催眠術師は道化師なり
支配。
その力を欲しがる者は多い。
またその方法も多岐に渡る。
腕力、権力、知恵、信仰、金、etc.
ありとあらゆる事柄を突き詰めれば、その領域に至るだろう。
誰にも邪魔されない。
誰にも頭を下げることも無い。
自身の思いのままだ。
罵る者、反逆する者。
自分の支配にそぐわない者は、捻じ伏せるか処理すれば良い。
言葉一つ、指先一つで思い通り。
そんな世界を夢見ることはないか?
少なくとも俺にはある。
まだ干支を一周と四分の一程度しか生きていない餓鬼ではあるが。
気に喰わない者、鬱陶しい者。
美しい女、可愛い少女。
食い尽くせない美食、飲み干せない美酒。
この世のありとある物を自由に。
嫉み、恨み、怒り、羨望でも良い。
誰もが見上げても届かない果ての権威。
「クックック……」
思わず笑みが零れる。
当たり前だ、“支配”そのものと言える力を手に入れたのだから。
金? 権力? 女?
それすら思い通りだ。
「まずは誰からにするか? 試運転だしな、なるべく失敗してもリスクが少ない相手は……」
本当に最高の気分だ。
「人を思いどうりにできる力なんてな……!」
●
催眠、というものがある。
意味をネットや辞書で調べれば『眠気を催すこと』と出るだろう。
だが、もう一つある。
それは『暗示を受けやすい変性意識状態のひとつ』とある。
そしてその状態へ導く技術を“催眠法”や“催眠術”という。
これらは、心理学や脳科学といった分野で説明できる技術であり科学である。
主な用途としては『ストレス解消といった心のケア』や、自身で制御の難しい『あがり症の改善』という治療法であったり、スポーツ分野でのイメージトレーニングに利用される事だろう。
詳しい説明は省くが、赤の他人に成人作品などの創作でよく見かける『洗脳クラスの暗示』を掛けるというのは不可能に近い、信頼関係を築いた後に長大な時間を掛けねば無理だ。
創作のような超能力でも有れば話は違うだろうが。
だが、
「その超能力を手に入れちゃった俺は幸運だな」
夜の闇に沈む部屋で一人笑う。
「ホント親父も馬鹿だよなぁ。俺なんかの事を信じるなんてさ」
ずっと昔、幼い頃に事故で亡くなった父を想う。
自分が殺したも同然だが、おかげでこんな素晴らしい能力を得た。
あの時、暴走運転していたチャラチャラした兄ちゃんにはいつか必ずお礼をしなければ。
「しっかし、神様ってのは意外とノリが軽いんだねぇ」
夢の中で親父と二人でやってきた人型はやけにフランクであった。
地味に世の宗教家達が発狂しそうな事実を知ってしまったのもあるが、この能力を手に入れた経緯を考えれば信仰心なんて吹き飛んだ。
なにせ、与えられた理由は父と神様の賭け試合の対象だからだ。
賭けの内容は能力を使って『外道に堕ちるか』、『正道を歩むか』という2択のどちらへ進むかというものだからだ。
「血すら繋がってない餓鬼を信じるって馬鹿だよなぁ。一割も無い確立なんだって?」
親父が賭けたのは後者の『正道』だそうだ。
ちなみに神様直々に“どす黒い悪意を持っている”と断定されたにも関わらずの選択だそうだ。
「親父には悪いけど、『正道』なんてクソ喰らえだわ」
賭けた物を聞いたが、親父が持つ秘蔵の酒と神様が持つ権限のほんの一部らしい。
それに俺自身が能力で悪逆非道の限りを尽くしても特に天罰などはないらしい。
『その時はその時』だそうだ。
聞く限り、特にリスクも何も無い。
まぁ、この賭けは遊びの一種らしいのでそこまで本気ではないのだろう。
神様基準では星一つが焼け野原になるぐらいは誤差の範囲のようだ。
「夢か何かと思ったけど、実際にこんなのが有ったら信じるしかねぇしな」
自室に置いた鏡を覗く。
そこに映ったのは一匹の醜悪な化け物。
平均よりは小さな背丈、ぽっちゃりと丸い肢体。
背が微妙に低いのは仕方ないとして、肥えた体の肉はダイエットしても脂肪が丸々筋肉へと置き換わり固太りになる始末。
正直これだけで最悪なのに止めに顔だ。
“腐り掛けの豚”だとか“肥溜めを人にするとこうなる”等々、果ては“深きものの面”との数多くの素晴らしい形容詞を頂いた。
暗闇で出会えば正気度の減少は確実らしい。
それは置いといて、注目するのは瞳だ。
というか、眼球だ。
幾何学的な模様が両の目に刻まれてやがる。
神様の話によれば能力の中核であり、人からは見えないらしい。
実際、義母と顔を合わせたが気付かれる事は無かった。
14歳前後が発症する病が再発してしまいそうだ。
教室へのテロリスト乱入の適切な対処法を想像したくなる。
「……リアルタイムで異世界転生して主人公している親父と比べるとアレだがな」
順調にイベントを消化してハーレムを形成しているようだ。もげろ。
「まぁ、正義感の強い親父らしいっちゃらしいか」
その正義感ゆえに日本では命を落とした訳だが。
「俺はそんなのどうでもいいけどな」
何で、外見だけで自分を嘲り罵る連中を助けなければならないのか。
「力のある者が犯して喰らう。それが世界の法則じゃねーのかね」
底辺であるからここまでいいようにされるのだ。
金や地位、他人が羨む何かがあれば自身への評価はまた違うのだろう。
「俺はこの能力で好き勝手させてもらうさ。そうだな……まずは脱童貞でいってみようかな」
人の支配すら容易な能力。
それでどう遊ぶか?
考えるだけで眠気は吹き飛んでしまう。
夜はまだまだ長引きそうだ。
●
時刻は夕方。
学生達が自由に解き放たれる時間だ。
場所は駅前。
電車通学のため毎日通る見慣れた場所だ。
都心に近いため、周辺には娯楽施設が一杯だ。
見渡せば様々な学校の生徒がゲームセンターや喫茶店、カラオケなどへ蜘蛛の巣を散らすように歩いてゆく。
勿論、帰宅する者は居り、その割合は多い。
家に向かって流れる人ごみの中、思わず呟いてしまう。
「……今日は命日だっけ」
突然だが、私の家庭環境は割と複雑だ。
離婚と再婚。
理由はどこにでも良くある話だった。
実の父と義父の妻が浮気をしていたという良くある話だ。
再婚理由は子供のためという理由だった。
当時、既に母と義父はお互いに子供が居た。
母には私、義父には一つ下の義弟が。
暫くして二人の結晶である妹ができたことか。
こうして家族五人の家庭となったが、今も尚私の頭を悩ませる者が居る。
義弟の事だ。
義父の連れ子であるが、姿形は全く似ていない。
それもそうだ、義弟と義父は全くの赤の他人なのだから。
義父の妻は恋多き人だったらしい。
実の父以外にも不特定多数の相手が居たらしく、義弟の実の父は未だハッキリしていない。
それでも義父は義弟を愛していたし、義弟もそれに応えていた……ような気がする。
義父の『息子は俺に似て良い漢だ』という口癖は耳にタコができる程だった。
妹も父である義父に懐いていたし、義弟にも甘えていた。
……義父が亡くなるまでは。
死因は交通事故。
義父は義弟を守るために身代わりになった。ただそれだけの、これまたどこにでも有るような話だった。
妹はそれから義弟に対して関わらないようになった。
それに正直言って私は義父を敬愛していた。
実の父よりも娘として甘えていた。
だから、原因である義弟の事を憎んだ事もある。
義弟も私と妹の態度を受け入れている節もあり、余計に苛立ちが募る事もあった。
母から事故の真相を聞いた今は、後悔ばかりしかない。
それでも、未だに義弟と関わりを持てないのは、私が踏み出せないか、義弟自身がその気がないからか。またはその両方だろう。
「今日こそ話をしないと」
今日は義父の命日でもある。
今まで義弟から散々逃げてきたのだ。
ケジメを着けるには、覚悟を決めるには最適な日だろう。
そう決めた時、
「そうそう、俺達とお話しようぜぇ? カワイコちゃん」
最悪だ。
「お? その制服、お嬢様学校のじゃん。まじ清楚だわ! 俺の好みー!」
お前の好みなんて知らん。
前後を挟むように男が二人立ちふさがられた。
ピアスにジャラジャラとアクセサリーをつけた不良然とした連中だ。
こういうのを最近はチンピラと言うのだっけ?
無視して横に逃げようとすると肩を掴まれた。
「おっと、逃げんなよ。楽しく遊ぼうぜ」
抵抗をするが、男女の体格差と人数差には叶わず細い路地に連れ込まれてしまった。
周囲の人間に視線を配るが誰も目を合わさない。
まるで私の存在に気付いていないかのようだ。
この辺りは治安が良いとは聞いているが、こんな馬鹿共が生息できる環境ではあったらしい。
路地裏の壁に押さえつけられ、手で口を塞がれる。
叫ぶ事もできず、制服に手を掛けられる。
「いい体してんじゃん。男好きする体してるぜ。やっべテンション上がってきた」
無遠慮に体を触るんじゃない。
目的は始めから判っていたとはいえ、こんな淫獣共に触られては不愉快だ。
淫獣共に気取られないよう片手を後ろに回して隠していた護身用の道具を掴む。
人に使うとかなり危険ではあるが、相手は幸いにも人ではない淫獣なので問題無し。
視線だけで淫獣の様子を窺うが、これから行うことに意識が飛んでいて気付きもしない。
……不愉快だし、さっさと終らせ――っ!?
護身用の道具を引き抜く事はできなかった。
何故なら淫獣共の後ろに新たな人影が立っていたからだ。
「なぁにしてんだ? 随分面白そうな事してるじゃん」
パーカーのフードで顔を隠すそれは淫獣に声を掛けた。
声は甲高くアヒルの様な声をしている。
ヘリウムガスでも吸っているのだろうか。
「誰だテメェ?」
「お楽しみの邪魔してタダで済むと思ってんのか?」
淫獣共は水を差された事でご立腹だ。
「――きゃっ」
手を離してくれたは良いが、おかげで尻餅をついてしまった。
「いやぁ、あんた達が丁度良く居て良かったよ。俺がこれからそこの彼女にエロい事してもお前達が罪を引っ被ってくれるんだからさ」
「あ゛あ゛? 何ワケワカンねぇ事言ってんだ」
「ああ、別に理解しなくて良いよ。“黙って寝てろ”」
たった一言、それだけだ。
それだけで淫獣共は地面に倒れ伏した。
倒れた際、コンクリートに強く頭を打ったにも拘らず呻き声一つ上げなかった。
「さて、そこの彼女には気の毒だけどもこれからエロエロな成人誌的な事をさせて貰います。安心して、やったのはそこの二人ってことにするし、させるから」
一難去ってまた一難とはこのことか。
どうして今日に限ってこんな連中に絡まれるのか。
危険な淫獣から言葉一つで昏倒させるような危険な相手に変わっただけでないか。
状況は良くなるどころか悪化している。
気持ちだけでも、と尻餅を付いた体勢のままパーカーを睨みつける。
下から覗く形になったことで、フードの中が見えた。
「ピエ……ロ?」
「――っ!?」
白化粧に赤鼻、真っ赤な唇にパンダの様な瞳。
化粧ではない、お面だ。
というか、私の顔を見た瞬間動揺しやがった。
何だ、顔に何か付いていたのか?
これでも学校のミスコンでは上位の実績がある容姿だと自負しているんだが。
「私の顔に何か?」
「――ッ」
質問したら脱兎の如く逃げだした。
「って逃げた!?」
思わず後を追う。
方向は大通りだ。
人混みの中に飛び込むのを目で追いかけながら私も飛び出した。
「――逃げられたか」
見渡しても学生服ばかり、パーカーを着ている人間は皆無だった。
「あ、あの淫獣ども忘れてた」
慌てて路地を戻るが二人の姿は無い。
「こっちも逃げられちゃったか……はぁ」
ため息を吐きながら携帯電話を取り出す。
目的は電話。
電話帳から目的の相手へ電話を掛ける。
「……もしもし、あーうん。今駅前で見つけたんだけど……逃げられちゃった」
テヘッ、と誤魔化したが駄目だった。
スピーカーから音割れする叫び声が聞こえる。
「いや、だってね。フードで顔を隠したピエロのお面が――」
自分で言っててよく分からないが、実際あったことなので仕方ない。
「うん、今日はもう出てこないだろうし家に帰るよ。……あー帰りにプリンね、はいはい了解しました」
通話を切ってポケットに仕舞う。
「うう、今日は踏んだり蹴ったりだ。せめて義弟と話す事だけは……」
頼まれたプリンを買い、覚悟して帰宅したが義弟は深夜を過ぎても帰ってくることはなかった。
●
「うっそだろ! 何で義姉さんがあそこに居るんだよ!?」
能力で周囲の人間の意識を逸らしながら逃げた先は廃ビル。
日も暮れ、辺りは真っ暗だ。
人気の無い所を探していたら自然とここに着いた。
「ちっくしょう! あんなチンピラ連中に手を出されるお嬢様学校の生徒を横取りする計画がー!」
彼女が路地裏に連れ込まれる後姿を見た時点での思いつきである。
「……しっかし、この周辺って警察の巡回とか力入れてる訳だしな。あんな見てくれからしてチンピラな二人が悪さするのは難しいだろうに」
落ち着いて考えてみれば違和感が浮かぶ。
「それに、義姉さんが連れて行かれた時、誰も気に掛ける素振りすら無かったよな?」
考えてみるほど違和感は強くなる。
「あれって、見て見ぬ振りっていうより、そもそも気付いていない感じが――ってあれは」
ふと上げた視線に知っている姿が映った。
それは先のチンピラ二人。
頭を打った影響かフラフラとした足取りでどこかに向かっている。
「こんなところで何してるんだ? てかどこに行こうとしているんだろ?」
心の中で鎌首をもたげたそれは好奇心。
昨日までなら全力で関わり合いたくない相手だ。
だが強大な能力を手にした事による慢心が好奇心を突き動かす。
今の自分にチンピラの一人や二人程度敵ではない。
「人気の無い方へ向かってるな。まーた何かやらかす気か?」
もしかしたら、また何かやらかすかもしれない。
下半身に脳が直結しているような連中だ。
成人誌の様な行為を行う可能性が高い。
「まぁ、その時は横取って楽しんだ後に通報でもしてやるか」
後から思えば穴だらけな計画ではある。
しかし、その時は好奇心の赴くままに追いかけてしまった。
好奇心は猫を殺す。
この言葉を思い出していれば未来は変わったかもしれない。
●
あっちへフラフラ、こっちへフラフラと彼らは彷徨う。
何かを探しているようにも、ただぶらついているだけのようにも見える。
そんな彼らの歩みは覚束無いものであったが、徐々に人気の無い方向へ向かっているのだけは確実だ。
進むにつれ街灯も建物の明かりも少なくなり、夜空に昇る月の光だけが頼りとなる。
「……なんで俺、あいつ等を追っかけてるんだろ」
少し冷えた頭では、尾行に掛かった時間でゲームや漫画をどれだけ消化できたか考えてしまう。
益体も無い事を考えていると彼らはとある工事現場に入って行った。
「確かここって開発中止になって資材や重機の置き場になっているんだっけ。何かを隠すにはうってつけだな」
周囲に人影は無い。
建物はあるが、倉庫であったり閉鎖されているため、ちょっとやそっとの大声は誰にも届かないだろう。
「さーて、一体何をしているんでしょうかね?」
入り口から顔だけ出して中を覗き込む。
中には月に照らされる人影が三つ。
二つはチンピラのもの、そして一つは。
「お? あいつはウチの学校の姫様じゃねぇか。何でこんな所に居るんだ?」
自身の通う学校の制服きている少女。
月に照らされた幻想的で色白な容姿はそこらのアイドルより上であり、学力も県トップという美少女だ。
姫様という渾名をもらうだけあり男女共に慕うものは多く、教師からの信頼も厚い。
欠点として体が弱く病弱だが、そこが返ってお姫様らしいという話だ。
自身と大違いである。
「でもアレだよな。姫って言うより女王様だよな、SM嬢的な意味で」
少なくとも自分は嫌いであった。
物腰が柔らかく誰とでも平等に扱うが、その周囲を見下す目が彼女の本質を表しているように思えた。
「あんな分かり易く見下されてんのに慕うって、あいつ等は全員ドMか何かなんだろうか」
そうであるなら、学校の8割以上が被虐属性だという恐ろしい事実になってしまうが。
「……見た目だけは上物だしな。よし、最初の獲物はあいつにしよう」
幸いにも舞台は整っている。
そうと決まればあの二人を昏倒させて、罪を引っ被ってもらおう。
「そろそろ行きます、か……」
体を動かす事ができなかった。
何故なら、
「旨そうな獲物じゃねぇカ!!」
「女だ、オンナァ――!」
チンピラ達の風貌が徐々に変わっていく。
口は裂け、四肢は太く強靭に。
見間違いでなければ角が二本生えているではないか。
異形と化したその姿は、鬼と表すのが適切か。
「え、えー……いつから世界はファンタジーになったんだ……」
神様直々に超能力を手に入れた身分なので強くは言えないが。
「って、このままだと姫が危ないなコレ」
様子を見る限り、女体を味わう(性的な意味で)が、女体を味わう(食事的な意味で)に変わってないか?
自分の求めるものは成人指定の××行為であり、吐き気を催すようなグロテスクなスプラッターではない。
同じR-18でもGは要らないのだ。
「何でこんなことに……」
自身の能力はチンピラに通じていた。
異形となったが、先程と同じように昏倒させることはできるだろう。
「全く、最近町を騒がしておいて……」
耳に届く凛とした声。
それは姫のものだ。
彼女は眼前に現れた化け物達に物怖じせず立ち向かっていた。
「こんな低俗な淫獣が我が物顔で野放しになっていたとは。まぁ私にとって都合が良いわ」
腕を一振り。
伸ばす手には深紅の大鎌が握られていた。
「最近血が足りなかったの。腐りかけた血でしょうけれど補充させてもらうわ」
その言葉が引き金となった。
両者共に衝突し、拳と鎌が飛び交う。
叫び声と嘲い声が辺りに響く。
「おお、もう……」
思わず目を覆う。
昨日までの平凡で退屈極まりない日常はどこへ行った。
戦況は終始に置いて姫が圧倒的だった。
武器対素手というのもあるが、彼らは指先一つ触れる事すら叶わない。
対する彼女は舞を踊るかのように動きに淀みが無い。
果ての決着は大鎌の一振り。
それだけで大の大人二人を弾き飛ばした。
「一体どんな腕力してるんだよ……」
触れれば折れそうな細腕にどれほどの力が秘められているのか。
全身傷だらけの鬼達は次の瞬間にはチンピラに戻っていた。
「準備運動にもならないとはね」
汗を掻くどころか呼吸すら乱れていない。
彼女はチンピラに歩み寄ると大鎌を振り上げた。
「それじゃあ頂きます」
「ちょっと待ったぁああ!」
流石に我慢の限界だった。
●
思わず飛び出してしまった。
流石に目の前で人間の解体ショーなんてされたらPTSD確定だ。
とまぁ、こうして飛び出したにも関わらず彼女に動揺はない。
「ネズミが居ると思ったら貴方だったのね。確か後輩の……ディープ・ワンさん?」
心臓の鼓動が早くなる。
正気度が減りそうな名前で呼んでいる時点で正体はバレている様なものだ。
「誰が“深きもの”だ。学校では名前で呼んでた癖に」
「あら、そうでしたか?」
「今更猫被っても遅いわ」
こうして軽口を叩けているのは奇跡だろう。
「ところで、何で俺だって判った? ピエロの面を着けているのに」
義姉と出会った時からお面は一度たりとも外していない。
服装もジーンズにパーカーといったどこにでも居そうな私服だ。
「ああ、そのことですか、簡単ですよ。だって――」
瞬間、彼女の姿が掻き消える。
「――その特徴的な血の臭いは貴方だけでしたから」
真後ろから声が聞こえる。
振り返れば直ぐそこに彼女は立っていた。
血の様に真っ赤な大鎌を携えて。
「……そう、かい。じゃあもう一つ質問良いか?」
「ええ、構いませんよ」
どこか上機嫌な声で了承を取れたので言葉を続ける。
「あの二人をどうするつもりだ? ついでに俺の処遇も聞きたいが」
「んーそうですね。貴方はとりあえず記憶を消して解放しますよ。目的ではありませんし、私の周囲で騒ぎを起こしたくありませんしね。そしてあの二人は――」
事も無げに彼女は言った。
「――食べるために呼びましたからね。血を全て頂いてミイラにでもするとしましょう。幸いこの場所には埋める場所が山ほど在りますし」
遠まわしな言い方だが殺害宣言である。
「えーっと、さっきから聞いていると血に関係する発言がありますけど……姫って吸血鬼かそれに類似する何かなんですかね?」
「当たってますよ。そうです吸血鬼です」
おい、誰だ。ファンタジーを現実に適応させた奴は。
「どうせ記憶を消しますしね。明日からはいつも通りの日常が待っていますよ?」
「へー、それは安心ですね。――で、“あの二人居なくなっちゃいました”よ?」
「あら? 本当だわ。いつの間に」
驚く声が聞こえる。
傍から見れば滑稽だ。
二人は今も尚そこに転がっているというのに。
能力で彼女の意識に入らないようにしただけだ。
「なーんて言うと思いました?」
「へ? ――ぐっ」
地面を転がる。
わき腹が痛い。
大鎌の柄で殴られたと理解するのに数秒掛かった。
「確かに私の目には映っていません。けれど血の香りは未だにそこに留まっていますからね。――私に何をしました?」
自身を見下ろす目は冷たい。
「さあ? 何の事ですか?」
惚けると真横に大鎌が突き刺さった。
「貴方、何か特異な能力を持っていますね。それにお面から覗くその“眼”。幾何学的な模様からして邪眼か魔眼の一種ですか? 前から私の“魅了”が通じていないように思っていましたが、それが原因でしたか」
学校での異常な人気は異能のものだったらしい。
それよりも眼の模様がバレている。
神様の人からは見えないというのは嘘だったのか。
……あ、そうか。吸血鬼という“人外”は“人”じゃないから見えてるのか。
こんなファンタジーな種族が存在する事を知っている上での言葉だろう。
詐欺に有ったような納得いかない思いであるが、それは横に置いておこう。
「だんまりですか。なら質問を変えます。何故あの二人を助けようとするんですか? 元は人とはいえ、その我欲から人を辞めて淫獣に成る様な者ですよ? 今はまだ人に戻れますが、性格を鑑みるにその内外道に落ちるだけですよ?」
「もし、俺の仕業だとして、どうして助けなきゃいけないんですかね? こいつらはさっき俺の家族に手を出そうとしてたんだが?」
あれは無意識に出た言葉だ。
考えれば考えるほど助ける道理はない。
むしろ去勢してしまえとすら思う。
ただ、父なら命を奪う事を見逃さないとはうっすら思ったが。
「貴方、顔だけじゃなく頭もおかしいんですか?」
見下す視線に冷たさは無くなったが呆れと罵倒を頂いた。
「そうかもしれんね。そうそう、興味本位で聞くけど、我欲が薄まればさっきの化け物になることはないんだな?」
「……まぁそうです。原因はあれらの憑き物ですから。自己中心的な考えと抑えようともしない我欲が憑き物を育てて取り込まれる訳ですね。我欲が薄まる、又は制御されるという事は、憑き物が活動するためのエネルギーが摂取できなくなって餓死するという事になりますね。まぁ、増幅された我欲は止められませんし、あれらに止めるだけの意思があるとは思えませんけれど」
「成る程、簡単な事じゃないか」
顔をチンピラに向ける。
やる事は簡単だ、視線を向けるだけだ。
「一体何をするつもりですか?」
答える必要はない。
暫くするとチンピラ達は立ち上がった。
目はどこか虚ろだが問題は無い。
そのままフラフラとした危なっかしい足取りで工事現場から出て行った。
「――っ、臭いが……。貴方、一体何を考えているのですか? アレらを自由にすればまた誰かが傷つくことになりますよ? それこそ貴方の家族だって」
「あー、大丈夫じゃないか? さっきボコボコにされて心底反省したみたいだし、きっと明日からは品行方正で清く正しい生活を送るんじゃない? これまでの所業も償って生きていくんだろうよ。まるで人が変わったかのようにね」
そうやって生きて行きたくなるように少し手を加えたが。
「……今ここで貴方を殺した方がいい気がしてきました。サクッと首を落としますので動かないでくださいね」
「あのー、俺何も悪い事はしてないんだけれど?」
「悪用する気はあるのでしょう? その点についてはアレらと同じ臭いをしていますしね。見たところ言葉どころか視線のみで洗脳染みたことができる様ですし、その気になればどんな悪事でも働けましょう? 貴方ぐらいの歳であれば性欲方面でですか? そんな性犯罪者予備軍は芽が出る前に処理した方が世のためだと思いますが?」
おっと、目が本気だ。
このままでは首と体が永遠にサヨナラだ。
弁解せねば。
「それは勘違――」
「口を閉じろ」
先程と同じように彼女が眼前から姿を消す。
しかし、振り返ることはできなかった。
深紅の大鎌が首に当てられたからだ。
「こちらを見ないでくださいね。アレらと同じような目に遭うのはゴメンですから」
確かに気付かぬうちに自分自身の思想を弄られるというのは恐怖だ。
彼女がここで処理したいというのは当然なのかもしれない。
だからって黙って殺される気も更々無いが。
「ちょっと――」
「それではさようなら。来世ではもう少しマシな顔になると良いですね!」
問答無用である。
果たして大鎌が引き抜かれる事は無かった。
「なっ何で……?」
驚愕に満ちた声が聞こえる。
「視線と言葉だけだと思ったか? 残念、俺から半径一メートル以内は効果範囲内なんだよ。てか、顔については余計なお世話だ」
衣服に付いた砂を叩き落としながら立ち上がる。
余裕を持って振り返れば驚きと恐怖に満ちた瞳と目が合う。
圧倒的優位から逆転されたその表情には中々そそるものがあるが、今はそんな場合ではない。
「形勢逆転ってところか。とはいってもそのままの体勢は辛いだろ? だから“俺に危害を加えるな”、それと“俺から離れる事、逃げる事は禁止”っと、“動いて良し”」
体の自由が戻った事により一瞬彼女の体がふらつくが、直ぐに体勢を立て直す。
悔しそうに睨みつける彼女に宣言する。
「さて、どうされたい?」
●
彼女は顔面を蒼白にしながらも睨みつける事を止めない。
その精神力は賞賛に値するだろう。
「そっちが悪いんだからな。穏便に済ませようと思っていたのにさ。命を狙ったんだからそれ相応の対応をするけど文句は無いよな」
「それはこちらの台詞です。邪魔をしなければ、出てくる事がなければ、私だって命を奪う事は考えませんでした。ですが、そんな危険な能力を間近で見せ付けられれば恐怖を覚えるのは当たり前ではありませんか。もう遅いですけれど」
喋りながらも手足が震えている。
これは恐怖もあるのだろうが、必死に動かそうとしているのだろう。
“危害を加えない”という暗示を掛けていなかったら今頃ボッコボコだ。
「それで、私をどうするつもりですか?」
「いや、どうしようかね?」
ここまでしておいてだが、全く考えていなかった。
当初の目的であれば、彼女を陵辱するのが正解なのだろう、容姿としてはこれ以上の逸材は無い、だけどぶっちゃけ逃げたい。
こんな厄ネタに関わりたくはないのが本心である。
日常に退屈していたのは本当だが、だからって命懸けな異能系バトルな世界に足を踏み込みたいとは思わん。
……俺に関する記憶を消して開放でいいか。
そう考えに集中していると、黙っている事で彼女の恐怖心を煽ってしまったらしい。
「くっこの下種め。どうせ私の意志を奪って人形みたいに弄ぶのでしょう! ×××な事や×××を命令して録画して脅すのでしょう! 他にも自分自身を畜生のように思い込ませて寒空の中×××で×××て愉悦に浸るのでしょう! もしくは貴方をご主人様と誤認させて×××で×××な奉仕や、道具のように×××して×××を――」
「するかぁああ!! 耳年増にも程があるわ!」
何だこの卑猥な単語のオンパレードは、そこらの男子高校生より知識が有りそうだ。
「とりあえず、俺に関する記憶だけは消させてもらうわ。――っとその前に質問、さっきあいつ等を食べるために呼んだって言ったよな? やっぱり血を飲まないと死ぬ系?」
「信用できませんね。まぁ、良いでしょう、無理矢理口を開かされるよりはマシですし答えます。死にはしません。ただ徐々に衰弱して、最終的には寝たきりになる程度ですかね」
「十分大事じゃないか……」
意外と必死な理由であった。
「必須量は半年に一口程度で良いんですけどね、それに病院から輸血パックを定期的に貰っていますし」
「じゃあ何でミイラになるまで飲むなんて言ったんだよ。人間の血なんて数リットルあるだろ?」
確か2リットルのペットボトルが2本から3本程度だったか。
「なら言いますけど、例えるならコンビニなどで売っている果汁飲料。貴方も飲むとはおもいますが、別に飲まなくたって死にはしないのに皆さんお金を払ってまで飲みますでしょう? だって“美味しい”から。それと同じです。吸血鬼にとって輸血パックは“食事”ですが、生きている血は“果汁飲料”と言えるのですよ。飲む量は桁違いですけど」
「種族の違いってやつなのかコレ?」
異種族交流の難しさを垣間見た気がする。
「まー、知りたい事も聞けたし記憶は消させてもらうわ」
頭に手を翳す。
大雑把ならともかく、細かい作業をする時は対象に近づかなければ難しい。
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
「……何?」
必死な懇願に思わず手を止めてしまう。
「記憶を消す前に一口、貴方の血を一口下さい! 前からどんな味がするか気になっていたんですよ」
「血に味なんてあるのか?」
鉄臭いだけだと思うが。
「何言ってるんですか。A型、B型とそれぞれあるのに味が無い訳ないじゃないですか。人それぞれ特徴があるんですよ。特に貴方の様な特徴的な臭いがする血は今まで出会ったことが無いので凄い気になっているんです」
吸血鬼的に譲れないものがあるらしい。
訴える必死さにどこか違和感を感じながらも許可する。
「んーじゃあ“一啜り分だけ”な。一口といいながら全身の3割以上を吸われたら堪ったもんじゃないし」
「――チッ」
しっかり聞こえているぞ。
「じゃあ止めるか」
「嘘です嘘です。大匙、いや小匙一杯分だけです!」
「じゃあ、ホラ」
彼女に向かって腕を伸ばす。
「――?」
首を傾げているんじゃないよ。
「いや、血を飲むんだろ?」
「ああ、そういうことですか。私、血を味わうときは首筋って決めているんです。末端部分の血液は薄いので」
「……大丈夫か? 頭」
異性の、それも正気度が下がるような人間に近づきたがるとか正気を疑う。
「少なくとも貴方よりマシですよ。では気をとりなおして、頂きます」
また背後に瞬間移動しやがった。
ご丁寧にフードを降ろして吸いやすくしている。
「んっ――」
首筋にチクッとした痛みが走る。
直後に痛みが霧散するあたり蚊と似たような仕組みなのか。
そんな馬鹿なことを考えているのがばれたのか背中の肉を摘まれた。
突っ込み目的の行為は危害に該当しないようだ。
「なぁ、そろそろ十分だろ?」
味わうにしては長い。
どうしたのかと視線だけでも向けると。
「――――」
苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「――ぷはぁ。……ゴメン、ちょっと時間頂戴」
口を押さえ、俯く彼女にかける言葉が出ない。
というか、不味かったのか。
被っていた猫が取れるレベルで不味かったのか。
「なんていうんだろ、ジュースって言うより……何だろ?」
唐突に血液の評価が始まった。
「はっきりとした甘みは無くてね。鉄の苦味が強いっていうか、でも苦味の中にまろやかさ? があって、コクっていうの? それが苦味と調和していて飽きを感じさせないの。喉越しもキレがあって血液にあるまじき爽やかさがあってね。総評としては、『不味い、もう一口!』って感じで――」
「青汁じゃねーよ」
どこぞの健康食品と同じ扱いは何だか凹む。
「それにたった一口でこんなに体に活力が漲ってる。貴方本当に人間?」
「失礼な。少なくとも人間から産まれたわ。……気は済んだろ? それじゃ記憶消すからな」
手を額に翳そうとして腕が止まる。
どうしても干渉に必要な距離まで伸ばせない。
自分の意思ではないし、誰かに抑えられている訳でもない。
理由はそこでニヤニヤしている姫が知っているのだろう。
「何をした?」
「んー? 教えて欲しい?」
思い当たる節はたった一つしかない。
「血を吸う以外に危害を加えることはできない筈だぞ」
「そうだねー。危害は加えられないね」
吸われた場所に手を当てる。
血でほのかに湿っていたが、それ以前に皮膚に異常な盛り上がりがある。
感触からして何かの模様か。
「眷属にすることはできなかったから契約したの。ああ腫れは暫くすれば収まるから安心してね」
やられた。
「私達が出来る最上位の契約。内容はザックリ言って『お互いを害さず裏切らず』って感じ?」
「俺は了承してないんだが」
「え? 許可は取ったじゃない、『血を吸ってもいいですか?』って。その後に異性の吸血鬼に首筋を差し出した時点で契約書にサインを書いたようなモノよ」
「契約条件ユルユルじゃねーか。そこらの詐欺より性質悪いぞ。って異性の吸血鬼?」
あ、ヤバイ。言っていて何だか嫌な予感がしてきた。
だって、姫の顔が真っ赤に染まってるから。
彼女の反応や契約の内容から考えて、導き出される答えは。
「なぁ、もしかして“生涯の”って修飾語が付く契約じゃねぇだろうな?」
「…………」
無言で頷かれても俺にどうしろと?
「馬鹿じゃねーの!? 何トンデモない契約してんの!?」
「これしか方法が無かったの! 貴方みたいな能力者を野放しに出来る訳ないでしょ! ……それに貴方このまま自由にしてたら死んじゃうわよ?」
心臓に悪い予言は止めて欲しいのだが。
「血を飲んで分かったわ。私達みたいな人外にとって貴方は味は悪いけど最高の食材だわ」
「それ貶してんの? それとも褒めてんの?」
「小さじ程度でこんなに活力が漲るもの。コップ一杯分飲んだら……どうなるのかしらね?」
無視して話を進めないで欲しい、それとその怪しい目を止めろ。
「とにかく、これからは私と一緒に行動しなさい。犯罪を犯さないか見張れるし、人外に襲われたら助けに入れるしね」
「さっきと言ってる事が違わないか? 俺が死ぬ事は歓迎する事じゃないのか?」
言っていて悲しくなるが、死ねば彼女との契約は解除されるだろうし、彼女の言う性犯罪者予備軍の一人が消えると彼女の利ばかりだと思うが。
「言ったでしょ、貴方は最高の食材だって。性質の悪い人食い鬼にでも食われてみなさいよ、そうなったら私達“人外”でも手の着けられない“化け物”が産まれちゃうわよ。私達だって好き好んで騒ぎを起こしたい訳じゃないの。さっきのアイツらだって人に害を成す“淫獣”に成るのが確定していたから処理しようとした訳だし。結局貴方のお蔭で殺さずに済んだけどね」
「……『人間は食料だー』とか『飽きない玩具だー』みたいな考えは無いのか?」
伝承では力ある人外は人の敵として書かれている事が多い。
だが、そんな疑問に彼女は笑い出した。
「あははは、そんな古臭い考えの連中なんてほとんど居ないんじゃない?」
「そうなのか?」
「だってTVに漫画にゲームって娯楽は沢山あるし、食べ物だって千円有ればお腹が膨れるぐらいには食べられるしね? そんな文明の恩恵に与っていながら、そんな恥ずかしいこと言う連中は少なくとも人の近くには居ないわ」
「じゃあ、あのチンピラ達に憑いていたのは?」
「あの憑き物はね、人の悪意やエゴを糧として植物や菌類のように成長するモノ。意思らしい意思は無いわ。強いて言うなら増幅させてより多くの糧を取るための欲求が意思になるかもね」
「へー、なるほどな」
退屈だと思っていた日常の裏に潜む事実に感嘆の声を上げることしかできない。
「他人事みたいな顔しているけれど貴方はもうこっち側だからね」
「へ?」
「吸血鬼と、その……しょ、生涯の契約をしたってことは婚約者って事でもう身内扱いだから」
拝啓、異世界の親父様。
気が付いたら人生の墓場に入っていたようです。
これからは契約書はよく確認しようと思いました。敬具。
「一応契約の効果で私と貴方、お互いに利益もあるわ。大まかに言えば、私は日の下でも活動できる肉体、貴方は吸血鬼の再生能力の劣化版ってところかしら。他にも有るけれどね」
そういえば学校では病弱設定だった。
考えれば吸血鬼が弱点である日光の下で活動するのは厳しいものがあったのだろう。
「さて、夜も遅くなってきちゃったし、そろそろ行きましょうか」
「行くってどこに?」
「私の家よ。両親に説明しないといけないでしょ、旦那様?」
「ちょっと待て、その呼称については断固拒否する」
「お、おまえ、でも良いわよ」
「だったらまず顔を赤くしないで言ってくれ」
腕を掴まれて引きづられる。
全身で抵抗するが、吸血鬼の腕力の前には虚しく意味が無い。
「それに、貴方の存在を周知させないとね。下手に隠すほうが危険だわ」
「……ということは俺の能力も?」
「当たり前でしょ。それは確実に報告するわ。扱い方さえ気を付ければこれ以上無いほど有用ではあるから」
「俺のエロエロ作戦計画が……」
「……やっぱり、そんな事を考えていたのね。これからはそんな馬鹿なことをしないよう発信機でも付けようかしら?」
気分は屠殺場に運ばれる子牛の気分だ。
「童貞の癖に大それた事を考えるんだから。むしろ童貞だからこそ?」
「どどど、童貞ちゃうわ!」
「照れない照れない、種族的なもので分かるのよ。ま、お蔭でまだ未遂ってことの証明にはなるかもね?」
なるほど、もし夕方出会ったのが義姉でなければ人生がBADENDになっていたかもしれないのか。
「お父さんもお母さんも話せば分かる人だから、危険だから一生監禁するとかは……多分無いわ!」
「希望的観測過ぎやしませんかね、てかなし崩しとはいえ娘と勝手に婚約する馬の骨って、父親的に十分私刑の対象だと思うんだけど?」
「大丈夫、死ぬ事は無いと思うわ」
「私刑は確定なんですね、やだー!」
叫び声は夜空に虚しく溶けていく。
その数時間後に更に悲鳴を上げる事になるが、結論として父の娘への愛は凄いの一言に尽きた。