第二四話 召喚 二 エクトプラズム
回転しながら上昇する魔法陣の下から徐々に姿を現したそれは、でっかい魔法陣が消えた時には、完全な姿を私たちに見せていた。
あまりの衝撃にしばらく目が点になっていた私は、口から出ていたエクトプラズムをなんとか引っ込めると――。
「船……」
ひとことだけつぶやいた。……そう、私の瞳に映ったのは、静かな湾の真ん中で錨を下ろしている巨大な船だったんだよ。
私たちの位置からだと、船首がある甲板を真横から見下ろす形になるそれは、船首がある甲板より下の船体を黒に、上を白に塗り分けている。
見上げると、一番上には大きくて赤い煙突が二本、ニョキニョキと縦に並んで生えていて、前のほうの煙突からはモクモクと煙が上っていた。その煙突に黒で描かれているマークは、輪の中に翼を広げた三本足の鴉……。
船体の上にある建造物、たしか、船楼だったっけ? それがタンカーや貨物船のよりもはるかに大きいし、どう見ても客船っぽい形なんだけど、大きさからしてクルーズ船なのかな? でも、なんだろう? この違和感……。
私が前に横浜で何隻か見たことのあるクルーズ船たちにくらべて、救命ボートが並んでいる位置がかなり高いし、救命いかだを収納してあるカプセルっぽいやつも見当たらないような……。それから、外側にズラッと並んでいるはずの客室のバルコニーもないし、船楼部分もあれよりは小さめだ。
うーん、全体的にクラッシックっていうか、私が見たクルーズ船とは何かが違うというか、でも、こんな船を私はどっかで見たことがあるような……。うん、私、やっぱりこれに似た雰囲気の船をいくつか写真で見たことがあるし、横浜では実際に、係留保存されている船を見学したこともあるんだったよ。
そうだ、この船、現代のクルーズ船じゃなくて、ずっと昔の豪華客船だ! あー、スッキリ。
「びっくりした?」
「びっくりしたよっ!」
喉に刺さった魚の小骨が取れたようなスッキリ感を味わっている私に、真綾ちゃんがわかりきったことを聞いてきた。
目の前に突然でっかい豪華客船が召喚されてきたら、誰だってびっくりだよ! おかげでエクトプラズムが出ちゃったよ! ――ん、召喚?
「えーと真綾さん、この船って今、魔法陣から出てきました?」
「出てきました」
おぉぅ……。やっぱりこれ、私にとってはマンガ、アニメ、ラノベなどでお馴染みの〈召喚〉だ。…………あ、なんか、遅れて感動が来たよ、たしかに本物の魔法陣、カッコよかったよ。
ん? 感動してたら、船の中から紅白の旗が一本ずつ、フワフワと空中に浮かびながら出てきたぞ。
それから、いったん停止した紅白の旗が、バッ、バッ、とキレのある動きをし始めた。
「……」
「……」
バ、バッ、バッ、としばらく動き続ける旗を、私たちがボーッと見ていたら、ピタッと旗の動きが止まった。
「…………」
「…………」
あ、フワフワと浮遊しながら旗が帰っていった……。
セミの鳴き声だけ聞こえるのが、逆に静寂を感じさせるね。
「花ちゃん」
「うん?」
しばしの沈黙を破って、真綾ちゃんが話しかけてきた。
「あらためて挨拶がしたいから、船内に入ってだって」
「手旗信号かっ!」
どうやらさっきのは、手旗信号で私に挨拶してくれたんだね、わからなくてごめんね。でも……手旗信号を解読できる女子中学生って、少ないと思うよ。
「だけど、ここから船まで一〇〇メートルくらいは距離があるよ、どうやって中に入るの?」
「大丈夫」
そう言って真綾ちゃんが私の手を取った、次の瞬間――。
「瞬間移動……だと!?」
――私たちは、今までいたのとは違う場所に立っていたんだよ。
憧れの瞬間移動を体験してしまった私が思わず真綾ちゃんの顔を見上げると、彼女はひとつ頷いてから口を開いた。
「乗り降りのときだけらしいけど。――それより、よく見て」
私は真綾ちゃんに言われたとおり、あらためて自分たちが立っている場所を確認した。
目の前には、大きな階段があった。
上階の左右から下へと伸びたふたつの階段は、踊り場で合流してひとつの大階段になると、優美な曲線を描いて広がりながら、私たちのいる床に下りてきている。
大階段の踊り場の上、ちょうど私たちが正面を見上げた位置にある壁には、ギリシア神話の女神様のような女性が彫り込まれた、大きなレリーフが飾ってあった。
女性の右手には長い銛のようなものが握られていて、差し出した左手の人差し指から流れ出る水が、激しい水流を象徴したような背景につながっている。
海を神格化した女神様なのかな? 白い大理石製のきれいな顔が、ちょっと真綾ちゃんに似てるかも。
さらに上を見上げると、三階ぶんくらいの吹き抜けになっていて開放感がある。
高く折り上げられた天井それ自体が、幾何学的なデザインの枠に磨りガラスを嵌め込んで、その向こうの電球の光を透過する照明天井になっている。どうりで明るいはずだ。
吹き抜けになっているのは、幅七メートルくらい、長さはその倍、一四メートルくらいありそうな区画で、大階段に向かって立っている私たちの左右には壁がないから、吹き抜けになっていない向こうのほうまで見える。
左側を見たら、幅三メートルくらいの通路を挟んで向こうの空間には、いくつものソファーが並んでいて、そこに一台だけピアノが置いてあるのも見える。たぶんラウンジなのかな? 首を巡らすと右側もまったく同じ作りになっていた。
大階段の正面、つまり私たちの背後にはホテルのフロントっぽいのがあるから、この空間はなんとなく、海外の超高級老舗ホテルのエントランスホールって感じなんだけど、その作り込みがすごいんだよ。
床は細かい寄席木張りになっていて、なんていうのか知んないけど、幾何学的な模様がオシャレだし、大階段の手すり下にある黒い鉄製の植物的な装飾を始め、ちょっとした部分にまで丁寧な装飾が施されていて、素人目にもいっさいの妥協がない。これを手がけた職人さんたちの執念みたいなものを感じるよ。い~仕事してますなぁ~。
などと私が感動していると、校内放送が流れる前みたいな、ザザザ、という音が聞こえてきた。
『ようこそ、花様』
「わっ!?」
どこかにあるスピーカーから、いきなり私の名前を呼ぶ声が聞こえてきたもんだから、ちょっとびっくりした。
『初めまして、わたくしは、クマノと申します』
「あ、ども、斎藤花です」
クマノさんは、真綾ちゃんが言っていたとおり、とても澄んだ優しい声をしていた。うん、たしかにスーピーカー越しでもわかるくらい人柄が声に出てるね、悪い人じゃなさそうだよ。
『先ほどはたいへん失礼いたしました。真綾様のご友人にお会いできる喜びのあまり、つい手旗信号など……』
「あ、いえ、こちらこそ手旗信号解読できなくてごめんなさい」
うん、いい人そうだ、ムッチャ謝ってくれたよ。なんか、こっちが悪いような気がしてきたよ。
『それでは、大食堂のほうにお食事のご用意が調っておりますので、真綾様、打ち合わせどおり、ご案内よろしくお願いいたします』
「はい。花ちゃん、こっち」
「あ、はい」
早くお昼が食べたいのか、クマノさんが言い終わった瞬間に歩き始めた真綾ちゃんに、いそいそと私はついていった。
吹き抜けになっているエントランスホールのとなりに並行して、フロントの脇を抜けて延びる通路の両側には、装飾を施された柱が規則正しく並んでいる。こんな通路まで雰囲気抜群だね。
さっきまで私たちの後方にあったフロントの横に差しかかった時、通路の右側の扉が開いていて、中に生活雑貨やお菓子などを陳列しているのが見えた。売店かな?
「あとで、お菓子食べようね」
売店を覗き込んでいる私の横で、真綾ちゃんがちょっと嬉しそうに言うもんだから、私もなんだか楽しくなってきたぞ。
次に通路の右側に現れたのは両開きの扉で、さっきの売店よりも扉周りの装飾がすごくて、いかにも格調高そうだ。こちらの扉も開いているのでチラッと中を覗いてみると、なんか、銀座の高級老舗デパートみたいな雰囲気がした。――うーん、ここは、しがない中学生の私では恐れ多くて、とても入れそうにないな。
入り口の両側には大きなガラスのショーウィンドウがあって、その中にはきれいなドレスや日本の着物、バッグや装飾品なんかが飾ってある。扉のすぐ横にある金属製のプレートをよく見ると、『羅城門百貨店熊野丸支店』の文字と、どこかで見たことがある三本足の鴉のマークが彫ってあった……。
「……この船、熊野丸って名前みたいだね、じゃあ、クマノさんの名前は漢字でこう書くのかな?」
「うん、熊野さんがそう言ってた」
「……羅城門百貨店って書いてあるように見えるんだけど、これって、仁志おじさんとこだよね?」
「うん、熊野さんがそう言ってた」
「……」
真綾ちゃんの親戚、仁志おじさんは、世界的大企業である羅城門グループの現会長兼最高経営責任者で、前会長は真綾ちゃんのおじいちゃん、そして羅城門百貨店はその傘下にある……そうか、そういうことなんだろうか? 私、ちょっとだけわかったような気がするよ。
羅城門百貨店を過ぎると、目の前には両開きの扉があった。
金装飾が施された真っ白な二枚の扉には、それぞれ四角いパネルが三枚ずつはめ込まれていて、そのパネルも金のモールで縁取られている。これまた精緻な金装飾が施されたドアノブも金ピカだ。扉の周りにも細かな装飾があって、この先が特別な部屋であることを表していた。
真綾ちゃんのとなりで私がゴクリとつばを飲み込むと、だれも触っていないのに、目の前の重厚な扉は、ゆっくりと開いていった。
私たちは、その中へ足を踏み込んだ――。
◇ ◇ ◇
「…………」
私の開いた口から、本日三度目のエクトプラズムが出ていた。
「花ちゃんヨダレ」
「はっ!?」
気がついたら、真綾ちゃんがハンカチで私の口もとをふきふきしてくれていた。エクトプラズムと一緒にヨダレも出ていたみたいだ。
「ありがとね。でも、これは……」
私たちを待っていたのは、大階段があったエントランスホールの、さらに三倍は床面積がありそうな広い空間だった。
その部屋は、私が持っている『世界のもんげえ美しい宮殿とお城』という本の写真で見た、ヨーロッパの宮殿にある大広間そのもので、建築様式に詳しくない私にはよくわからないけど、イタリアのカゼルタ宮殿の部屋が一番似ているかもしれない。
部屋全体には、見るからにお高そうな大理石が惜しげもなく使われている。床の模様なんて塗料で描いたんじゃなくて、わざわざ色の違う大理石を数種類組み合わせてできてるみたいだよ。
四方の壁には、縦すじ模様を何本も彫られた四角い柱が二本ひと組で等間隔に配されていて、その柱はちょっとだけ飛び出た状態で壁と一体化している、というより、浮き彫りの柱なのかもしれないね。
白大理石の柱の基壇部分には濃いグレーの大理石が使われていて、それがいいアクセントになっていた。
カゼルタ宮殿だと左右の壁には、片方が扉、反対側は大きなガラス窓が規則的に並んでいるんだけど、この部屋はその位置に扉や窓ではなく、床から高さ四メートル以上はありそうな巨大な鏡が配されている。
巨大鏡のうちいくつかの前には、有田とか伊万里とかそんな感じの、真綾ちゃんより大きい花瓶だか壺だかが、デデンと置いてあった。
基本的には私が本で見た宮殿とよく似ているんだけど、三階ぶんはありそうな高さの部屋の上にあったのは、豪華な天井画と装飾いっぱいのカマボコみたいな形の天井じゃなくて、ただの平天井だった。――きっと船の中じゃ空間が制限されるからだろうね。
でも、その代わり天井全面が鏡張りになっていたから、一瞬、六階ぶんぐらいの高さがあるかと錯覚してしまったよ。……まぁ、ちっちゃい間抜けづらが天井から逆さまになってこっち見てたから、気づいたんだけどね。……誰がちっちゃい間抜けづらだ!
天井から生えている固定式のシャンデリアが鏡写しになって、まるで宇宙船が浮かんでいるみたいだね。
『こちらは、鏡の間でございます』
「わっ!」
もう、熊野さん、突然アナウンス入れるのやめてくださいよ、漏らしたらどうするんですか。
「花ちゃん、行くよ」
「あ、ハイハイ」
ごめんね真綾ちゃん、早く食べたいんだね……。
ちょっとだけ切なそうな顔の真綾ちゃんに促されて、またも私はいそいそと歩き出した。
「あれって……」
鏡の間の奥にある扉に向かって歩いていると、正面の壁中央に飾られた三枚のでっかいレリーフがよく見えた。そのうちの一枚は大階段の上にあったのと同じ、海の女神様っぽい女性像で、残りの二枚に彫られているのも、それぞれ何かの女神様のようだ。
「……」
「あ、ゴメンゴメン」
もっとレリーフに近づこうとしたら、真綾ちゃんがすごーく切なそうな顔でこっちを見てたので、私はそそくさと扉へ向かった。――真綾ちゃんそんな顔もできるんだね、驚きだよ。
壁の中央に飾られた三枚のレリーフを挟んで両側にある、高さが真綾ちゃんの倍はありそうなでっかい扉のひとつに私たちが到着すると、この部屋に入ってきた時と同じく扉が勝手に開いた。
扉を抜けると、そこは玄関というか、八畳ちょっとくらいの小部屋になっていて、奥にはまたでっかい扉があるんだけど、そちらの扉はアール・ヌーヴォーだったか、アール・デコだったか、なんかそんな感じの装飾が施されたガラス扉でとてもオシャレだ。――なんだか、わくわくするよ~。
私がニヤニヤしながら真綾ちゃんを見ると、真綾ちゃんもちょっとだけ嬉しそうな顔でこっちを見ていた。
そうやって期待に胸を膨らませる私の前で、でっかいオシャレ扉がゆっくりと開いていった。




