男はつらいよ
「疲れた」
思わず机に突っ伏す。入学式後のホームルームでは女子生徒30人の質問攻めに遭った。わざわざ男子校を受けるぐらいの女の子たちだから、一筋縄じゃいかないのは承知していたつもりだった。ただ、こんなに物怖じしないアグレッシブな子ばかりとは想像できなかった。
「お疲れさま、囲まれて大変だったね」
「そう思うなら助けてくれてもよかったんじゃないか」
「でも私も三隅君のこと知りたかったから」
優が笑顔を見せて、しれっとそんなことを言う。暖かい春の空気をそのまま纏ったような美少女に言われたら、悪い気はしないので追求する気も起きない。
「女の子に囲まれて、キャーキャー言われるなんてめったにないんだからもっと満喫したらよかったのに」
「疲れるんだよ。こんなにいっぱいの女の子に興味持たれたの初めてだ」
「クラスにたった一人の男子。珍獣みたいな扱いになっても仕方ないんじゃない?」
「パンダみたいなもんかぁ」
「まあ、玖珂さんもちゃんと近くにいて聞いてたもんね」
「そ、それはこれからのこともあるんだら知っとかないと駄目だからで」
「わぁー、玖珂さんクーデレってやつだ」
女3人で姦しいとは言い古された言葉、ただ2人でも充分だなあとキャッキャとはしゃぐ優と秋穂を見て貴士は実感する。その上、国際関係科の女子は32人で「姦」の10倍。それでも目の前の2人はもちろん、悪い子はいなさそうだし、賑やかにすごせそうだなあとぼんやり考えるのだった。
「疲れた」
入学2日目のホームルーム終了後、 前日と同じ格好で愚痴をこぼす。クラスメートが女子であることを隠すためには、必然的に国際関係科の対外活動は貴士が全てこなすことになる。この日は総務委員会、風紀委員会、美化委員会の顔合わせに走り回ったのだった。
「3つの委員会だっけ」
「顔合わせだけだったけど、それぞれの教室が結構離れてたから」
「学校も時間だけじゃなくて、場所も配慮してくれないと駄目だよね-」
優が微笑みながら言う。ふんわりした雰囲気で他人の心を和らげる笑顔を持つ美少女が共感してくれるだけで、悪い気はしない。疲労の原因が彼女にもあるのは置いておくべきだろう。
「3つの委員会を掛け持ちするなんて、めったにない経験なんだから生かせるように頑張らないと駄目ね」
「5つだよ、明日は広報と放送委員会だ」
秋穂がスクールバッグを探り、取り出したものをトンと机の上に置く。
「なに、この栄養ドリンク、もらっていいの」
「あ、余ってたから、良かったらどうぞ」
「わぁー玖珂さん、ツンデレってやつだあ」
「た、他意はないわ」
昨日も同じような会話をしたなあと思いながら、貴士は栄養ドリンクを飲み干した。
「疲れた」
3日連続でホームルーム後に机に突っ伏す。
「今度は何に疲れたのー」
「本当に毎日何かやってるのね」
「今日は5月の宿泊研修の打ち合わせ」
何の事はない。クラスメートをなるべく人目に触れさせないようにすると、学年行事の仕事も自然と貴士に回ってくるのである。深窓の令嬢32人のナイト役はなかなか大変だ。
彼女たちが男子校であるはずの糸米高校に入学したのか貴士は知らない。今のところ、クラス内で最も親しい玖珂秋穂、楠優の2人からも理由を聞いたことはない。キャラクター的には、秋穂は「近いから」、優は「楽しそうだった」と答えてもおかしくなさそうだ。他の女の子たちも特に深い理由なんてないのかもしれない。貴士が自宅から2時間かけて通学する高校を選んだように、もしかすると何か理由があるのかもしれない。どちらかは分からないが、休み時間や放課後楽しそうに談笑するクラスメートを見ると、頑張らないとと思う。
入学式から1週間、貴士たち3人は再び校長室に呼び出された。
「うまくやってるようで何よりだ。私は人を見る目には自信があるんだよ」
校長が満足気に頷く。人を見る目より、募集要項を確認する目を磨いてくれれば良かったのにと思うが、貴士は口に出さない。
「3人は今年の国際関係科の噂を知っているかね」
「今年の国際関係科は美少女と見間違うばかりの美少年ぞろいというやつですか」
その「美少年」が両隣にいる場で口に出すのは少し照れる。貴士が委員会で耳にするだけでなく、クラスメートの連絡先を直接教えてくれないかと言われたこともある。忘れそうになるが、一応糸米高校は男子高である。もちろん連作先を乞うてきたのも男子生徒である。
「私が聞いたのは今年の国際関係科は美少年と一人の下僕でできているというものなのだけれど」
「玖珂さん、下僕じゃなくて執事だよ。下僕だと三隅くんがかわいそうだし、私たちも悪者になっちゃうよ!」
「失礼、執事だったわ」
…噂に多少差異があるものの、今年の国際関係科は美少女と見まがうばかりの生徒ぞろいという話は広がっているらしい。
「君たちも知っているなら話が早い。国際関係科に注目が集まるのはあまりよろしくない。そこで三隅くんにお願いしたいことが…」
「今も三隅くんには大きな負担がかかってます。対策なら責任ある校長先生が頑張ればよろしいかと」
校長の言葉を遮ったのは、秋穂の明白な拒絶。
「私も反対かも~。三隅くん今でも大変だもん。これ以上やったら潰れちゃう」
続いたのは優の緩やかな拒絶。予想外の2人の発言に貴士も呆気にとられる。
「しかしだね、対策をしないと後々面倒なことに」
「ですから校長がすればよろしいかと」
「頑張って、校長」
取り付く島もない2人の反応。校長の縋りつくような視線が貴志を向く。
「入学式の日に協力するって言ったのは自分なんで、その言葉には責任取りますよ」
「三隅君、かっこいいー。やれやれ系主人公ってやつだね」
「楠さんは時々分からない言葉を使うわよね。何となくだけどそれは褒め言葉になってないんじゃないかしら。それとあまり甘やかすと、ろくな大人にならないわよ」
「玖珂くん、もう私はいい大人なんだが…」
「知ってます。皮肉です」
「……実は彼女たちの親御さんから住む場所について学校の近場で何とかならないかと相談を受けていてね」
確かに家族に許可を取って、ご近所さんには進学先を誤魔化したとしても家から学ランで通うわけにはいかないだろう。これまでどこで着替えていたのか。貴士も健全な男子としての興味は尽きなかったが、理性がその疑問を口にすることを押しとどめた。
「三隅君の家は不動産業も営んでいると聞いてね、何とかならないかな」
校長はニヤリという擬音が聞こえてきそうな悪そうな笑みを浮かべた。
「お家に橋渡しを頼むだけならそう負担にならないのかしら、三隅くん」
「まあ、頼むだけなら。いい物件があるか分からないけど。希望とかある?」
「そういうことなら私は料理ができるスペースがある部屋を希望するわ」
「私はお風呂が広い部屋がいいー。三隅くん、ご両親によろしく!」
「部屋の条件について三隅くんと詰めていこうか。少し遅くなるけど残ってくれるかな」
「仕方ないですね」
「自分も当事者なので残ります」
「私も!」
「2人は先に帰った方がいいよ。校長の少しは長そうだ」
実際、大人の少しは長いのだ。女の子を遅い時間に帰すわけにはいかない。部屋についても何とかなるだろうという見通しもついている。そして貴士も「少し」話したいことがあった。