前編
「海里~、ダンナがお迎えに来たよ~」
今日も今日とて友人である美守周に呼ばれる。すっかり昼休みの風物詩となった一コマだ。
「すぐ行くから待っているよう伝えてくれ」
私の名前は、広井海里という。
ここは高校の教室であり、もちろん私は一女生徒に過ぎない。決して既婚者ではない。
今、私を迎えに来た“ダンナ”なる人物は、柄垣保という、隣のクラスの男子生徒で、私の幼なじみだ。
繰り返すが、“ダンナ”などと言われていても、私の夫などという事実は存在しない。取引相手とか後ろ盾とか用心棒という意味の“ダンナ”でもない。
端的に言うと、保は私の“彼氏”なる立ち位置にいる。
考えるだに赤面を免れないのだが、私と保は“超ラブラブなカップル”として、今や学校中で知らぬ者とていない有名人と化してしまった。
バカップルではなく“超ラブラブ”だ。似て非なるものなので、その点は強調させてもらう。
他人様の視線を気にせず、ところ構わずイチャイチャし、あまつさえ信号待ちの交差点で衆人環視の中口づけを交わすような輩とは違うので、気を付けていただきたい。
ここは試験に出るのでちゃんと覚えておくように。もし、私達を「バカップル」などと表現しようものなら、現代文は赤点間違いなしだ。
「超ラブラブ」も、大概古くさい言い方で困惑しているところではあるのだが、既に広域に流布してしまっていて、今更いかんともしがたい状況だ。とりあえず、最初に言い出した馬鹿者は、古文の追試を受けたことを付記しておく。
正直なところを言えば、私自身、この状況にはいささか辟易しているのだ。
保は、毎日毎日飽きもせず昼食の誘いに来る。
これが学食への誘いであるなら、さほどの問題はないのだが、あろうことか、保は私に手作り弁当なるものを要求してくるのだ。
たしかに、バスケ部で毎日かなりのエネルギーを消費している保にとって、昼食によるカロリー・ビタミン・ミネラル諸々の補給は重要な案件であろうが、本来それは親が果たすべき役割ではないのか。
百歩譲って、弁当を作るまではいい。どうせ自分の分を作っているのだ、1人分増えたところでさほどの負担ではない。ほとんど2人分増えているような気もするが、それでも手間はさして変わらない。
その上、保は、自分の分プラスαの材料費を渡してくるから、金銭的な負担もない。
ただ、毎日わざわざ私を教室まで迎えに来て、生徒会室で一緒に弁当を食べることを強要されるのはいただけない。
教室から生徒会室までは、中央廊下経由で3分ほど歩くことになる。これを毎日往復するのだから、目立つこと甚だしい。
せめて1人で歩いていればここまで目立つこともないのだが、いかんせん、2人で並んで歩いてみせるのが保の目的であるからして、現地集合などという選択肢は最初から用意されていないのだ。
ちなみに、生徒会室を私的に利用することの是非については以前に指摘したことがあるのだが、保は私たちが生徒会役員であることを利用して、あっさり使用許可をもぎ取っていた。教師はもう少し、生徒の真意を汲み取る能力を磨くべきではないかと愚考する次第だ。
まあ、生徒会室には湯沸かしもあって、インスタントとはいえコーヒーも飲めるのだから、居住スペースとして考えれば居心地のいい場所と言えよう。
保の目的は、私と昼食を共にするべく連れだって歩く姿を周囲に示し、仲睦まじい恋人同士であると標榜することだ。
根回しが上手いのはよくわかったから、私を巻き込まないところで能力を発揮してほしいと切に思う。
「みぃ、これ、来週分」
「ん」
他愛ない近況報告を交わしながら弁当を食べた後、保は封筒に入った金を渡してきた。
律儀な保は、毎週金曜になると翌週の弁当代を渡してくる。1週間ごとにするのは、大金にならないようにするためだ。
代金は概算であり、不足が生じたら追加請求の上精算することになっているが、私の分もほぼ賄える金額を渡されており、しかも余剰分の返金は不要とまで言われているので、精算額のやりとりをしたことはない。
なお、近況報告とは言っても、毎日顔を合わせていて、真新しい話などそうそうあるわけもなく、単なる世間話の域を出ない。
こんな色気のない関係の2人を指してカップルなどと形容すると、辞書の書き換えが必要になるような気もするが、やむを得ぬ理由がある。
世間を欺いて大変心苦しいところではあるが、私と保は、実は単なる幼なじみでしかないというのが実態だ。
私は、保に依頼されて恋人のフリをしているに過ぎない。
成績も、運動能力も、見た目も、性格も、高レベルである保は、女子からの人気が高い。有り体に言うとモテる。
入学して3か月を過ぎたあたりから、毎日のように女子からのアプローチを受けて辟易した保は、自己保身のために、恋人がいるフリをすることにした。
「付き合ってる人がいるから」と言えば、相手を傷つけることなく恨みを買うこともなく断ることができるという、わかりやすい動機だ。
ただし、恋人役を演じる女子は、保の代わりに無用な恨みを買うことになるし、格好の八つ当たり対象になるので、人選が難しい。
様々な条件を多角的に検討した結果、白羽の矢が立ったのが私というわけだ。
幼なじみなので、付き合うに至った経緯の説明を省くことができ、外見的にもさしたる問題はなく、成績だけなら保を上回る私なら、周囲を黙らせるのにうってつけというわけだ。
完璧な人選といえよう。私の精神面さえ考慮しなければの話ではあるが。
そんなわけで、渋る私を拝み倒した保は、とりあえずカップルらしいことをしようということで、こうして毎日彼女を教室まで迎えに来て生徒会室まで連れ立って歩き、彼女の手作り弁当を向かい合って食べる熱々カップルの擬態を要求してくるというわけだ。
誰も見たことがないというのに、どうして“向かい合って食べている”などという噂が蔓延しているのか、甚だ理解に苦しむ。
ちなみに、人前か否かを問わず、私たちが抱擁したという事実はない。
これは“節度ある交際”という、生徒会役員として後ろ指さされないための要件でもあるからだ。
この条件があるお陰で、私は周囲からの“どこまで行ったの?”という空間的移動を伴わない到達状況を問う質問に対して“生徒会役員たるもの、清く正しい男女交際でなくてはならない”と、事実に即した回答をなしえている。
私は“交際するなら、清く正しく”と言っているのであって、“保と交際している”などと公言したことは一度もない。
どうも性分で、嘘を吐けないので、面と向かって問われれば、本当のことを答えざるを得ないのだ。
このことは、保も承知しているはずだが、ここからぼろを出すのではないかと心配されたことは、不思議なことに一度もない。
私ならば上手くごまかす、と安心しているのだろうか。それで私が不利益を被ったらどうしようかとは思わないのだろうか。考えてみるに、考慮されていないのだろうと結論するしかなかった。
不本意ながら、彼から私に対して、いわゆる気遣いといったものを向けられた記憶がない。
幼稚園に通っていた頃から、私が転んでも手を差し伸べてくれたことすらなかった。むしろ、私の方が、転んでべそをかいている保に手を貸し、土を落としてやっていたように思う。
はて。もしかしたら、私は保の保護者だっただろうか。
それはさすがに御免被りたいところだ。
これでもまだ17歳なのだ。同い年の被保護者など、手に余る。
「海里、ダンナのお迎えだよ~」
今日も今日とて保が迎えに来た。
既に1年以上になるこの昼行脚は、すっかり昼休みの風物詩のごとき扱いを受けており、頭書の目的どおり、保が告白される回数は、かつてに比して大幅に減じ、月に一度あるか否かという水準に落ち着いている。
幸いなことに、私は謂われのない誹謗中傷や嫌がらせを受けることもなく過ごせているので、もうしばらくは保の世話女房役を演じてやろうと思う。
私がいつものように三人前の弁当を手に席を立つと、
「海里ってさ、頭いいのに時々すっごくニブいよね」
と言われて送り出された。
はて、私は鈍いなどと言われるようなことをしただろうか。
人の心の機微については、私より保の方が敏いから、訊いてみた方がいいだろうか。
後編は、23日朝アップします。
補足です。
「頭書の目的」とあるのは誤字ではなく、海里の堅い言葉遣いの一つです。