男子校の女子クラス
入学式直後に校長室に呼び出されるという体験を一体どれだけの高校生が経験するだろう。男子生徒の名は三隅貴士。彼は入学試験の主席でもなければ、弱小野球部を甲子園に導く期待のエースでもない。また、登校中に困っていた老人を助けるというフラグも立ててない。心当たりのない呼び出しは彼にを不安にさせるものであった。
足取り重く貴士が入った校長室には今朝教室で見た記憶のある2人のクラスメイトだった。そして奥に座っているのは、黒縁メガネを光らせ、両手を口の前で組んでいるこの部屋の主。2人の間にはちょうど1人分のスペース。これは真ん中に入れということを意味しているのだと彼は理解した。しかし、同時にあんな校長の正面に立つのは正直ご遠慮願いたいとも思い、そのスペースに気付かないふりをして端の方に向かう。
「三隅君、こっちに」
あっさり止められた。校長の視線が正面を差している。貴士は仕方なく2人の間に入った。右隣には肩にかかるぐらいの明るい茶色の髪がまさに春の空気ににぴったりで、表情も柔らかく見える。左隣はストレートに伸びた艶のある黒髪が少し大人びた雰囲気を放っている。両隣の顔を見ると、一瞬視線を止めてしまほうどには2人とも整った顔立ちをしていて、中性的な美少年よりも更に美少女に寄っている。学ランを着ているのがもったいないぐらいだ。ふわっとしたフローラルな香りが彼の鼻をくすぐる。
貴士はまるで女の子みたいな香りだなあとのんきなことを考える。
「君には伝えておかないといけないことがある」
校長が重々しく口を開く。伝えられることに、思い当たるフシのない貴士には、頭の中は疑問符だらけだ。思わず息を呑む。
「実は君のクラスに男子生徒は一人だけだ」
「はぁー?」
頭より体が反応するとはこのことなのだろう。彼は校長室中に響き渡る素っ頓狂な声を上げることになった。
「驚くのは分かる、しかし事実だ」
と言われてもである。ここはただの高校ではない。明治3年創立、校訓は「至誠剛健」という完全無欠の男子校、糸米高校なのだ。驚くなという方が無理な話である。無理やり頭を落ち着かせ、ということはとあらためて隣に立っている2人を見る。
「2人とも女子生徒だ」
要するに少子化の影響で糸米高校も年々受験者数が減少。生徒の質の低下を防ぐために数年前から女子生徒にも門戸を開放することを検討して、来年から共学化ということになっていたらしい。そして学内に創立された共学準備委。準備委が1年後の共学化のために作成した草案が、貴士たち国際関係科の募集要項としてそのまま配布されてしまった。それを見逃さず受験した女子生徒と女子生徒が願書を出してきているのを見逃した学校の連係プレーの結果、貴士を除いて女の子ばかり32人が合格という結果になったという。
受験当日、同じ教室で国際関係科を受けていた男子たちはどうなったんだろうと思うが、校長によると、単純に試験結果順に並べたらこうなっただけらしい。
「それって、学校のミスなんじゃ…」
入学初日で、自分の高校が悪いニュースで報じられるなんてついてないにもほどがある。ネットでも大炎上は間違いない。貴士は今日のテレビの占いはどうだったかなと、普段信じることはないコーナーを思い出す。
「広報しなかっただけと考えれば、何の問題もない」
「でも、さっきの説明で手違いって」
「入試も選考も募集要項通りに公平に行われた。何の問題もない」
それを屁理屈というんだろうなあ。
「何か言いたいことがありそうだが」
むしろ、この状況で言いたいことがないということがあるだろうか。ただ言いたいことも言えない世の中、沈黙は金なりとの先人の言葉に従おう。貴士がそんなことを考えていると、校長が言葉を続ける。
「君は3年間、ハーレムで過ごせるんだ。男冥利に尽きるではないか」
自分以外女子だけという事実を告げられた時、その考えも一瞬よぎった。しかし、貴士は両隣に3年間過ごすことになるクラスメイトがいることを思い出して胸の内に秘めたのだった。彼は両脇から放たれる校長を射る鋭い視線に少し震える。そして自分の選択は正しかったと知る。
「そんな君にやってほしいことがある。来年の共学化まで、女子生徒が入学してることを隠し通すことに協力してほしい」
これだけ開き直られると自分が間違っているように思えるから、不思議だ。というか隠し通すと言っちゃってるが大丈夫だろうか。
「もちろん学校も全面的に君をバックアップする、そして君の隣にいる玖珂秋穂さん、 楠優さんが君をサポートしてくれることになった。他のクラスメートも同じように補佐してくれることになっている」
あらためて彼女たちの顔を見る。清楚系の黒髪美人の玖珂秋穂とゆるふわカワイイ系の楠優、不安気に見える2人の表情。ここで貴士が断ればどうなるのか、正規の手続きで入学しているのだから、転校はしないで済むにしても入学早々好奇な視線に晒されることになるのは間違いない。
「それとも三隅君は罪もない無垢な少女たちを好機の目に晒して楽しむという趣味でも持ってるのかな、いやそれも悪くないか」
校長が情に訴えた泣き落としの着地点を間違えて、再度軽蔑の視線を受けていた。
「受けます、やらせていただきます」
その瞬間、貴士の周りを安堵の空気が包む。彼女たちも緊張から解き放たれたのだろう。何にしても男子校で女の子に囲まれる貴士の不思議な高校生活が決定したのだった。
「なんか大変なことになったね~」
校長室から出てため息をつくと、柔らかな言葉で優が貴士の顔をのぞきこんでくる。恋愛経験に乏しい彼の心臓をドキドキさせるには充分なぐらいには近い。
「どうしてこんなことになったのかしらね」
小さな声で呟いたのは玖珂秋穂。
どうしてもこうしても君たちが男子校を受けるから…と貴士は思うのだが、口には出さない。できる男は本音と建前を使い分けることができる。
それにしても両隣にいる2人は紛うことなき女の子らしい。ただ、着ているのはこの学校の他の生徒と同じ学ラン。着心地とかはどうなのだろう、特に胸の辺り。実に健全な男子らしい疑問を貴士は思い浮かべる。
「あー、今変なこと考えてたでしょ」
優が少し口を尖らせる。このショートカットの美少女、柔らかそうな人当たりに似合わず勘が鋭いらしい。
「しまった、考えていたことが口に出ていたか」
ううん、と首を横に降った優がトトッと前に出て振り返り、貴士の顔を指差す。
「目は口ほどにモノを言いってね」
考えているうちに貴士の目線が胸の方に行っていたらしい。どうやってごまかそうかと思いをめぐらせる。ただ、同級生の胸を見ていたことに気付かれたときの言い訳というのは難しい。するともう一人の美少女。秋穂から助け舟。
「大丈夫よ、みんな大きめの学生服買ってるから。それに意外に体のラインって出ないものよ」
なるほど、と貴士がうなずき学ラン姿の秋穂を見る。確かに分からない。ただ先程の優の場合はじっと見ると、少し胸の膨らみを感じられた気がしたが、秋穂の場合は全くと言っていほど感じられないのである。
「いや、それは本当に無いだけじゃあ」
「あら、何か言ったかしら」
切れ長の目に薄い唇、素晴らしく出来のいい日本人形のように整った顔。そんな秋穂に「ニコッ」と微笑まれるだけで、「クラッ」と勘違いしてしまう男は多いだろう。しかし、貴士はその笑顔に「ゾクッ」と背筋が凍る思いをしたのだった。目が笑っていないのである。
「いいえ、なんでもありません」
「それならいいんだけど、ね?」
思わず丁寧語を使う貴士に秋穂がもう一度微笑みかける。
女の子は思っていたよりも鋭く、強い。これからの高校生活を思って、貴士は憂鬱な気分になった。