温泉
「だぁぁ……疲れた」
ようやく焼きそば地獄から免れた俺達は日陰に座り込み、休んでいた。
自作した醤油ベースの焼肉のタレが無くなったので、焼きそばは1時間で売り切れとなった。次回はいつですかとか聞いてくる奴がいたが断った。俺は商売人じゃないっての。
流石にこれだけやってタダなわけが無く、ある程度の小銭は出させた。材料は客持ちだが、こっちはタレに金を少し掛けている。醤油ベースに蜂蜜や果物、野菜等を形が無くなるまで煮て試行錯誤して作った特製のタレだ。調理スキルの〈熟成〉のお蔭で時間は殆ど掛かってはいないけどな。
「マサキ、ご苦労様。あんなに人が集まるとは思わなかったな」
「一列に並んでもらうのが大変でしたね。獣人の人達も律儀に並んでたのにはちょっと笑っちゃいましたけど」
意外だったのが獣人の人達も集まってきたことだ。
匂いがきついものだから苦手意識があるのかもと思っていたのだが、こういった濃い味というのは獣王国には馴染みの深いモノらしい。
獣王国と言えば、今は連合軍や王国が帝国残党兵を追って南に進出しているらしい。獣王国と連携して領地を取り戻すのを協力しているようだ。
それと同時に捕虜のピストン輸送も行っている。捕虜の中にはこちらの大陸を探索したいと冒険者になるものもいた。故郷の味と言ってリスの尻尾が生えたおっさんが焼きそばを買い込んでたが、多分、その類だろう。
獣王国には良さそうなソースがありそうだ。知人の件もあるし、領地が落ち着いたら行ってみるのも良いだろう。
「あれだけ料理したのは本当に久しぶりだ。腕がパンパンだ。……そうだ。新しくできた温泉にでもいくか。秋葉もどうだ?」
「え? 私も一緒にいいですか?」
「ああ、さっきギルド出る前から汗をかいてたみたいだしな。元から温泉に誘うつもりだったし、丁度いいだろ。ついでに焼きそばの匂いが服に染みついたかもしれないから、二人とも新しい服でも買おうか。臨時収入もあったことだしな」
「え? わ、私もですか?」
「当然だろ? アデルもいいよな?」
「私は別に構わないな。秋葉の選ぶ服が気になる」
異世界でもファッションの違いとかはやっぱり気になるのか。女と言うのは何処の世界でも同じものなのだろう。
温泉に入る前に服が売っている場所に行くと、店の前のベンチには大勢の父親や彼氏が死んだような目で座っていた。ここまで似なくても……。
「それじゃ、行ってくる」
「行ってきますね」
「あ、ああ。いってらっしゃい」
流石に女性服専門店には男は入りづらい。しかも焼きそば臭いしな。
空いているベンチに座ると隣のベンチに座っていた父親らしき人が俺の方に視線を向ける。同類と思われたのだろう。同類です。
何をするでもなくぼーっと待っているが、女性の服を買うときの待ち時間って何でこうも長いんだろうな。先に温泉にいくべきだっただろうか。しかしなぁ……ここで置いていくのは無いしな。暇だ。
適当に辺りを見渡してみると、道端で露店を開いている老人が目に付いた。退屈だし、見てみよう。
「いらっしゃい。遠く遠方の珍しい品が沢山あるよぉ。ほれ、これは万病に効く龍の角。エルフの隠れ里で仕入れた香木、鉄を引き寄せる不思議な石。安くしとくよ。ひっひっひ」
すげぇ怪しい。『鑑定』してみると龍の角はただの鹿の角と出た。香木は沈香と出た。説明文によると香木としては上質な物らしい。エルフの隠れ里で仕入れたという情報は信じられないが香木としては良い物みたいだ。
石は磁石と出た。そうえいば、昔に理科の実験で磁石を作ったなぁ。作れるなら買う必要はないな。
そのまま、数点を『鑑定』を使いながら品定めをしていくと一ついいのが見つかった。
手のひらサイズの黒ずんだ石を手に取ると、見た目より軽い。中身が空洞というわけでなく、軽石のような軽さだった。
「こいつはいくらだ?」
「あぁ、そいつは砂漠で見つけた石だよ。体を擦るのに便利だから使ってたんだがねぇ。買ってくれるんなら5フランでいいよ」
「よし、じゃあこの香木とこの石で」
「あいよ。まいどあり」
いい買い物をしたが、やることはやらないとな。
「ああ、そうだ」
「なんでしょうか?」
露天商に近づき、声量を落として露天商だけに聞こえるように耳元で囁いた。
「ここ、露店するには許可がいるぞ。それに、詐欺を働けば重い罰金だ。今回は見逃すが……俺の領地で詐欺を働けると思うなよ」
「へっ!? まさかあんた……いえ、貴方様は……」
「今はお忍びで来てるから見逃すけどな。だが、次はないぞ」
「は……はい」
「判ればいい。後は適当に温泉でも楽しんでいってくれ」
仕事として来てないから強くは言うつもりはない。俺が離れると露天商は店仕舞いをして足早にその場から立ち去った。
香木は少々値は張ったが、いい香りがする。値段以上に満足できるものだ。そして、石の方だが、『鑑定』の結果からいうと、これは『隕石』(メテオライト)だ。成分も見えたが隕鉄が3割、6割がテクタイトという宝石だ。残り1割はただの石。
はるか昔に砂漠に隕石が落ちてそれをあの露天商が拾ったのだろう。
これは良いものだ。研磨するのが楽しみだな。綺麗な宝石が出来たら加工して、アデルと秋葉にプレゼントしよう。ヨーコには香木が合いそうだし。
小物を露天商から買って元のベンチに戻ると丁度、二人とも店から出てきた。手には新しい服が入った買い物袋を抱えている。そして隣の父親の奥さんか娘さんはまだ出てこないようだ。ご愁傷様。
「すまない、随分と待たせてしまった」
「女性の買い物は時間がかかるって知ってるから大丈夫だ。これでもまだ短い方だと思ったしな」
「あ、じゃあ次の店で下着を」
「ごめんなさい、もう勘弁してくれ」
これ以上待つだけなのは過酷だ。特に下着とかなると下手すれば下着売り場に連れていかれかねん。地雷原に自分から行くことはない。
「冗談ですよ。それじゃ、いきましょうか」
「ああ。腕の疲れは取れてるが、温泉は入りたいしな」
毎日、屋敷の温泉には入っているがアタミの温泉にはまだ入ったことがないんだよな。再建には関わっているから中身は大体知ってるが、実際行ってみて体感したい。それから見えてくることも多いだろう。
アタミの温泉は大きく二つに分かれる。
昔からある石造りで出来た浴場と、壊れかけた温泉浴場を改装し直した和風建築の温泉浴場だ。見た目が殆ど銭湯になっている。
畳も欲しいのだがまだヤマトから仕入れが間に合っていないので無い。届き次第、休憩所に使う予定だ。
畳は新築の旅館の方にも多く使うので、ヤマトでも最大手の商店、『越後屋』に頼んだ、というか、資料見た時は本当に越後屋って書いてあって驚いた。
百年以上も続く老舗で味噌や醤油もここから仕入れている。ここと取り引きを出来るようになったのはジロウが苦労して信頼を勝ち取ったとのこと。ありがたい話だ。
多分、味噌と醤油が死ぬほど恋しくなったのだろう。俺も味噌と醤油と米がもし無かったら意地でも手に入れようとしただろう。
俺達が訪ねるのは銭湯の方だ。石材を最小限しか使わず、多くの木材を使って建設された温泉浴場はアタミの住人達でも新鮮に感じるらしく毎日盛況だ。
暖簾をくぐると男湯と女湯に分かれてある。混浴はない。残念だったな。
それでも石造りの方に温泉プールなどは建築中だ。家族連れやカップルなど、広い風呂場で遊びたい人達もいるだろうと思って作る事にした。
「それじゃ、俺はこっちだから。また後でな」
「ああ」
「ゆっくり休んで下さいね」
二人と別れて俺は男湯に向かう。
木造建築の銭湯は物珍しいようで大勢の人達で賑わっている。木の独特の香りはどうやらアタミ住民だけでなく、王国から来た人達、獣人にも気に入ってもらえたようだ。
さっさと服を脱ぎ、売店で買ったタオルを腰に巻いて浴場に出ると温かい湯気がむわっと俺を包み込んだ。
湯気が晴れると、種族問わずに様々な人達がのんびりと温泉に浸かっていた。ここでは皆が体を休めに来てるので諍いを起こすのはNGとなっている。もし喧嘩などをした場合はその姿のまま裏通りに放り出されることになっている。
裏通りは花街になっている。アッー系な人達もいるので迂闊な事は出来ない。
シベリアンハスキーのような毛並をした犬獣人の人が俺の目の前で掛け湯をすると、もこもこな毛が濡れてほっそりとなって、思わず吹きかけた。
獣人は抜け毛が多いので掛け湯する前にブラッシングして入るのが義務付けられている。温泉に抜け毛が大量に浮くのは衛生的によくないからな。
俺も掛け湯して、体を手早く洗ってから温泉に浸かるとシュワシュワと細かい泡が体にまとわりついてくる。
この温泉の性質は炭酸温泉だ。『鑑定』で見ると、疲労回復・高血圧・動脈硬化・関節痛・打撲・切り傷・やけど・冷え性・不妊症などに効くようだ。
炭酸温泉は珍しいらしく、この銭湯にしかない。少し離れた所になると温泉の性質が変わっていた。不思議なものだ。
シュワシュワと音と温泉の温かさを堪能していると、さっき俺の前で細くなっていた獣人が隣に座ってきた。波を建てずに静かに入ると、俺の方を見てきた。さっき笑いそうになったのがばれたのだろうか。
「温泉と云ふモノは、まことに良きモノでござる。初の事入り申したが、かように良きモノとは」
この獣人、侍っぽいぞ! シベリアンハスキーのような風貌なのに凄く口調が侍っぽい!
「あ、ああ。この性質の温泉は俺も初めてだ。実にいい……」
「真でござるな。かように良きものなら、しばし滞在するのもよきかもしれませぬ」
長期滞在しそうだ。この人。実力があるのなら、アタミの警備兵として来てくれたら治安の面で助かる。警備の担当はルードリッヒとタツマに任せてるから実力があれば雇うだろう。
ふう、いい湯だ。アデル達はどうしているかな。
女湯がある仕切りを見ると、定番通りな馬鹿な男達が覗こうとよじ登っていた。
俺は近くにあった手桶を手に取ると投擲スキル〈ホーミングシューター〉〈手加減攻撃〉で覗きをしようとしていた3人の男たちめがけて3連続で手桶を放り投げる。
〈ホーミングシューター〉により命中が上がった手桶が男達の頭に引き寄せられるように飛んでいく。
カコーンカコーンカコーン!と軽快な音が三つ。
全弾見事命中、手加減攻撃付けたから死んでないだろう。
「見事でござる」
よし、ゆっくりと浸かろう。
◆◇◆
女湯に入ったアデル達はごそごそとメイド服から着替えている犬耳の少女、ネメアーが保護しているフェンと出会っていた。
フェンは丁寧にメイド服を畳んで着替えを置く籠の中に入れるとアデル達に気付き丁重に頭を下げる。
「あ、秋葉さん、アデルさん。こんにちは」
「おや、フェンも温泉にきていたのか」
「フェンちゃん、こんにちは。ネメアーさんと一緒に来たのかな?」
「ネメアーおじさんは今日はダンジョンに潜るって言ってました。昔の友人が居たので久しぶりに暴れてくるみたいですよ」
「なるほど。それで今日はフェンが一人で温泉にか」
「はい、新しい温泉というのも気になってましたので!」
アデルが談笑しながら、ゴシックドレスのコスチュームを解除する。コスチュームが解除されて現れた姿は、凛とした騎士服だ。いつでも戦えるようにと心がけてきているが、赤い騎士服は良く目立つ。周囲の目が一斉にアデルに集中するが、アデルは全く気にせずに脱ぎ、スタイルのいい下着姿を露わにし始めた。
周囲に居た女性たちが思わず、ほうっと見惚れた様子を見せている。
「私はここの温泉、初日に来た事あるけど、凄く良かったよ。フェンちゃんも気に入るはず」
「そうなんですか? それは楽しみです」
秋葉も汗でぬれた迷彩柄のシャツと長ズボンを脱ぐとアデルに見劣りしない豊満な下着姿を露わにすると、フェンが自分の小さな胸をぺたぺたと触りながらしょんぼりと落ち込む。
「はぅぅ……お二人ともおっきいです……」
「あ、あはは。フェンちゃんもきっと大きくなるよ」
「大きくても邪魔なだけなんだがな……」
「アデルさん、それ言っちゃうと色んな人を敵に回すから言わないほうがいいですよ」
「そうなのか? 今度から気を付けよう。それじゃ、フェン。一緒に入るか?」
「はい。お願いします」
アデルは体をタオルで隠しながらフェンの小さな手を取って浴場へと歩いていく。途中で着替えは鍵付きのロッカーの中に入れておく。
フェンのもう片手は秋葉が握り、まだ子供なフェンは嬉しそうにニコニコと笑顔で浴場の扉を開くと、温泉を噴き出している噴水が目に入った。
「わぁ……」
「これはすごいな」
フェンとアデルの二人が感嘆の声を上げる。温泉の噴水は湯気を立ち上らせながら、近くで遊んでいる子供達を濡らしている。
美容にも良いようにと蒸気を利用したサウナや、岩盤浴も設置してある。
岩盤浴は最初は半信半疑だったが、貴族の方々が面白半分に試したところ、大量の汗をかいたものの体の調子が良くなったと好評で、口コミで人気が広まっていった。
アデルも最初は岩盤浴を試そうと思ったが、予約制になっていたので断念。
「アデルさんは領主さんの奥さんですから、言えば使わせてもらえるんじゃないですか?」
「立場が偉くとも、誰かの分を押しのけてまで使いたいとは思わないさ。それに、温泉だけでも十分いいものだよ」
アデルはフェンの体を掛け湯した後、全員で空いているスペースの湯船に入った。
長い髪は各自、紐で束ねて湯船に浸からないようにしている。
はぁぁっと一斉に気持ちよさそうな声を上げて、全員顔を見合わせ、クスクスと楽しそうに女性陣は笑い、温泉を堪能していった。
温泉に入りながら秋葉がフェンの毛づくろいをしたり、フェンが湯船に浮く二人の胸を見てまた落ち込んだりとしながらのんびりと温泉を楽しんでいく。
その後、カコーンカコーンカコーン! ドサァと男湯から軽快な音を立ち、首を傾げるが、すぐに興味が失せていた。




