072 というわけで
前話の続きです。
家は川から離れて小さな森の中にあります。
スラムと言ってもグレイズは広いもので、北エリアと西エリアに広がっています。
私達のいる場所は北の離れた場所で、ここまで来るとスラムといっても荒くれ者もいない安全な場所です。その代わり物を手に入れるのにも困る程乏しい場所でもあり、普通はこんな場所に暮らす人はいません。
何故こんな離れた場所に住むかと問われたら、私達の身の安全を確保するためとなります。
父が事件に巻き込まれる前に予め用意して下さったのは、元々街の近くの場所でした。
父の伝手のある方がお世話して下さり、その場所へ逃げ延びたのですが、それも父の失脚が濃厚となった時には手のひらを返され、多額のお金を要求され、さもなければ妹を差し出せというのです。
私達は彼らからも身を隠すため、この離れた不便な川上のエリアに移り住んだわけです。
この地域は競争も激しく治安の悪い街側を避けてきた人や、そうした場所では暮らしていけない様な老齢の方などが暮らしていて、比較的穏やかな生活が出来る場所です。
特にここのご近所の方々はお優しい方ばかりで、沢山の方が私達の家を建てるのを手伝って下さり、家が出来てからも何かと困りごとが有ったら親身に相談に乗って下さる方々で、ここに来て良かったと思っていたものですが、越してから数日して母は病に倒れ、私達は薬を買うお金を集めるために物を拾いに出かけるなどし、それらをスラムの闇市で売り、何とか横流し品の薬を入手できないかと動いているところなのです。
ようやく落ち着けると思ったのに、……束の間のことでした。
そんなある日、川で流れ着く行き倒れを見つけた私達は幸運に恵まれたと思いました。
それがまさか生きていて、あまつさえ私達の家に居候を要求するなどということになろうとは、あまりに不幸なことではないかと思うのです。
彼を伴ってようやく我が家に着きました。
私達の家は廃材の寄せ集めで作られたものですが、こうして小さいながらも屋根も壁もある家に暮らせることは幸運なことです。
……不幸は連れてきてしまいましたが、この幸運の前には霞むというものです。
「ただいま帰りました」
「ただいま~」
私と妹の言葉にも返事は有りません。
母は木の板の上に藁を敷いて、ボロ布を掛けただけの粗末な布団に、ボロ布を被って寝ています。
こんなものしか無いと言えど、こんなものですら集めるのが大変なのがスラムの現実です。
「お母様……」
私と妹が母のもとにゆくと、母は額に汗を浮かべて眠っています。
母が病に倒れてからというもの、食事もあまり通らぬその姿に心痛める日々です。
良い薬があれば助かるのかもしれませんが、無い物ねだりですわ。
「本日はお客様をお泊めすることになりました。男性のお客様をお連れしてしまいましたが、この責任は私が責任もって対処致しますので、お母様はお気になさらずゆっくりとお休みくださいませ」
「あらら~、ちょっと~、僕って随分と汚らわしい動物扱いじゃないかな~。こんなに可愛い生き物をその扱いは失礼だと思わないの~?」
はぁ、悪魔が何か言っていますわ。
この方、ご自分で自身のことを可愛いと仰っている辺り、容姿に相当の自信がおありなんでしょうね。
……いえ、実際この方のお顔立ちは天使だと私も錯覚致しましたわ。でも、その中身は見紛うことなき悪魔でございました。
女所帯に殿方が図々しくも強引な物言いで泊まりに来るだなんて、普通は有り得ないことですもの。
その悪魔は私達のもとに近付いてきて、彼の小さなバッグから綺麗な小瓶を取り出したんですの。
その容器は宝石のように綺麗な輝きを放っていて、とても高価そうです。
こんなものを持っているだなんて、彼が気を失っていたらアレも私達の物としてお金にすることが出来たでしょうに。
……残念です。
「ねぇ、ちょっとそこどけてくれる~?」
「え? なんですの?」
「いいから~、君もどいてくれるよね~?」
彼が笑顔で私達に要求してきます。
でも、その笑顔には有無を言わせぬ何か得体の知れない迫力を感じました。
まさか、これが悪魔の力というものかしら。
侮りがたし、悪魔。
私達はしぶしぶその場を立ち、彼に場所を譲りました。
彼は母のもとにしゃがむと容器の蓋を開けました。
「お母様に悪さしたら承知しませんわよ」
「そうだよ。お母様をいじめちゃダメよ!」
「うん、はいはい。大丈夫だから僕に任せなさいよ~」
彼は私達の声に意に介した様子もなく、鼻歌交じりに母の口を片手で開くと、容器の中身をゆっくりと垂らし始めました。
「ちょっと、何をなさっているの!?」
「薬を飲ませているんだから、黙っていなさいな~」
「薬!?」
そんなやり取りをしていると、母の体が仄かに緑色に輝きだしました。
その光に目を奪われているとそれはすぐに止み、中身が全て母の口の中に消えた頃には顔色が明るくなっているのが分かります。
何が起こったというのでしょうか。
「さぁ、これで大丈夫だよ~。って思ったけれど、コレ何だろう? 鑑定!……あらら、こんなものまで被ってるのぉ~? もぉ、面倒なことするなぁ。えい!」
何やらぶつぶつと独り言を呟いていた彼は、口元を押さえていた手を額に移動させました。そしてバッグから小さな黒い四角形を取り出すと、それを母の胸の上あたりに置いたんです。
額に置く手が青白く輝きだして全身に光が走ると、全身から黒い靄が煙の様に上がってきてとても気味悪かったのですが、それらが白くキラキラ輝いて弾けて黒い四角形の方に吸い込まれていきました。
「はいは~い、おしま~い。どうですか~。お加減はいかがですか~?」
彼が優しく独特の伸びのある言葉で話しかけると、母がゆっくりと目を開けました。
「……嘘のようです。体中を縛るように感じられたものが消えて、気怠さも重苦しさもありません。こんなに軽いだなんて……有難うございます」
母は涙を流していました。
私も妹もその様を見てほろりと涙が流れてきました。
彼は母の目の上に手のひらをそっと置いて言うのです。
「よく頑張ったね~。苦しかったんだね~。でも、もう大丈夫だから安心してね。……っというわけで、僕、ここに泊まって良いよね~?」
「「「……」」」
……途中まではとても素晴らしい流れに感じていたんですけれども、この言葉でなんだか台無しになった気分ですわ。でも、不思議とその言葉に反論する気にはなりませんでした。
だって、この方は母を助けて下さったんですもの。
「分かりました。恩を仇で返すほど非道ではございませんわ。私はアリサ。あなたは?」
「僕の名はケリーって呼んで」
「分かりました。ケリー、有難うございます」
「フフ、良いってことよ~。で、泊めてくれるんでしょ?」
「えぇ」
彼は強引に私達に付いてきましたが、こうして何度も確認するあたり、本心では親切な方なんでしょう。
そんなことを思う私でした。
本当にありがとうございます。
ケリーさん。
姉妹は家に悪魔を連れて帰ってきました。
そうしたら、悪魔が怪しい薬と四角い物体を出して母を治してしまいました。
見直した気分でいたら、やっぱり彼は悪魔でした。
でも、その悪魔は恩人になりました。
遂にケリーの登場です。




