」
熊野さん、全幅も総トン数も、ふたつはないと思うよ……。あと真綾ちゃん、軽く感動してるようだけど、それほどのことでもないんじゃないかな?
「……では、お願いします」
「全幅三三メートル、総トン数七万トン、――」
「おお! 結構あるな~」
「…………」
「あ、ごめんなさい、続けてください」
いっけね、口に出ちゃったよ。真綾ちゃんが口の前で指バッテンしてるよ。
う~ん、でも七万トンっていったら、現代の日本最大のクルーズ船より大きいんじゃないかな? あの史上最大の戦艦、大和でも六万トン台だったような……。
「花様、総トン数でございますからね、海軍の基準排水量や公試排水量とは、くれぐれも一緒にしないでくださいね」
「は~い」
そっか、基準が違うんだ、へー。
「……喫水九メートル。機関は、羅城門式重油専焼ボイラー六基、羅城門式高中低圧タービン二基二軸で、最大出力八万軸馬力、最大速力二六ノット、航続距離が一八ノットで一万二千海里。続いて、構造に移ります――」
まあ、構造といっても普通に商船構造だろうから、別に聞くまでもないだろう。熊野さんに言わなきゃ。
「あ、そこは――」
「六基のボイラーと二基のタービンはすべて独立した防水区画に設置。船底は二重底になっており、さらに――」
あれ?
「重要区画の防御構造として、水線下におけるボイラー室外板から舷側外板までの最大約九メートルの間は、六層に分かれていて、当然すべての層に鋼板が張られております」
あれれ?
「そのうち、舷側から数えて四層目の外板は三〇五ミリのVC鋼が傾斜角十九度で、六層目の外板は六〇ミリのNVNC鋼が垂直に取り付けられております。さらに、六つの層のうち、ひとつは重油槽に、残りの層のほとんどが注排水区画か水防、水密区画になっているため、結果として、最大九メートルの多層防御構造であると言えるでしょう」
……熊野さんって、ただの貨客船だよね? 民間の。
「あのー、熊野さん、ちょっとおかしくないですか?」
「失礼いたしました、さすがは花様ですね。――もちろん、外側の五層については縦横に細かく区画分けがされておりますし、船体それ自体の隔壁も多くなっておりますので、被害を最小限に抑えることが可能です」
「いえ、そうじゃなくて……」
「なるほど、垂直防御ばかりではご心配ですね、さすがは花様。――水平防御としましては、重要区画の上層である中甲板が、一二〇ミリのNVNC鋼と七八ミリのHT鋼を張り合わせて使用しており、その二層上の第零甲板にも、ささやかではございますが、三五ミリのNVNC鋼が張られております。それから――」
……もう、いいや。
◇ ◇ ◇
それからも、熊野さんによる説明がしばらく続いた。
その間、真綾ちゃんは腕を組んで黙って聞いていたけど、キリッと凛々しい表情の下では、きっと今日の三時のおやつについて悩んでいたに違いない。
熊野さんの説明で私にわかったのは、当時の羅城門家当主夫妻、たぶん、私が真綾ちゃんちの書斎にあった写真で見た、彼女のひいおじいちゃんと、ひいおばあちゃんが、マジだったってこと。
だっておかしいよね、ただの貨客船の造りじゃないよ、熊野さんは。
ラノベその他の影響で普通の女子中学生よりは軍事知識がある私にはわかるけど、熊野さんの防御構造って、もう戦艦だよね。それも、当時の第一線級の……。
ミサイルや近接防御火器システムに守られている現代の軍用艦は、被弾しないこと前提で造られているから、構造的には商船とたいして変わらないし、装甲と呼べるものも無いんだけど、熊野さんの防御構造はノーガードで殴り合っていたころの戦艦並みだから、熊野さんとイージス艦がぶつかったら、確実にイージス艦のほうが沈んじゃうよね。
真綾ちゃんはさっき、「ヒグマが襲ってきても槍が降っても大丈夫」なんて言ってたけど、熊野さんに乗っている限り、現代の軍用艦相手の対艦ミサイルが飛んで来ても、たぶん大丈夫そうだよ。
戦艦並みの防御能力を、ただの貨客船である熊野さんに持たせて、真綾ちゃんのひいおじいちゃんたちは、彼女を何から守ろうとしたんだろう? ますます気になってしょうがないけど……。
うん、今はできることをしよう!
「熊野さん、ありがとうございました。じゃあ、次は検証に移りましょう」
「はい」
「教えてほしいんですけど、真綾ちゃんの特殊能力って、召喚だけですか?」
「いえ、その他にもわたくしと契約したことにより、真綾様にはいくつかの加護が与えられておりますし、上下船時の瞬間移動のように、本体を召喚している時に限った付帯能力もございます」
やっぱりだ、ラノベだと複数の能力か派生能力の獲得は常識だよ!
「その加護って、熊野さんの本体を召喚解除したあとも使えますか?」
「はい、本体の召喚解除後もわたくしの意識が真綾様とともにあることは、昨日すでに確認済みですから、問題なく。――では最初に、【並列計算】とでも申しましょうか、わたくしの並列計算能力と、さらに記憶容量を使用することが可能です」
それってすごくない? だって、これだけの船を安全に動かすのって、ものすごい数の人間が必要なはずだよ? そのうえ豪華貨客船だから、同時にたくさんの人が大量の料理を作ったり、いろいろなサービスをしなきゃならないんだよ? でも熊野さんは、たったひとりで同時に数百人分の仕事をこなしてるよね、一流の乗員とサービススタッフ全員分の経験と専門知識を持って。
熊野さんの計算能力と記憶容量っていったい……。
「真綾ちゃん、五三かける二三は?」
「わからない」
「……」
「……」
だめじゃん! この子ってば胸を張って即答したよ、答えになってないけどね。
「申しわけございません。真綾様のご意向で、普段はわたくしの演算領域を、可能な限り真綾様の意識と切り離しているのです」
「え、どうして?」
「自分じゃなくなっちゃうみたいで……」
真綾ちゃんは、ちょっとシュンとした感じの顔で私を見た。
そりゃそうか、熊野さんと意識が混じっちゃうみたいで怖いよね……。
「うん、そうだよね、たしかに怖いよね。わかったよ」
「うん」
私の言葉で気を取り直した様子の真綾ちゃんは、コクリと頷いた。
よし、気持ちを切り替えて検証再開だ! 私は天井を見上げて熊野さんに話しかけた。
「熊野さん、他の加護のことも教えてください」
「はい。次に、【見張り】と申しますか、――通常、航海中の船は、交代制で常に見張りを立てておりますが、それと同じように、真綾様はご自分の真後ろにあるものも視認することが可能です。さらに、実際に見張りが使用していた双眼鏡と同じ倍率で見ることも可能ですし、わたくしほどの大きさの船になりますと見張りの人数も増えますので、当然ながら能力のほうも、それに合わせたものになります」
おお、これも地味なようで使い勝手がよさそうだよ!
「ちょっと後ろ向いてくれる?」
「うん」
真綾ちゃんを後ろに向かせたら検証開始だ!
私は闇に生きる影のごとく、音もなく真綾ちゃんの後ろに忍び寄ると、彼女の両方の膝裏に手を当てた。喰らえ、忍法膝カックン!
「あれ?」
「……何してるの?」
おっかしいなー、この膝、びくともしないぞ。
後ろを振り返って私を見下ろす真綾ちゃんの言葉は無視して、私は渾身の力を両腕に込めた。
こうなったら究極奥義、真・膝カックン!!
「……」
「……」
なんてぇ膝だ、私の奥義が全く効いていない、……だと!?
「……真綾ちゃん、後ろ見えてた?」
「うん」
「じゃ、なんで避けなかった?」
「おもしろそうだったから」
あ、そーですか。
……見えてるんなら反応してよ、恥ずかしいじゃないか!
「とりあえず見えてるんだね? どんな感じ?」
「目で見てる映像とは別の映像を他の自分が見てる感じ?」
「そのあたりはわたくしが調整しておりますので、真綾様にはあまり違和感なく日常生活を過ごしていただけるかと」
真綾ちゃんが首をかしげて説明しにくそうにしていたら、熊野さんからフォローが入ったよ。
なるほど、こういうところで【並列計算】が生きるのか、便利だね。
……それにしても、ただでさえ勘が鋭い真綾ちゃんにこの加護が加わったら、絶対に不意打ちなんてできないよね。
「じゃ、他の加護もあったら教えて下さい」
「はい、わたくしが勝手に【船内空間】と呼んでいる加護がございます」
「なぬっ? 詳しくお願いします!」
「説明が難しいのですが……。現世とはまた別に、わたくし専用の空間が存在していると申しましょうか、その中に、真綾様が触れているものならなんでも収容することが可能なようです」
キター! これって、異世界転生、転移系ラノベの主人公たちが大抵持っている収納系能力だよね?
「く、熊野さん、それって、生物も収納できますか? 収納可能な大きさや重さは? 収納空間内の時間経過は?」
「花ちゃんヨダレ」
「はっ!?」
いかんいかん、興奮のあまり口の端からヨダレが出ちゃってた。真綾ちゃんがまたハンカチでふきふきしてくれたよ。ごめんね、いつも。
「そうですね~、収容限度は、体積ならわたくしの船体体積まで、重量だと七万トンくらいまで、でしょうか。生物の収容も可能なようです。時間経過については今のところわかりかねます」
そんなにかー! 無限空間じゃなかったのはちょっと残念だけど、うちの中学の校舎くらいなら軽く収納可能ってことじゃん、それだけあれば充分だよ!
「よーし、検証だ! 真綾ちゃん、あれ収納できる?」
「うん」
コクリと頷いた真綾ちゃんは、スタスタと壁際まで歩いて行くと右手を上げ、私の指差した壁掛け時計に触れた。
すると――その瞬間、時計が忽然と消えてしまったではないか! すごいよ、これ本物だよ!
「じゃあ、次はこれ、私が息を吐いたらすぐに収納ね」
「うん」
ヒヨコ型リュックから取り出したコンパクトを真綾ちゃんに手渡すと、私はその鏡面に息を吐いて白く曇らせた。すると、コンパクトは時計と同様に、一瞬で真綾ちゃんの手から姿を消す。
「次はあのダンベル、軸の部分だけ、収納してみて」
「うん」
専用台上に保持されているダンベルの軸部分を、私の言うままに真綾ちゃんが握った瞬間、重りの部分だけを残してそれは消えた。――思ったとおりだ。
「熊野さん、さっき収納した時計は一部分に触れただけで時計全体が消えたのに、今のダンベルは軸の部分だけを収納できましたよね? これって、収納するものを自由に選別できるってことでいいですよね?」
「はい、たしかに……」
「よし、真綾ちゃん、ハンカチ貸して」
「はい」
彼女がデニムパンツのポケットから取り出したハンカチを、私はフムフムと真剣にチェックした。 ……思ったとおり、ほんのり湿っているね。よし、間違いない、――私のヨダレだ!
「じゃあ今度は、付着した汚れを除いたハンカチだけを収納して、もう一度取り出すってできるかな?」
「やってみる」
湿り気を帯びたハンカチは真綾ちゃんの手の上で一度消滅し、またすぐに姿を現した。
私はそれを受け取ると、じっくり観察したり、手でモミモミしたり、クンクン嗅いでみたりした。
「……よし、成功だよ」
想像どおりの結果に、思わずニンマリする私……。そう、ハンカチにはシミのひとつもなく、私のヨダレによる湿り気も消え失せて、しっかり乾いていたのだ。
「すごいよ、これは」
「どういうこと?」
「なるほど……」
真綾ちゃんは小首をかしげているけど、さすがに熊野さんはもう気づいたみたいだね。
「どんなにガンコな汚れでも落とせる、そういうことですね花様」
「なるほど」
ふたりがキリッとした感じで言っているけど、そんなもんじゃないんだよ、この加護のすごいところは。
「そう。でも、それだけじゃないんだよ。んー、たとえば……着ている服の汚れだけを収納して、あとでその汚れをポイすれば洗濯いらずだし、収納するのが体の汚れだったらお風呂いらず、それから……」
「それから?」
熊野さんが緊張した声を出すと、真剣な表情で私を見つめる真綾ちゃんの、ゴクリとつばを飲み込む音だけが、しんと静まりかえっている部屋に響いた。
「万が一、登下校の途中で急に催してしまっても、真綾ちゃんはもう……トイレを探し回らなくてもいいんだよ!」
「!」
私がビシッと指差すと、普段は何ごとにも動じない真綾ちゃんの目が、クワッと大きく見開かれた。
「じゃあ、山菜採りのときも、全校集会のときも……」
「そう、真綾ちゃんは、いつもどおりの涼しい顔で体内のブツを収納したら……無事解決なんだよ! できますよね? 熊野さん」
「はい……はい、問題ないかと。…………花様、さすがです、人ならぬわたくしでは決してできない発想です。素晴らしい!」
熊野さんにムッチャ褒められちゃった。いやあ、乙女にとっては死活問題だからね、当然だよ。――あれ? 今、真綾ちゃん、ちょっとだけプルプルッてしなかった? 心なしかスッキリしたような表情なんだけど、気のせいかな……。
大食堂で葡萄ジュースを何杯もおかわりしてた彼女の姿を、今ちょっと思い出しちゃったけど……まあ、いいか。
「よーし、次、行ってみよー!」
「おー」
「お~!」