表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/43

第一五話 修学旅行 八


 北野天満宮の西側に広がる紅葉苑は、真っ赤に燃えていた。――いやいやいや、だからって、別にメラメラと炎上しているわけじゃないよ、小さな川の流れる小さな谷を、見ごろになった紅葉がビッシリと覆っているんだよ。

 そうやって川沿いの小道にできた紅葉のトンネルを、ポカンと見上げながら歩いていた私は、ふと、天満宮側だけが不自然に高い川沿いの堤防を見て、あることに気がついた。


「ひょっとして、これ……お土居ですか?」

「はい、よくご存じですね。太閤秀吉が洛中をぐるっと囲んで造らせた土塁、お土居ですよ」

「おおー、やっぱり! いや~、お城好きとしては実物を見られて感動ですよ~」

「え? 太閤秀吉って、あの太閤さんやろ? おお! ほなこれ、ホンマもんの太閤さんの城なんや! 花ちゃうけど、なんやウチも感動してきたわ」


 巫女さんにお土居と聞いて興奮している私の後ろで、火野さんが喜びの声を上げた。

 まあ、洛中を城塞都市にしたと考えるなら、太閤さんのお城といっても間違いではないだろう、うん。……よかったね、火野さん。


 そんな感じで、私たちは巫女さんを先頭に、紅ちゃん、その後ろに私と真綾ちゃん、最後に火野さんとムーちゃんが、並んで歩いていたわけなんだけど……。不思議なことに、どこをどう歩いたのかサッパリ覚えていない! 今まで川沿いの小道を歩いていたかと思ったら、いつの間にかお土居の上を歩いていたり……そもそも、最初にどうやって川沿いの小道に下りたのかさえ、まったく覚えがないのだ……。


「ムーちゃん……」


 ちょっぴり不安になってしまった私が、火野さんのとなりを歩いているムーちゃんを振り返ると、なぜか彼女は前髪の隙間からキラッキラした目で私の顔を見て、ムッチャ意味深に頷いた……。いやいや、わけわかんないよ!


 やがて、私の不安をよそに、案内してくれた巫女さんは足を止めると、私たちを振り向いて言った。


「さあ、着きましたよ」


 私たちが着いたのは、周りを燃えるような紅葉に囲まれた広い場所だった。――あ、神主さんっぽい装束を着た集団がいる。あれはどう見ても天満宮の関係者だろうね、ということは、あの中に紅ちゃんのお父さんがいるのかな?


 などと私が考えを巡らせている間に、私たちから一番近くにいた見るからに気難しそうなおじいさんが、いち早く私たちに気づくと、カミソリみたいな鋭い目で巫女さんを睨んだ。


「なんじゃ飛梅よ、神聖なこの場所に部外者なんぞ招き入れて。勝手な真似を――」

「ただおき!」


 巫女さんの後ろからピョコッと顔を出した紅ちゃんが、おじいさんのものと思われる名前を元気な声で呼ぶと、巫女さんを叱ろうとしていたおじいさんの、真っ白な眉毛の下にある鋭い目が、目玉が飛び出るんじゃないかと思うほど大きく見開かれた。


「…………まさか、…………姫様、……紅姫様あぁ!」


 巫女さんがそうであったように、信じられないといった表情で固まっていたおじいさんは、目からブワッと涙を溢れさせて紅ちゃんの名前を叫んだかと思うと、とうてい老人とは思えない俊敏な動きで走って来て、嗚咽しながら紅ちゃんの足元に跪いた。

 すると他の人たちもこちらを向き、そのうち数人がおじいさんと同じように、紅ちゃんの顔を見て一瞬固まったあとで、紅ちゃんの名前を叫びながら猛スピードで駆け寄ってくる。みんなお世辞にも若くはないんだけど、体のほうは大丈夫なのだろうか……。


「ふく! はるひこ! やすゆき!」

「はいっ!」

「ああ、……紅姫様……」

「はい、……はい! ああ……お懐かしや……」


 私の心配をよそに、紅ちゃんに名前を呼ばれた人たちは、彼女の周りで嬉しそうに号泣している。……なんか、ここまで紅ちゃん連れてきてホントによかったよ。

 あの町から真綾ちゃんが突然いなくなって、ふらっと久しぶりに帰ってきたら、町の人たちはこんな感じなのかもしれない。――この時私は、なんとなくそう思った。


 そうやって私がちょっぴり貰い泣きを始めたその時、向こうのほうで紅ちゃんを凝視したまま固まっていた初老の男性が、ようやく再起動したのだろう、大きく声を上げた。


「…………紅!」


 その男性がヨタヨタとおぼつかない足取りで駆け出すと、自分の周りで号泣している人たちの間から、勢いよく紅ちゃんが飛び出していった――。


「てて様!」


 ――大きな声で、お父さんのことを呼びながら。


 やがてふたりは、透き通るような空の下、真っ赤な紅葉に囲まれた広場の真ん中で、力いっぱい抱きしめ合った。

 ボロボロと涙を流して再会を喜び合う親子の姿を前に、今、この場にいる全員が泣いている。

 天満宮の人たちはもちろん、涙と鼻水で顔がグシャグシャになってしゃくり上げるだけの私、「よかったなあ、紅ちゃん、……ホンマに、よかった」と、鼻をグスグスいわせながら笑顔で泣いている火野さん、そして、何も言わずそっと涙を拭うムーちゃんと真綾ちゃん。みんな自分のことのように、紅ちゃん親子の再会を心から祝福していた。――紅ちゃん、よかったね。


      ◇      ◇      ◇


 その後、ここまでの経緯を説明して、天満宮の関係者一同からお腹がいっぱいになるほど感謝の言葉を頂いた私たちは、赤い敷物が敷かれた床几台の上でお茶とお菓子の歓待を受けて、物理的にもお腹いっぱいになっていた。

 カミソリみたいな鋭い目をしていたあのおじいさんが、とても同一人物だとは思えないニコニコ顔で、わんこそばのように次々と出してくれる和菓子に、真綾ちゃんの切れ長の大きな目がキラリと光ったことは言うまでもない。


「――それにしても、羅城門家の姫君が教師をしているとは……。修学旅行の引率は何かと気苦労も……ヒッ!」


 何か誤解しているらしい紅パパが、きれいな所作でお茶を頂いていた真綾ちゃんに話しかけ、彼女からの殺気に当てられると小さく悲鳴を上げた。


「てて様、違う」

「あのー、真綾ちゃんと私たちは同級生ですよ」

「え?」


 紅ちゃんと私が説明すると、紅パパは三回ほど私と真綾ちゃんを見比べてから首をかしげた。……どういう意味だ!


「……セーラー服を着た引率の先生って、見たことありますか?」

「……なるほど……。いや、これは失礼した。あまりにも落ち着いた雰囲気と匂い立つような見目麗しさについ……。それにしても、このわしを恐れさせるとは、さすがは羅城門家の姫君!」


 私の説明にようやく納得したらしい紅パパは、真綾ちゃんに頭を下げると一生懸命に言いわけをした。それにしても、京都の人にとって羅城門家の評価ってどうなんだろう? 泊まっていた旅館でも、わざわざ女将さんが真綾ちゃんに挨拶しに来たからな……。


 紅ちゃんのお父さん、紅パパは、聖徳太子みたいなヒゲを生やした初老の男性で、黙っていても頭の良さが溢れている人間の典型みたいな人だ。ちょっと話しただけでもわかるけど、たぶんこの人、すっごく頭いいよ。それに、子供が好きなのか、紅ちゃんはもちろん、私たちのことも優しい眼差しで見てくれる。紅ちゃんにあれほど慕われるはずだね。


「……さて、羅城門家の姫君、――」


 しばらくの間アゴヒゲを撫でながら、真剣な表情で真綾ちゃんの顔を見つめていた紅パパは、その知性的な目で彼女の目を見据えると、おもむろに口を開いた。


「――そなたがこの子らや紅と出会い、友誼を結んだことは決して偶然ではなかろう。この先、そなたの身に何かが起こったとしても、おそらくこの縁が助けとなるはずじゃ。くれぐれも、この縁を大切にするように」

「はい」


 せつせつと説いた紅パパの言葉に真綾ちゃんが頷くと、紅パパは、私たちひとりひとりの顔を確かめるようにして言った。


「これは皆にも言えることじゃ。皆、これからも仲良くするように。わかったな?」

「はい」


 私たちが声を揃えて返事をすると、それを聞いた紅パパは満足そうに笑った。あ、ほんの少しだけ、紅ちゃんの笑顔に似ているかもしれない。


「春彦、あれを」

「は!」


 紅パパが名前を呼ぶと、髪が真っ白の太ったおじさんが真綾ちゃんの前で跪いて、鏡もちを置くような台を捧げた。なんだろう? その上にちょこんと何か載っているね。


「これをお取りください」

「はい」


 太ったおじさんに促されて真綾ちゃんが手に取ったものを、どれどれと横から私が覗き込むと、それは小さなお香袋みたいだった。


「あ、可愛いね。どれどれ匂いは…………ん、味噌?」

「お味噌」

「あ、ホンマや、味噌や」

「これは……焼き味噌……」


 そのお香袋をクンクン嗅いだ私が首をかしげると、班のみんなも次々と匂いを嗅いでは味噌だと言った。……なんじゃ?


「そのとおり、その中には特別な焼き味噌が入っておるので、その時が来たら思いきり遠くへ放り投げるように。使いどころは、……いと小さき子と、……何やら経帷子が似合いそうな子、聡そうなそなたらならば自ずとわかろう」


 紅パパはよくわからないことを言うと、なぜか私とムーちゃんの顔を見た。……いと小さきって誰のことだ!


「……なんかよくわかんないけど、ありがたく頂いておきます」

「うむ。――もう一度言うが、こたびのことはいくら感謝してもしきれぬ。我ら一門、そなたらの窮地には必ずや助勢することを約束しよう。――紅を連れてきてくれて……紅に会わせてくれて、本当にありがとう」


 そう言って頭を下げた紅パパに続いて、紅ちゃんと、ここにいる天満宮の関係者一同が一斉に頭を下げた。小心者の私としては、ちょっと落ち着かないんですけど……。


      ◇      ◇      ◇


 最後に私たち四人は、ひとりひとり紅ちゃんとハグして別れを惜しんだ。

 紅パパが言うには、伏見稲荷大社にはのちほど紅パパから話をするそうで、これから紅ちゃんは、ここでお父さんと一緒に暮らせることになるらしい。私はまた京都を訪れる機会があったら、紅ちゃんの可愛い顔を見に来るつもりだ。


「お父さんに会えてよかったね。紅ちゃんはこれからもずっと、〈チーム姫様〉のメンバーだからね」

「また来るね」

「ホンマによかったなあ紅ちゃん。これからいっぱい、お父ちゃんに可愛がってもらうんやで。……ありがとうな」

「紅ちゃん、もう大丈夫……。あんな思いをすることは……二度とないから……」


 私たちが言葉をかけるたび、紅ちゃんは「うん」と小さく答えては、ギュッと抱きしめ返してくれた。もちろん私は号泣である。


 バスまで関係者総出のお見送りをしていただけるとの申し出を、角が立たないようにやんわりと断り、紅ちゃんにいっぱい手を振って別れた私たちは、帰りも巫女さんに連れられて紅葉苑を抜け、北野天満宮をあとにした。


 たったひと晩だけ一緒にいた紅ちゃんがいないバスの中は、なんだかちょっぴり寂しかった。


      ◇      ◇      ◇


 少しだけ、花の視点を離れる。


 福岡の太宰府天満宮より北へ十数キロメートルほど行ったところに、稲荷神を祀る小さな神社がある。稲荷神社といえば〈宇迦之御魂神〉を奉ずるのが普通だが、ここでは珍しいことに別の神を祭神としている。この神社について、この地にはこう伝わっている――。


 九〇一年、菅原道真が藤原時平らに謀られて太宰府へ左遷されたおり、彼を特に慕っていた幼い子供ふたりが太宰府までついてきた。

 しかし左遷とは名ばかりで、実際は緩慢な死罪ともいえるものだったため、あばら家住まいの食事にも事欠くような生活のなか、翌年、幼い弟が夭折し、その数か月後には京で病に伏せっていた母親が他界した。そしてその悲報が伝えられたわずかあと、九〇三年に父、道真が失意のうちに亡くなり、ついには幼い姉だけが、太宰府の地にたったひとり取り残された。

 その女の子は亡き父から託された密書を携えて、はるか四国に流されている長兄のもとへと旅立った。

 今とは違い陸路の交通手段といえば徒歩である。そのうえ藤原の刺客に命を狙われていたため、常に命の危険を感じながらの旅であった。それが幼い女の子にとって、どれほどつらく、恐ろしく、そして寂しい行程だっただろう。

 そしてとうとう、山の麓に身を潜めていた女の子は刺客に見つかり、この地で非業の最期を遂げてしまう。

 女の子を不憫に思った地元の人々は祠を建て、その霊を稲荷神として祀った。ゆえに、この神社の祭神は〈宇迦之御魂神〉ではなく、女の子を神格化した〈紅姫天王〉なのだそうだ。


 ――ただひとり、その話を知っていた蓮台野夢羽、通称ムーは、あえてそのことを花たちには伝えずに、遠ざかる北野天満宮をバスの窓から見つめるのだった。これから紅ちゃんは、大好きなお父さんとずっと幸せに暮らせる。それだけ知っていればいいじゃないかと思いながら。

 前髪の隙間から覗く彼女の目はいつになく温かく、そして少し潤んでいた。



 どうも、作者です。

 私の作品にここまでお付き合いいただいた皆様、ありがとうございます。そして、これからもよろしくお願いいたします。

 さて、第一五話なのですが、もしも酔狂な読者の方がいらしたら、最後まで読んだあとでもう一度、紅と天満宮の人たちの再会を読み返してみてください。一度目とは違った感想を持たれるかもしれません。

 それでは、次話をお楽しみに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ