銀の流星
【うおーー!!】
「す、凄い凄いっ! 凄いよコワ! 貴女飛んでる! 飛んでるよっ!」
小さな翼を広げて、物凄いスピードで空へと駆け上がるコワール。
私はその背中にしがみついて、コワールの身体の熱を全身で感じ取る。
心地の良い熱さ。
この仔の生きている証が、薄く揺らめく蒼の炎となって全身から迸っている。
比喩でも何でもなく、本当に。
本来の翼の倍以上の大きさの、蒼い炎の翼。
それはとても力強く、そして美しい。
首の後ろに生えた短い産毛の鬣からも。
尻尾の先の可愛らしい毛玉からも。
たどたどしさが残る四本の脚の、まだ色が定着していない薄暗い蹄の周りからも。
勢い良く噴き上がる蒼い焔が、コワールの身体の色んな部分に現れた。
これはコワールの願いから生まれた、命の焔だ。
なぜそう思ったのかは分からない。
右手に輝くこの長い銀色の剣が、一体何処から現れたのかもさっぱりだ。
シンプルなデザインなのになぜかとても神々しく、まるで私の為に誂えたかのように人よりも小さなこの手にしっくりと馴染んでいる。
さっき聞こえたあの声は何だったんだろう。
天魔って、一体何の事だろう。
私は一体どうしちゃったんだろう。
でもそんなの、今はどうでも良い。
重要なのは、コワールと私の願いが叶い、あの赤ちゃんを助けられるかも知れないってことだけ!
蒼炎天翼。
確か私はそう言った。
間違いない。
コワールの事だ。
何もかもが分からない事だらけだけど、これだけは確信している。
コワールの身体を包む、触れていても全く熱くないこの蒼い焔。
これは私が目覚めさせた、コワールの力だ!
【まぁーてぇーっ! あかちゃんかえせぇーっ!】
興奮したコワールが赤ちゃんの籠をぶら下げた四匹の猿もモドキ達の後を追う。
この灰色の冬空を、まるで草原を駆けるように昇って行く。
蒼い焔に包まれた翼を大きく羽ばたかせながら、見えない大地に蹄を打ち付けるように飛んで行く。
凄い。
凄い凄い凄い凄い凄いっ!
アニーやエニオンより速いかも知れない!
こんな小さな子供なのに!
まだ赤ちゃんなのに!
私のコワールがとっても凄い!
『ギィッ!?』
一番後ろを飛んでいた猿モドキがようやく私達に気づいたようだ。
驚愕の表情を浮かべて固まっている。
「赤ちゃん、返してっ!」
【おかあさんのところにかえしてあげてっ!】
もう二度と!
貴方達にあんな笑い方させないんだから!
「コワ! あの猿達の少し後ろにつける!?」
【まかせてカイリおねえちゃん! ぼく、いまならなんだってできるよ! おかあさんみたいに! おとうさんみたいに!】
頼もしい。
まだ全然細くて弱々しく見える仔馬なのに、今のコワールは世界で一番強い仔馬だ。きっとそうに違いない!
「コワが頑張ったんだ! 今度は私の番だよね!」
そうだ。
追いついただけじゃまだ足りない。
あの籠の中にいる赤ちゃんを無事に取り戻すのは、私の仕事!
『ギィッ!』
『ギョアッ!』
先頭を飛ぶ二頭が何かを伝え合い、大きく頷いた。
すると猿モドキ達は大きく進路を変え、高度を下げる。
「どこにも行かせないんだからっ!」
【まてぇー!】
もう私達は猿モドキのすぐ後ろを飛んでいる。
コワールの速さはあの猿モドキ達を遥かに凌駕していて、あっという間に追いついたのだ。
やれる。
手を伸ばしたら、あの籠に手が届く!
まだ赤ちゃんの泣き声は聞こえている。
可哀想に。
もうその声が枯れかかっていて、聴いててとても痛々しい。
待ってて。
私とコワールが絶対に助け出してみせるから!
もう少しだから!
『ギャースッ!』
『ギャアッ!』
「なっ!?」
猿モドキ達が背中のコウモリみたいな羽を一斉に羽ばたかせて、急上昇した。
「もうっ!!」
【ふらふらするなーっ!!】
猿モドキ達の動きに合わせてコワールも上昇する。
高度を合わせて私が手を伸ばしたら、今度は急下降。
コワールがそれに合わせて降りたら、また上昇。
「わざとだな!?」
【むかつくーっ!】
なんていやらしい奴らだ!
私達の動きを見て乱高下する事で、赤ちゃんの籠に触れさせないようにしてるんだ!
枯れた木の森の上を、私達と猿モドキが縦横無尽に飛び回る。
時には細かい枝が顔や身体に当たるぐらいの低さで、かと思えば雲の中を突き抜けるような高さで。
まずい。
私達はまだ大丈夫だけど、こんな激しく上下に動いていたら、籠の中の赤ちゃんが耐えられなくなる。
どうしよう。
どうしたら良いんだろう。
せっかくコワが頑張ってくれているのに。
せっかく手の届くところまで飛んでこれたのに!
「カイリ様!」
この、声は……。
「ティオールさん! ビスティナさん!」
いつのまにか私達のすぐ後ろに、アニーとエニオンに乗ったティオールさんとビスティナさんが居た。
その後ろには十人ぐらいの鎧と槍を身につけた騎士さんとペガサス達も飛んでいる。
「見慣れない騎馬が飛んでいると思ったら何故貴女様がここに!? その仔馬は……もしかしてあのコワール!?」
私の右横に並ぶように速度を上げたビスティナさんが驚いている。
「あの赤子攫いは……、そうか! 私達が追っていたのは陽動か! クソッ! 小賢しい魔物め!」
左隣にはティオールさんが並ぶ。
やった!
助けが来た!
「そうなんです! あの籠の中に赤ちゃんが居るんです! 助けてあげてください!」
無力な私一人じゃどうしようもなかったけれど、これだけの騎士さん達が居るならあの子を助けれらるかも知れない!
私の心に小さな希望の火が灯ったその時だった。
『ギィッ!』
『ギャギャギャッ!』
「……え?」
私とコワールの上空を、幾つもの影が通り過ぎていく。
見上げると、夥しい数の猿モドキの群れが私達を見下ろしていた。
「くっ! 陽動隊が私達を追ってきたか!」
「総員槍を構えろ! 魔法の使用を許可する」
「エント卿! お前はカイリ様をお守りしろ!」
「了解しました! カイリ様! 高度をお下げください! ここは戦場となります!」
騎士さん達がすばやく私とコワールの周りを取り囲み、手に持った色んな形の武器を構えた。
「で、でも赤ちゃんが! うわっ!」
【やーん! じゃましないでー!】
急降下してくる猿モドキ達に進路を塞がれて、コワールが思うように飛べない。
こいつら! 私達をあの赤ちゃんに辿り着かせないよう邪魔をしに来たんだ!
「マーク! シーファー! タイロッド! お前らはカイリ様の守護を! シニアスとナクリーは私に続け!」
「「「了解!」」」
ティオールさんの号令で騎士さん達がペガサスを駆り、猿モドキへと突撃していった。
「くらえ!」
「援護します!」
後方を飛ぶ騎士さん達のその手から炎や雷が繰り出され、一匹一匹と猿モドキ達が地面へと落下していく。
あれが魔法?
目の前で繰り広げられる、生まれて初めて目の当たりにした戦場に体が震える。
盾を構えた騎士さんに向かって、一匹の猿モドキが鋭い爪を立てて突撃してきた。
それを力強く受け止めた騎士さんは、盾を持っていない手に構えた槍で猿モドキを一瞬で貫く。
鮮血が舞った。
いや、血に見えたそれはとてもドス黒い液体だ。
およそ生き物の体に巡っているとは思えないその気持ち悪い液体が、傷を負った猿モドキの体から噴出し、灰色の冬空を不快に染め上げる。
「ひっ」
コワールの体にしがみつきながら、周りで繰り広げられる戦闘をただ眺める。
怖い。
怖いよコワール。
悪意を持って襲い掛かる猿モドキ達に、騎士さんたち一切の躊躇いも持たずに迎え撃ち、切り捨てる。
命がひとつ。そしてまたひとつと消えていく。
【だ、だいじょうぶ? カイリおねえちゃん】
怯えて震える私を気遣って、コワールが声をかけてくれた。
「だ、だいじょうぶ。だいじょうぶ」
自分自身に言い聞かすよう返事を返し、コワールの首元に顔を埋めた。
「カイリ様! お下がりください!」
騎士さん達の間を縫って飛び掛ってきた猿モドキを、ビスティナさんの大きな槍が弾いた。
「で、でも赤ちゃんがっ!」
いつの間にか枯れた木々の森を抜け、眼下に煉瓦で造られた多くの建物が広がっている。
ここは、さっきティオールさんが教えてくれた城下町?
網目状に広がる道の色んなところで、住民達が私達を見上げている。
男の人、女の人。
おじいさんやおばあさん。
大勢の人が私達を指差し、怯えを含んだ表情で空を見上げていた。
その中で、子供に覆いかぶさるお母さんの姿があった。
空に広がる赤子攫いという危険から我が子を守ろうと、自身の身を盾にしているんだ。
怖がるな私!
怯えるな私!
あの籠の中で泣いている赤ちゃんだって、守ってあげないといけないんだ!
取り返さないといけないんだ!
『ギァアアアア!』
『ギギギッ!』
前を飛ぶ籠を持った4匹に、数匹の猿モドキ達が加わった。
速度と高度を上げて私達から遠ざかっていく。
「させないもんっ! コワール!」
【うんぬぬぬぬぬぬうううううぃぃぃぃぃぃ!】
蒼い焔の翼をより羽ばたかせて、コワールはその後を懸命に追う。
「カイリ様っ! なりません!」
ビスティナさんのその声を聞かず、私とコワールはどんどんと上空へと昇っていく。
「コワァァァァァァル!!」
【だあああああああああっ!!】
私の声に呼応するように、コワールの体から迸る焔が勢い良く吹き上げた。
『ギャーーーーーースッ!』
『ギャルァッ!』
「どけえええええええ!!」
【あっちぃぃぃ! いけぇえええええええ!】
前方より襲い掛かる猿モドキたちが、コワールの纏う焔に弾かれて落ちていく!
今の私とコワールの前に出てくると痛い目見るんだから!
知らないからね!
「もうぅぅぅすこしぃぃぃぃぃ!」
【あかちゃあああああああんっ!】
空気すら弾くほどの速度で、コワールは飛んでいく!
赤ちゃんの籠はもう目の前だ!
この手を伸ばせば!
ほら! もうすぐそこに!
『アギャ!』
『ギャースッ!』
「え?」
もう少し、もう少しだったのに!
「なんで落とすの!?」
【わっ! わわわわわっ!】
突然手放された籠が、数秒滞空した後で一気に地上目掛けて落下していく!
「コワ! 戻って!」
【とまらないのー!!】
速度を上げすぎたコワールはすぐにスピードを緩めることが出来ず、大きく弧を描いてUターンを試みた。
風が私の頬をびりびりと揺らして、雲の水滴が髪や体を濡らす。
「もうあんなところまで!」
【まってええええ!】
あっという間に私達と赤ちゃんの入った籠との距離が開いた。
空気抵抗で右に左にゆらゆらと揺れている籠を視界に入れたとたん、コワールは勢い良く急降下する。
自由落下プラス、コワールの羽ばたき。
昇って来たときよりももっと速い速度で私達は地面目掛けて飛んでいく。
振り落とされそうになるのを必死で堪えて、コワールの首にしがみつく。
顔面にぶつかる風で目が開けてられない。
それでも必死に目を開けて、籠を捉える。
「まにっ……あって!」
【うぉおおおおおっ!】
ゆっくりゆっくり、籠との距離が縮まっていく。
手を伸ばす。
弾性のある壁のように行く手をさえぎる風に力一杯抵抗し、右手はコワールの首に。左手は籠に向かって。
「あっ!」
赤ちゃんが籠から振り落とされた!
気を失っているのか、その小さな目は閉じられていてもう泣いていない。
届け! 届け!
もう地面はすぐそこだ!
ここで間に合わなかったら、もうあの子は二度と目を覚まさない!
お願い私の手!
あの子に届いて!
まるでまっすぐ降り注ぐ一筋の流星のように、私達は地面に向かって落ちていった。