怒られる
「さぁてカイリ。覚悟はよろしくて?」
「ふぇっ?」
両頬を摘まれてグニグニ伸ばされる。
寝ぼけた頭に頬の甘痒い痛みが浸透していき、ゆっくりゆっくりと覚醒していく。
「にゃ、にゃんでふか? ふぁれ? ここどゅこ?」
目の前でにこやかに笑うラシュリーさん。
その顔はとっても綺麗で穏やかなのに、何だかとっても怖い。
「お寝ぼけカイリに教えてあげるわ。ここは私の部屋。貴女ってば、丸一日眠っていたのよ?」
「みゃるいちにち!?」
何で!?
あ、なんかだんだん思い出して来たぞ?
えっと、そうだ。
そうだ!
「あかちゃ!」
ラシュリーさんの両手で口を強引に開かれてるから、『ん』の発音が出来なかった。
思い出した! あの赤ちゃん!
赤ちゃんとコワール!
私、あの後すぐに気を失ってしまったのか!
「はぁ、貴女ってば。自分の事よりまず赤ん坊の事を心配しちゃうのね。大丈夫よ。あの子は無事です」
「ふぉ、ふぉんほれふか!?」
ため息をひとつ零して、ラシュリーさんは困ったように笑った。
私の両頬から手を離し、腕を組んだ。
「あ、あの。あの子はどこに?」
ちょっとだけヒリヒリする頬をさすりながら、布団をゆっくり持ち上げて体を起こす。
目が覚めたらラシュリーさんに頬を引っ張られてて、ちょっとびっくりしちゃった。
「私たちが1日保護して、さっき両親が迎えに来たわ。貴女にとても感謝していて『是非直接お礼をっ!』ってしつこかったのだけれど、その貴女が目を覚まさないから今日は帰って貰ったの」
「そ、そっかぁ」
よ、良かったぁ。
ちゃんとお母さんとお父さんが迎えに来たんだね。
腕に抱いていた時間は短かったけれど、あの赤ちゃんの顔をしっかりと覚えている。
金髪の産毛が可愛らしい、ぷっくりほっぺの女の子だった。
一歳になったかなってないかぐらいじゃないかな。
あんな可愛らしい子が食べられなくて、本当に良かった。
「コワ……コワールは!?」
ワタワタとベッドから降りて、急いで窓に向かう。
晴天の空の下。
牧草地は眩しいぐらい明るい。
色んな色のペガサスがのんびり草を食べていたり走り回ったりしているけれど、コワールの姿が見えない。
「コワール号は今は馬房の中よ」
「元気でしたか!?」
私の背中側で答えてくれたラシュリーさんに勢いよく振り向く。
「え、ええ。とっても元気だったわ」
私の勢いにびっくりしたのか、ラシュリーさんは少し身を引いた。
「そ、そっかぁ。じゃあ、私以外はみんな無事なんだ……」
安心した私は窓際にある椅子にストンと腰を落とした。
そうだよね。
うっすらと記憶に残っている、最後に見たコワールも赤ちゃんも元気な姿だった。
あれ?
そういえば私、腕とか背中を怪我していたような。
右腕を上げる。痛くない。
背筋を伸ばす。何もない。
どうなっているんだ?
「ああ、怪我なら昨日の内に治してもらってるわ。教会の治癒魔法師がね?」
「治癒、魔法ですか」
魔法……。魔法かぁ。
凄いなぁ。あんなに痛かった怪我が、今じゃ全然だもんなぁ。
この世界だと病気とか怪我は魔法ですぐ治っちゃうんだ。便利だなぁ魔法って。
「大変だったのよ? 5人の治癒魔法師が倒れるまで治癒を施してもまだ治らないから、王都中の治癒系魔法師を片っ端から集めて、九時間もかけて治癒を施したんだから」
前言撤回。
便利とか言う一言で片付けていい話じゃなかった。
「ご、ごめんなさい!」
五人も倒れたの?
私を治す為に!?
片っ端からって、何人ぐらいなんでしょうか!
「ご迷惑をおかけしました!」
椅子から立ち上がり、頭を下げる。
ど、土下座。
土下座しなくちゃ。
全身で謝罪しなくちゃ!
ああでもここで土下座したらふざけてるように見える!
「頭をあげなさいカイリ」
「う、うぅ」
腰を曲げた姿勢の私に、ラシュリーさんが声をかける。
上げ辛いよぅ。
絶対怒ってるよぅ。
「さて、カイリ? 慌てん坊のカイリちゃん?」
「ヒャ、ヒャイ!」
うん。怒ってる。
その声色に恐ろしいぐらいの怒気が籠っている。
返事を返した私の声が裏返ってしまうぐらい怖い。
「お願いカイリ。私に教えて欲しいの。なんで勝手にコワールと一緒に飛び出して行ったの? どうして私やアネモネに一言声をかけてくれなかったの? どうしてあんな酷い怪我をしちゃったの?」
ひ、ひぃ。
なんかバチバチいってる! 空気がビリビリしてる!
「あ、あの。えと」
「私がコワールと遊ぶ許可を出した時、貴女言ったわよね? 馬房の目の前の林までしか行かないって」
「は、はい……言いました」
うん。
私は、嘘を吐いた。
いや、吐こうと思って吐いた訳じゃないけれど、結果的に私の言葉は嘘になってしまった。
アネモネさんもラシュリーさんも私の言葉を信じたから、コワールと二人っきりで遊ぶことを許可したんだ。
その信頼を、信用を。
私は裏切ってしまった。
言い訳できない。してはいけない。
「……カイリ。私は、たった三日しか貴女を知らないけれど、貴女の事を本当に可愛く思っているわ。もし私に妹が居たら、貴女のような子なんじゃないかって思ってた」
「あ、ありがとうございます」
俯く。
ラシュリーさんの顔が見れない。
さっきまでの怖さとは違う。
申し訳なさのせいで顔を上げられない。
「だから私は、本気で貴女を心配しました。いつまで経っても戻ってこない、外に出て探しても姿が見えない貴女とコワールをアネモネと二人で必死に探したわ。途中で戻ってきた騎士団員から、貴女が王都の街中で怪我をして倒れたと報告を受けた時の私、どうだったか聞きたい?」
「う、うぅ」
答えられない。
どう返したらいいのかわかんない。
「……概ね、何があったかは報告を受けています。だから貴女が何を思ってコワールと飛び出したのかは、理解しているつもり。だけど」
コツコツとヒールの音が鳴る。
ラシュリーさんがゆっくり、そして短く、私と距離を詰めてくる。
「だけどカイリ。私は貴女を叱らないといけないの」
両頬に手を添えられた。
頭を下げたまんまの私の視界に、ラシュリーさんの足元が映る。
細い足首に綺麗な白いヒール。
両足を揃えて立つラシュリーさんが私の前に立っている。
「もう一度言うわ。カイリ。顔を上げなさい」
添えられたままの両手に力が込められいく。
痛くない程度に私の顔を引き上げて、無理やり顔を上げられた。
「ら、らしゅりーさーーーーーー」
謝ろうと口を開いた瞬間、私は固まってしまった。
ラシュリーさんの顔を見てしまったからだ。
輝くようにキラキラしている金髪のストレート。
高い鼻筋に薄ピンクの唇。
細い睫毛に、ハッキリとしたアイライン。
そこに、涙が浮かんでいた。
大きい一粒の涙が、右目と左目に一つづつ。
「あ、あぅ。ご、ごめ、ごめんなさ」
驚いてしまった。
そのせいで、まごついてしまった。
泣いている。
私が馬鹿な事をしたせいで、ラシュリーさんが。
どうしよう。
謝らなきゃ。早く謝らないと。
だけど口が上手く動いてくれない。
びっくりしすぎて、声が出てくれない。
「カイリ!!」
「はい!」
「歯を! 食い縛りなさい!」
「え!? はっ、はい!」
そう言いながら、ラシュリーさんは右手を振りかぶる。
な、殴られる!? いや、ビンタされる!?
よけっ、いやよけちゃダメだ!
これは私の罰。
ラシュリーさんとアネモネさんの言いつけを破って、そして心配させた私への罰なんだ!
「ううっ」
目を瞑って、口を閉じて歯を食い縛る。
来るであろう衝撃を、お腹の前で組んだ手をぎゅっと握って身構えた。
「っーーーーーー!」
肩を竦め、首を引っ込め、閉じた瞼に力を込める。
ーーーーーーあれ?
「本当にーーーーーー無茶するんだから」
両肩に、暖かい手の温もりを感じた。
「あ、あれ?」
「確かに心配したけれど、貴女のおかげで助かった命がある」
体を引き寄せられた。
右頬に肌触りの良い感触と、柔らかい感触。
「誇らしいわ。カイリ。貴女は正しい行いをしました。決して褒められたやり方ではなかったけれど」
とても優しい声に、思わず目を開けた。
ラシュリーさんにハグされてる……。
頭と背中に手を回され、ぴったりと隙間もないぐらいに密着し、その大きくてフワフワな胸の中に誘われている。
「そうね。ちゃんと謝ったら許してあげる。私にもだし、アネモネにもだし、あとーーーーーー騎士団のみんなにもね?」
「あ、あう」
「ティオなんか心配しすぎて青ざめてたし、ビスティ先輩は私に何度も頭を下げてたわ。貴女が怪我をした事を、自分の責任だと思い込んでるみたい。ちゃんとお礼を言っておくのよ? 王都を飛び回って治癒魔法師を掻き集めたの、ビスティ先輩なんだから」
ビスティナさん、そんなに。
そうだ。
アネモネさんやティオールさん、それにビスティナさん。
私が勝手な事したせいで、迷惑をかけた人たち。
全然気が回らなかった。
赤ちゃんを助ける事に夢中で、失念していた。
ダメだなぁ……私。
なんて自分勝手なんだろう。
今考えたら、コワールにだって危ない事させちゃってたし、もし私のやり方が間違ってたら、赤ちゃんだって。
考えなしの、無鉄砲。
男の子だった時から、そういうとこは変わってないのか……。
「ふふっ」
抱き抱えている私の頭の上で、ラシュリーさんが楽しげに笑った。
なんだろう。
「カイリ、貴女とってもわかりやすいわね。今、落ち込んでたでしょう?」
「……はい」
お見通しかー。
「一応言っておくわね? 貴女の手順は確かに間違ってはいたけれど、対応としてはそう的外れではないのよ? あの時ティオやビスティ先輩、他の騎士達が出払っていたから、私やアネモネを呼びに来たところで打つ手は無かったわ。その間に魔物と赤ん坊を見失っていたかもしれないしね?」
「そう、なんですか?」
「ええ。だって、あの時飛べる馬は馬房に残っていなかったし、アネモネはそもそも本気で飛ぶ馬には乗れないもの」
あ。そうか。
もともと馬房の中にはコワールしか居なかったんだ。
「今更すぎて意味の無い事だけれど。あえて正解をあげるのならば、私たちがお茶をしていた小屋の近くで大声を出してくれれば良かったってところかな。まぁそれで間に合ったかどうかは別としてね?」
「は、はい」
「ほらほら、落ち込まない落ち込まない。結果として赤ん坊は助かったし、なんかコワールはすごい事になったじゃない。貴女以外の誰も傷ついてないし、魔物は騎士団が一匹残らず殲滅したし、良いことだらけと考えましょう。ちょっと嫌味を言わせて貰えれば、教会への寄付金と市井の魔法師への報償で私のお小遣いが少しばかり減ったことぐらいかな?」
「あうぅ」
首の後ろから顎の下に手を入れられ、無理やり上を向かされた。
そこには意地悪そうに笑うラシュリーさんの綺麗な顔。
今は女の子である私でも、見惚れてしまうぐらいだ。
「お金……って、ど、どうやって返せば」
「良いの良いの。どうせ滅多に使わないからどんどん貯まっていくだけだったし、また貯めれば良いしね。さっきも言ったけれど、私は貴女のこと、妹みたいに思ってるのよ? 妹の面倒を見るのは姉の仕事だわ」
「ラ、ラシュリーさん……でも」
ただでさえこのお屋敷で世話になってる居候なのに、そんな風には思えない。
「んー。そうね。じゃあこうしましょう」
ラシュリーさんは私の頭を両手で挟むと、その手で前髪を搔き上げた。
コツン、と。
ラシュリーさんと私のおでこが触れる。
吐息が鼻に当たるほど、睫毛と睫毛が擦れるほど。
ちょっと勇気を出せば、唇と唇がくっついちゃうほどに、ラシュリーさんと私の顔が接近している。
ド、ドキドキしてきた。
なんだこれ。
なんで私こんなに焦ってるんだろう。
やがてラシュリーさんはそっと目を閉じ……ないで私の目をまっすぐに見る。
そしてまた、楽しそうに笑った。
「今から、私のことを『お姉様』と呼びなさい」
「え」
なんて?
「お、おねえ……さま?」
「そう! いえ、なんだかちょっと違うわね。もっと親しみを込めて! 呼びやすいような感じで……ラシュリー姉様! そう! 姉様が良いわね!」
バッと私から離れて、ラシュリーさんは嬉しそうにくるくる回る。
「憧れだったのよね! 妹にお姉様って呼ばれるの! ああ嬉しいわ! こんな日が来るだなんて夢見たい! いえ、父様も母様もまだ全然若くて、見てるこっちが恥ずかしいぐらい仲睦まじいのだけれど、でも『妹が欲しいから頑張ってください』なんて娘が言えるわけないじゃない!? ちょっと諦めてたのよね! ミレイシュリー姉様やラルフ兄様だって、きっとそう思ってるに違いないのだけれど!」
まるで小さな子供のように、ラシュリーさんは私を置き去りにして一人盛り上がっていく。
ね、姉様って。
そんな、なんか恥ずかしいよ。
私のキャラじゃない気がする。
お姉ちゃん……とか、姉さんとかなら。
いや、それはそれで別の恥ずかしさがこみ上げて来る。
もっとフランクに、ラシュリー姉ぇ?
姐さん? ねーねー? シスター……。
違うような。
「さぁカイリ!」
「わっ!」
考え込んでいたら再接近していたラシュリーさんに気がつかなかった。
「お姉様って、呼んで?」
ラシュリーさんは私の手を取り期待に踊る瞳をキラキラさせる。
ちょっと小首を傾げる仕草は反則なんじゃないだろうか。
あ、やめて。
無理。無理だって。
恥ずかしいから、気恥ずかしさでどうにかなっちゃいそうだから!
「さぁ!!」
こ、これは逃げられない。
「……ラ、ラシュリー……おねえ……さま」
「大きな声で!」
「ラシュリー、お姉様!」
「もっと親しみを込めて!」
「ラ、ラシュ姉様!」
「もう一回!」
「ラシュ姉様!」
「甘えた感じで!」
「ラシュ姉様ぁ」
「むくれた感じで!」
「ラシュ姉様ったら!」
「今にも泣きそうなぐらい!」
「ラシュねえさまぁ」
「可愛く!」
「ラシュリーお姉ちゃーん」
「ラブリーに!」
「ラシュねぇ♡」
「なぁにカイリぃ!」
「ぐえっ」
思いっきり抱きしめられて、絞められた鶏みたいな声が出た。
苦しい! ダメ! なんか出ちゃう!
「ごほん」
「ふぇ?」
私でもラシュリーさんでもない咳払いがした。
咳が聞こえた方を見ると、アネモネさんが姿勢正しく楚楚として扉の横に立っている。
「お嬢様方、もうよろしいですか?」
「あ、はい。すみません」
急激に冷めていく思考。
今、私なんか変だった。
危ない。
ラシュリーさんの勢いに飲まれておかしくなってた。
なんて恥ずかしいことしてたんだろう。
もしかしてアネモネさん、ずっと見てた?
……最初から?
「ちょっと盛り上がりすぎたわね」
ちょっと?
あれが?
「カイリ様、お体の具合はどうですか?」
その肩口まで揃えた赤毛に良く映えるホワイトプリムをちょっとだけ揺らしながら、アネモネさんがゆっくり近づいて来る。
「あ、だいじょうぶです」
「それはようございます。私も安心しました」
にこやかに私の肩に手を置く。
ん?
なんでそんなに力入れるの?
今私はラシュリーさんに抱きしめられつつ、アネモネさんに肩をがっしりと掴まれている。
まるで、拘束されてるみたいに。
「さぁてカイリ様。お体になんの問題もないのであれば、お着替えをしなければなりません」
「き、着替え……ですか?」
「ええ」
目を細めて笑うアネモネさんの顔が、なんだか怖い。
さっきまでのラシュリーさんと同じぐらい怖い。
「そうね。着替えなきゃダメね」
ラシュリーさんも私の腰に回した手にまた力を込める。
「え? え?」
私が逃げないように、両側からガッチリホールドしてる?
なんで? 別に、逃げないけれど。
「カイリ様。ドレスを数着ご用意しております。ラシュリーお嬢様のお古になりますが、大変よく仕立てられていて綺麗ですよ?」
「ど、どれす?」
「ええ、ドレスよ」
ゆっくりゆっくりと、体を押して来るアネモネさん。
「き、着なきゃいけないんですか?」
「はい。このグランハインド家王都別宅、その主人代理であるミレイシュリーお嬢様がお呼びですから」
ミレイシュリーさんって、ラシュリーさんのお姉さんだよね?
「姉様は今日の夜に、今回の事件のご説明を兼ねた晩餐会を開くそうなの。貴女が目を覚まさなければ私と姉様で済ます予定だったのだけれど、貴女が起きたのなら貴女が出席しないと筋が通らないわよね?」
「え? 晩餐会? え?」
なんでそれでこんな怖い空気になるの?
晩餐会ってパーティーでしょ?
「カイリ様、お覚悟を」
「か、覚悟?」
なんの?
何させられるの?
「カイリ、貴女」
ラシュリーさんが急に真顔になった。
「コルセットって、知ってる?」
「へ?」
この時の私は、まだその恐怖と痛みを知らない幸せな女の子だった。