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噛む男2


 ホームのキッチンは広い。コンロは四口もある。冷蔵庫は業務用であるし、キッチンから続く地下には食料庫もある。

 どういう意図でこれほど大きなキッチンを作ったのか。食べるのが好きだったのか、食べさせるが好きだったか。どうなのか。

 鍋のふたを開けてぐるりと一混ぜ。小皿に一口分を掬って、味を確認する。野菜たっぷりのポトフは、素材のあまみが出ている。さらに、秘蔵のソーセージがコクを引き出している。なかなかよい。

 腰を折り曲げて、オーブンを確認。スフレオムレツはきつね色にうまく焼けている。中にはチーズとほうれん草。お代わり自由の付け合わせのパンと合わせるために、少し濃いめの味付けにしている。

 これだけだと寂しいのであともう一品。ハーブをよくよく漬け込んだ魚のフライ。魚自体はもらいものだ。近くの川で釣ったらしい。

 以上すべてを食堂へ運び、テーブルセッティング。もちろんカトラリーは木製のものを使用。アイロンの当てたナプキンを折り畳んでテーブルに乗せた頃、階段から下りてくる足音がしてきた。


「お待ちしておりました。お席へどうぞ」

「ああ。……それから、これ」

「わざわざありがとうございます」


 「彼」から手渡されたのは、部屋まで野菜スティックを届けた際に使ったお盆だ。皿の上は欠片ひとつなく食べ尽くされている。私は小脇にお盆を抱えながら、長テーブルの椅子を引いた。

 「彼」は素早い動きで席につく。


「本日のメニューは、ポトフにスフレオムレツ、魚のフライそれから付け合わせのパンです。おかわりもございますので気軽にお申し付けください。わたしは奥のキッチンで待機しております」


 簡単にメニューを紹介してから、頭を下げてキッチンへと下がる。お客様が食べている間に、わたしもキッチンの丸椅子に座って軽く夕食を摂る。こういうとき、一人だと食事もままならないから困る。

 けれど、ここはわたしのホームなのだから。他の誰かに頼むわけにもいかない。

 自分で食べる分には盛り付けなんて気にしない。小皿を片手に、食べたいものをよそってちまちま食べていく。

 特に食堂の「彼」から呼ばれることもなく、一時間。そろそろ食べ終わっただろうかと様子を見に行く。ついでに食後の飲み物を何にするか聞く予定だ……と食堂を覗くと、「彼」はいまだ食事中だった。皿の上は三分の一ほど残っており、その口はせわしなく咀嚼のために動かされている。

「彼」はわたしに気づくと、口の中のものをごくりと飲み込んだ。


「食べるのが遅れて、悪いな」

「いいえ。ゆっくり食べていただいてかまいません」

「いつも食べるのが遅いんだ。早食いは行儀悪いって母さんによく叱られて、子供の頃から回数を数えて食べていた頃の癖が抜けないんだ。馬鹿みたいに」


 そういえばよく食べていると思ったわりには、応接間で出した茶菓子は皿に余っていたのだ。

 カリカリと、「彼」専用の木製フォークがその歯によって削られていく音がする。その目はなにかを思い出すように、なにもない宙をさまよっている。

 カリカリという音がギシギシという音に変わってきた頃、彼の意識を引き戻すために声をかけた。


「教育熱心なお母様だったのですね」


 その瞬間、ぎょろりと瞳だけが動いてわたしを捉えた。木製フォークからの断末魔がぴたりと止む。

 じいっとわたしの輪郭を視線でなぞったかと思うと、不意に体を屈ませて小刻みに揺れ始めた。その口元は歪められ、歯をむき出しにして笑っている。


「みんな、そう言ってたよ。教育熱心な真面目なお母さまだったのねってな。……ただのヒステリックな母親を、まるく言い直すとそうなるらしい」

「……とても厳しいお母様だったのですか」

「俺の顔を見れば、ぜったいに何か叱りつけるところを見つけてきた。優しくするっていう機能がついていないんだよ。一時期は本気で魔女だとも思っていた。指が棒きれみたいに細くて長くて尖っていて、いつもゴツゴツしたデカイ指輪をつけていて、骨そのものみたいに硬かった」


 カチ、カチ、カチと一定のリズムが音を鳴らす。行儀よく並んだ白い歯が、何かを確かめるように幾度となくフォークを噛んでいる。

 この噛む癖についても叱られていたのだろうか。


「あまりいい思いは持っていらっしゃらないのですね」

「苦痛だったよ、あの頃は。よく母さんから言われていたんだ、あなたはどうしてそんな子なのって。知るかよなぁ? たぶん、お前の子だからだよ」


 ガチン

 肉食動物がとどめをさすような、そんな勢いだった。まさか割れてはいないだろうかと思わず確かめてしまう。とりあえず折れたフォークが刺さって流血沙汰、という事態にはなっていないようだが。

 食事をすっかり忘れてフォークを磨り潰すことにばかり専念している。

 どう声をかけたものかと考えて、そもそもここに来た理由を思い出した。


「ところで、食後のお飲み物はいかがしましょうか。紅茶とコーヒー、どちらがよろしいでしょうか」


 かつん

 軽い音が返ってきた。「彼」はフォークに歯を立てたまま、顔をこちらに向ける。少し下がり気味の目尻は、「彼」が泣きそうだと錯覚させる。


「――紅茶。ミルクも欲しい。それから砂糖も」

「かしこまりました。食後は紅茶にいたしましょう。」

「ああ、どうも……」


 どこか力のない返事してから、「彼」はフォークから歯を遠ざけた。そして本来の用途通りにフォークでポトフのじゃがいもを突き刺した。大きめに切ったそれを一口。

 もぐもぐとしっかりと咀嚼して呑み込んでから、一言。


「うまいよ。オーナーの食事」

「それは、ありがたいお言葉です」

「うん。……あんた、ちょっと独特だよなぁ。まぁ、こんなところで、俺みたいなやつ相手に商売してるんだもんな」


 別に商売をしたくしてしているわけではないが。そうとは言わず、無言でただ一礼をした。

 まだまだ食事が終わるのに時間がかかりそうなので、棚の奥をひっくり返してじっくり茶葉を選んでもいいかもしれない。



 * * * * *

 


 ゆっくりした「彼」の夕食が終わる頃に食後のお茶のセットをお盆に載せて戻った。

 綺麗に皿の上を平らげてしまった男は、椅子の背もたれにもたれながらぎりぎりと親指の爪を噛んでいた。

 とりあえず先にピーナッツをキャラメルで固めたものを目の前に置く。するとすかさず「彼」の手が伸びてきて、ぱきんぱきんと歯で割っていく。

 その横でティーカップに紅茶を注ぎ込む。ふわりと香りと湯気が立ちのぼるその横に、温めたミルクとシュガーポットを添える。


「どうも」

「いいえ。寝る前に食べられるものをご用意しましょうか?」

「……ああ、いや、いいや。ガムを持ってきてるからそれでしのぐ。今日は少し食べすぎたな」


 ごくんと呑み込んでから私の言葉に答えて、また一つキャラメルピーナッツを歯で割っていく。

 これも、母親からの教育の賜物というやつだろうか。……まぁ、それはどうでもいいか。


「かしこまりました。もし夜食が欲しくなった場合は、いつでもお声がけください。それでは、こちらのお皿を引かせていただきますね」


 食べ終わったお皿を回収して、頭を下げる。

 あとは食事の片づけをしてしまえば、今日の業務はほとんど終わりだ。昨日は急な宿の話でほとんど眠れなかったから、早めに休んでしまおう。

 食器をすべて洗い、その後二階に戻った「彼」の使ったティーセットも片づけ、食堂のテーブルを拭いてしまえば終わりだ。

 二階の様子を階段越しに見ても、もう「彼」は降りてこなさそうだ。壁際の間接照明一つ以外の電気を消して、奥にある自分のスペースに引っ込む。明日もやることはたくさんある。シャワーだけを浴びてさっさと寝てしまおう。……こんな落ち着かない夜では、手紙もおちおち書いていられない。


 そして、やっと布団に潜り込んだと思ったときのことだった。

 静寂を破るようにけたたましく電話のベルが鳴る。――ああ、こんな時間に電話なんて。やつしかいない。

 いっそのこと無視してやろうかとも思ったが、いつまでも鳴る電話はそれを許してくれそうにない。少し苛立ち紛れに、荒っぽく電話をとった。


「はい」

「よう! どうだった、今日は? 問題は無かったか?」


 まるで今が昼間かのような声を出すのは「友人」だ。まるで世界の反対側にいるかのように、夜にばかり電話よこしてくる。……そういえば、わたしはこいつが眠るところを見た事が無いな。もしかして、友人は眠らない生き物なのだろうか。

 黙っていると、向こう側から不審そうに声がかかってくる。


「どうした? そんなに疲れたのか?」

「いいえ。夜中に聞くお前の声が、どうにもわずらわしいなと思っていただけです」

「そんなことが言えるぐらいなら余裕だな。よかったよかった。少し心配してたんだ」

「まったく。なんなんですか、お前は」


 少しも心配していなさそうな声で嘯く「友人」は、けらけらと機嫌良さそうに笑っている。酒でも飲んでいるのだろうか。電話越しに、向こう側が騒がしいことがわかる。

 そちらで昼間のように楽しんでいればいいのに。

 不機嫌なわたしに気づいたのか、軽い調子でごめんごめんと謝ってきた。


「ほら、そっちに泊まった男がいるだろ。そいつ、傷害事件を起こしていてな。相手の女性の怪我は別に命にかかわるものじゃなかったし、痴情のもつれということで罪にも問われなかったらしいが」

「……「彼」、ですか。それほど暴力的様子は無いです。というか、知っていてここに連れてきたんでしょう。どうしていつも肝心なことは後で教えるんですか」


 いつもいつも。問題になりそうなことをあとで、親切丁寧に忠告してくるのはなんなのだろうか。

 含み笑いでこちらのようすを伺う友人には悪いが、動揺してやるつもりはない。そんなものはいつものことになってしまったし。わたしには、ほとんどどうでもいいことだ。

 ただ一点さえ守ってくれれば、それでいいのだ。

 何の反応もしないわたしに焦れたのか、じゅうぶんにもったいつけてから「友人」は告げる。


「地元ではその「彼」、カニバリストだという噂があったらしいぞ」

「人肉嗜好ですか……。まぁ、頭の片隅には置いておきます」

「なんだ。食べられたらどうする? こわいぞ」

「お前の方こそ、自分で言っておいてまったく楽しそうなものじゃないですか」

「まあな」


 ふふふっと電話越しにこちらに伝わってくる含み笑いが気持ち悪い。思わず受話器を耳から遠ざけてしまった。

 顔をしかめていると、遠ざけた電話からかすかな声が響いてくる。



「ま、何も無いならそれでいい。……勝手に死ななきゃそれでいいさ」

「いま、死ぬわけがないでしょう」

「死んだら俺もびっくりだ!」

「はいはい。用件はそれだけですか。それじゃあもう切りますよ」


 だんだんとさらに声の調子が上がってきた面倒くさい友人に、無理やり電話を切る。あっちも言いたいことも言えたようだし、わざわざかけ直してくることもないだろう。

 布団をかぶり直して、ふと「彼」がフォークを噛む音が思い出された。あの歯で噛まれると、痛そうだ。

 まぁ。何も無いならそれでいい。


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