八話
「沢渡ー。」
ハチ公の像の前。
僕は後ろから名前を呼ばれる。
僕の家は、このハチ公の像から一体何千キロ離れていると思っているんだ。
まあ、碧も同じだけど。
白い紙の中のひとつ。
『ハチ公の像の前で待ち合わせ。』
待ち合わせをするためにお互い電車を何本も乗り継いできた。
しかもお互い鉢合わせないように時間をずらして出発した。
「碧。オハヨウ。イイテンキダネ。」
僕はカタコトになりながらも碧の望む言葉を言った。
すると碧はあからさまに不機嫌そうな顔をした。
「日本語覚えたての外国人じゃないんだから。もっとちゃんと言ってよ。」
僕は咳払いをして、
「碧。おはよう。いい天気だね。」
そこそこの決め顔で言ってみた。
「っぶは!」
碧はそんな僕を見て爆笑。
「はあ。ほら、次はオシャレなカフェだろ?」
「うん。早く行こっか。」
まだ笑っている碧。
一生やってやんない。
…でも、その一生も、もうすぐ終わってしまうのか。
いや、まだ碧が自殺するなんて考えられない。
でもやっぱり、碧の後ろ姿を見ると不安になる。
そのままふっと消えてしまうんじゃないか、なんて。
「ん?何してんの?もしかして、私の後ろ姿に見惚れてた?」
碧は冗談半分で笑った。
「はいはい。今行きますよ。」
「いやー。しゃれおつー。」
目を輝かせながらカフェを見渡す碧。
とはいえ、碧は八月の終わりくらいまで東京にいたはずだ。
オシャレなカフェくらい一度は行ったことがあるだろうに。
「ご注文はお決まりですか?」
イケメンな店員に注文を聞かれた。
「えと…アイスカフェオレを一つと…沢渡は?」
イケメンに緊張しているのか、碧はおどおどした。
「僕はブラックコーヒーを。」
「かしこまりました。」
礼儀正しく礼をしてイケメンの店員は去っていった。
「あは。イケメン。」
碧は口角若干上がっている。
「碧、顔がやばい。」
僕は笑いが堪えられず、つい笑ってしまった。
いつもは凛としている碧が、イケメンを前にすると動揺するのか。
碧の意外な一面を発見できた僕は、なぜか少しだけ嬉しかった。
「ねえ、僕ってイケメンな方なの?」
僕はその言葉を発して後悔した。
碧のことだから、どうせ「なに?妬いてるの?」とか、「もしかして自分のこと!」とか言ってくるはず。
下を向いて言葉を待っていると、
「うーん…。」
碧は、僕の顔をまじまじと見つめてきた。
「そうねえ。考えたことなかった。」
「考えたことなかったって、僕まだ碧に会ってから一ヶ月も経ってないよ?」
そう言うと、碧は不自然に目をそらした。
「そ、そうだね。まあ、イケメンなんじゃん?」
「なんだそりゃ。」
変なの。
「お待たせしました。アイスカフェオレとブラックコーヒーです。」
またあのイケメンな店員が登場。
やっぱり碧はおどおどする。
それがやっぱり面白かった。
「ごゆっくりどうぞ。」
イケメンな店員はそう言ってまた去っていった。
「で、本題ね。」
碧はカフェオレを一気に三分の一くらい飲んだ。
「文化祭かあ…。」
正直僕のやる気はゼロに近い。
今まで目立たないように生きてきて十六年。
文化祭の実行委員をやるなんて大事件だ。
お母さんにそれを言うととっても喜んでいた。
そんなに僕の影が薄いことを気にしていたのかな。
「これ。みんなから取ったアンケートだってさ。」
碧は透明なクリアファイルからアンケート結果の紙を出した。
そのクリアファイルには、マジックペンで大きく『文化祭!』と書いてあった。
本当に張り切ってるなあ。
「お化け屋敷多いねえ。」
「ほんとだ。」
女子の方ではメイドカフェが多い。
「これ、大変だなあ。決めるの。」
「もうさ、二つに絞らない?お化け屋敷とメイドカフェ。」
碧は大胆に言った。
確かに、少数派の意見をちまちま潰していくのも、かわいそうな気がしてくる。
「そうだ!」
僕は、いい事を思いついた。
これはかなり良さそうな気がする、多分。
「あれ?やる気出てきた。」
「い、いや…。まあ、ちょっとは。」
「ははーん?」
碧は目を細めてにやついた。
「で?そのいい事とは??」
僕は咳払いをして座り直した。
「この少数派の意見を、全部、この『メイドカフェ』に詰め込む。」
「ほほう。でも、『お化け屋敷』はどうするのかね?」
「それがですねえ。お姉さん。いい案があるのですよ。」
……僕の負けだ…。
碧に出会ってから二十一日。
ついに今日、碧のノリに乗ってしまった。
「ほほう。いい案とは?」
「壁を黒い画用紙で黒くして、カフェの店員たちはみんなお化け要素を取り入れた格好をする。そして、そこに登場するのが、『少数派の意見』。」
「ほうほう。」
「この男女逆転ファッションショー。これは店員でやる。」
「このたくさんのミニゲームというやらは?」
「それは、店員が注文された品物を持ってった時に、ミニ問題が書かれた紙を渡して、それに正解してカフェを出た人は、お菓子の景品をプレゼント、とか?」
「おお!それはいいではないか!」
碧はカフェオレを一気飲みして飲み干した。
「あとでお腹壊しても知らない…。」
僕は、ブラックコーヒーを少しだけ飲んだ。
「じゃあ、やる事もまとまったみたいだし、今日は解散ね。」
「解散!?」
「うん。予算は明日。それで、二週間かけて準備して本番!」
「おう…。早いね結構。」
「そうよ~。時は金なり。」
満面の笑みでそう言ってきた。
碧に言われるとなんか納得してしまう。
自殺する前に自分のやりたいことをめいっぱいやる。
僕を巻き込んでだけど…。
そんなにやりたいことがあるなら死ななければいいのに。
その理由もすべて『冬までに』教えてくれそうだけど。
本当に教えてくれるのだろうか。
文化祭は十月の五日と六日。
今日は九月の二十一日。
遠いようであっという間に過ぎる。
そして、碧が死のうと思っている日も、確実に近づいている。
時間は止まらない。
死ぬまで心臓が動き続けるように。