幕末の名師弟
ホー、ホケキョ
「ん?ウグイスか?」
どこからか、ウグイスのさえずりが聴こえる。
すると目の前の笹藪に止まっている茶褐色の小鳥が鳴いているではないか。
やはりウグイスだ。
というよりここはどこ?
「幕末・・・だよな?」
あの神様と名乗るじいさんが送ってくれたのだから幕末なのは間違いないはずだ。
だけど、ここがどこだかは知らない。
1面竹林のなかで目が覚め、気づけば無一文。スマホや財布などはあるがな。
「下手したら薩摩とか、日本のはじっこじゃないよな」
俺としては幕末=江戸のほうがいい。
まずは人里を探そう。右も左もわからないままで動くとかえって遭難してしまう。
服装は死んだときと同じTシャツとジーパンとスニーカーだ。
身分を証すものもなければ、怪しまれる格好でしかない。
なんとも悲しい
塗装されていない野道を一人寂しく歩く。辺りは竹林なので建物も人影もない。
「このまま餓死とかないよな。」
それは嫌だな。せっかく幕末に来たのに何も出来ずに第2の人生とおさらばとは。
ガサガサ
と、ここでなにかが茂みを揺さぶり、気配を漂わせる。
ニャーン
ネコだ。三毛猫のようだが首輪はない。そもそもこの時代に首輪なんてあったかな?
「おー、よしよし」
な
その三毛猫を抱いては撫でてやる。母親がネコアレルギーだからネコを飼うことが出来なかった。1度は飼ってみたかったよ
ニャーン
まだ生まれて数ヵ月なのか、小ぶりな体格だ。それでもネコの可愛さは充分に発揮され、見るものをメロメロにする。
とても可愛い。黒、茶色、赤のまだら模様が・・・赤?
「・・・血?」
抱いてようやく気づく。ネコの半身は赤い。これは血だ
怪我したのか?いやそんな弱々しい様子はないし、どこも怪我していない
ならこの血は?
「・・・・!!」
「・・・・!?」
むこうが騒がしい。何人かの声が入り乱れて、騒ぎ立てている。
するとネコは俺の腕を離れてその声のする方向へと歩む。
俺はそのネコを追う。
「なんか血生臭いな・・・」
膝下ほどに生える草木を掻き分け、ネコを追いかけていく。
すると別の道へと辿り着いた
「お~い、どこだ。」
辺りを見回してネコを探す
「何者だ!」
いきなり後ろから声をかけられる。
見れば袴に刀、そしてちょんまげの侍の三大目印の格好の男二人組がいた。その右手の刀の刀身は赤く染め上がっている
そしてそのすぐ側には肩部をズバッと斬られ、無惨な屍と化している男とその男を斬ったと思われる藁笠の男がいた。
「貴様!何者だ!」
「お、おれ?いや・・・俺はネコを追ってたらここへ・・・」
「はぁ!」
俺のことに目がいって油断していると睨んだ一人の男が二人組へ刃を向ける。
突然のことで回避が遅れ、二人組の傍らがその刀身を身体へ受けてしまった。
「うわぁぁぁぁぁぁ!!」
その男は左腕がパックリと斬られ、血がボダボダと垂れ流れている。
あきらかに危険な状態だ。医療大学に通ってるので少なくとも俺の視点からはそう読み取れる。
すぐに治療しないと良くて全治数ヵ月、悪くて壊死による左腕切断か、失血死だ。
「くそ!」
その斬られた男の仲間が敵討ちのせんがため、刀を振るう。
だがヒラリとかわされてはおもいきり腹を刀身で峰打ちにされ、ゴロゴロと悶絶している
「ぐっ・・・!この異人に仲間する売国奴めが・・・」
「まだわかっちょらんか。そんな考えじゃといずれ外国に飲まれるぜよ。おまんらはほんと頭が固いな」
かなり訛っている。しかもやけに声質が高い。とても男の声には聞こえない
「それが国の恥だということがまだわからぬか!しかも主は我らを裏切ったのだぞ!」
「いやいや、わしはただの脱藩浪人ぜよ。ちと藩を抜けただけっちゅうのになぜ追われなかあかん」
「覚えとけ!我々はいずれ革命をもたらす!」
「まだそんなこと言っとるか。その先は牢で話んな。ほら、騒ぎを聞き付けたようぜよ」
竹林の道の向こうから十手を持った奉行の役人かと思われる人達が駆けてきた。
その強面と眼力からはいかにもビームが出そうだ
「南町奉行の者だ。すぐそばで斬り合いをしている者がいると聞いて参った。これは一体どういう事ですかな?」
「ほう、役人様か。わしは赤坂の知り合いの元へ行く途中にこいつらから襲われてのう。一人は斬り捨て、一人はそこで腕を抑え、もう一人は腹抑えて倒れている奴よ」
「して、そちらの御仁は?」
あれ?俺のことか?
どうしよう。名乗る名前もましてや、身分のない人間なのにどう答えればいいんだ?
しどろもどろにグルグルと回転する頭を整理しかけている時、訛りのある藁笠の男が口を挟ませる
「そいつは道中知り合った飲み仲間だ。変な格好しちょるがあやしいもんではない。」
「しかし・・・」
「疑うなら天守番・頭格の勝先生にワシのこと聞いとき。わしの名は坂本 龍馬じゃ。」
「・・・え?」
頭がフリーズしている。ゲームがバグったかのような唐突的なフリーズだ。
坂本 龍馬って・・・あの日本人では誰もが知ってる、というより知らない人はいない幕末の偉人?
あの藁笠の男が?
「天守番・頭格か・・・。なら貴殿の言うことはある程度嘘ではないな。ここから我々が引き受ける。後日、そちらにも連絡が入るやもしれん」
「わかった!あとはよろしく頼みもーせ。ほれ行くぞ」
「え??ちょっ・・・!」
頭がフリーズしているのでどうすることも出来ずにその男に連れていかれた。
「ふぅ~。危なかったぜよ。おまんが気を引いてくれたおかげでタマをとられずにすんだじゃき。あとわしに感謝しいや。役人様に怪者扱いされ、首を切らんとすんでな」
「は、はは・・・」
目の前の大物に目を奪われ、おもわず乾いた声しか出せない。
当然だ。日本人なら1度は会ってみたい幕末の偉人が眼前にいるのだから。興奮しないほうがおかしい
坂本龍馬。土佐に生まれ、脱藩しては志士となりて、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中 (後の海援隊)を結成した。
薩長同盟、大政奉還などに尽力し、倒幕及び明治維新に大きな影響を与えた人物だ
そんな大物が今目の前にいる。
「おい、どうした?やけに大人しいのう」
するとその坂本龍馬?、は藁笠の紐を解いては脱ぐ。そこには
「どれ、具合でも悪いのか?少しばかりかじった蘭学でも役に立てるかもしれんのう」
女。目の前の明治維新を作り上げた大物は女だった。少し茶色に近い長い髪をぶっきらぼうに結んではポニーテールに仕上げている。
大きく開いた袴の胸元から谷間が覗いている。かなり巨乳だ。
「お前・・・女か!?」
「何を言っておる。今時女など珍しくないじゃろう。おまん、どんだけ男臭い田舎から来ちょった?」
「いや、そうじゃなくて!なんで女が腰に刀を差してる!」
この時代、武家社会であると供に男尊女卑の精神が根強かった。男子は女子よりも上の階級としての考えが一般的なので当然女子が侍になれることも出来ず、袴を着ることもなかった。
「女が武士になることくらい普通じゃろう?まあ、わしと同じように田舎には武士なんて珍しかったからかのう。」
女が武士になることくらい普通?どんな世の中だ。
「それよりおまん、珍しい着物じゃのう。変わった布から出来とるか?」
「ん?このTシャツか?」
たしかこの時代の着物の素材は木綿や麻など主体だった。俺の着ている服は材料がポリウレタン。こんな時代、石油なんてまだ発見されていないし、ポリウレタンなんて未知の物体だ
「てぃーしゃつ?なんじゃそりゃ?外来ものか?」
「待ってくれ。えっと・・・坂本龍馬さん・・・ですよね?」
「そんな堅苦しい敬語なんてやめいやめい!わしのことは龍馬で結構じゃき。おまんの名はなんじゃ?」
「俺か?俺は・・柴崎 健だ。なあ、教えてくれ。今年は何年だ?」
「おまん、頭でもイカれたか?それとも浦島太郎みたいなやっちゃやのう。今年は文久2年ぜよ。」
(文久2年?たしか・・・明治元年の6年前・・・ということは1862年!?)
なんてことだ。ここは俺のいた世界より150年近くも前の世界なのか?
あの神様も結構な江戸時代の末期に送ってくれたもんだ。
まあ、一応感謝するけど。
「いきなり考え出してどうしたきに?それより急がんとヤバイ。勝先生に大目玉くらうぜよ!」
「へ?勝先生?」
「勝先生って・・・あの有名な・・」
考え事している最中に龍馬に手を引っ張られ無理矢理連れていかれる。
それにしても女にしては足が速い。これでも足の速さには自信があったが女に負けるとは
「ほら、ここが勝先生の家ぜよ!立派な屋敷じゃきに」
結構な距離を歩き、江戸の町を楽しんだ。珍しそうに見られたけど。
見るものすべてに驚き、珍しく、楽しませてくれる懐かしい感じがした。ここに住む人々は皆、150年前の日本に生きていたご先祖様たちなのだ。
「しかし、いろいろ驚いたな」
まず驚いたのは背丈だ。この時代の平均身長は男子は150センチ台、女子は140センチ台そこそこというところだろうか。
身長170センチ程度の俺でもこの時代ではかなり大きい方になってしまう。
そして最も驚いたのは武士だ。
俺の知っている知識では女が武士になることはもちろん、職に就くのも難しい。
だが、この世界では女が店を出し、袴を着て腰に刀を帯びて優雅に歩いている。男尊女卑の世の中だった江戸時代は男女平等の世の中へと変わったようだ。
(これもあの神様のせいか?)
あの神様は別れ際に『得点をつけてやる』とか言ってたのを覚えている。もしかしてこれがその得点というものだろうか。
難しいことを考えるのは止めよう。まずはここに住む大物へ会うために来たのだ
「先生、家に居るがかー?」
門を勝手に開けては堂々と玄関で叫び出す。
それにしても綺麗な庭だな。松を丁寧に刈り込み、濁ってるもののその風景によく合った池がある。なんとも日本庭園らしい光景だろう。か
「おう、龍馬かえ。わしはここよ。そんな大声出さんとも聞こえとるわ」
なかなか色気のある妙齢の女性。着流しを着てやはり腰に刀を帯びている。艶のある髪とのんびりとした表情だ。
「勝先生、ちと遅刻してもーてすんません。道中に浪人にちょっかい出されてのう。役人様にも勝先生の名前で逃れたから役人様からも書状が来ちょるかもしれん」
「まったく・・・次から次へと厄介事を持ってくるなお主は。少しはその喧嘩好きな性格を直しとくれ」
「とはいえこれがわしの性分じゃき。ほらほら、火事と喧嘩は江戸の華と言うじゃろ」
「お前は元土佐藩だろう。なに江戸っ子気取っとる。・・・ん?誰だい、そいつは?なんとも珍しい格好だが」
また俺か。
まあ、俺みたいな格好しているやつは怪しい者以外何者でもないよな。
「こいつはある意味命の恩人の健じゃ。ほれ、勝先生に挨拶せい」
「は、はじめまして、柴崎 健です」
「柴崎 健か・・・。いい名だな。わしは勝 海舟ってもんだ。天守番・頭格 講武所砲術師範役を勤めてる。」
やはり勝先生とはあの龍馬の師であり、山岡 鉄舟、高橋泥舟とともに「幕府の三舟」ともいわれている勝 海舟のことだ。
この国の事を案じて真っ先に外国と手を結ぶことを推した偉人であり、今は天守番・頭格 講武所砲術師範役に任命され、砲術に一役買っている。
「龍馬の命の恩人なら礼をしないわけにもいかないな。さっ、あがってくれ」
「は、はあ・・・お邪魔します」
目の前の二大偉人に頭が上がるわけでもなく、こそこそと海舟の屋敷へとお邪魔する。
「ほお、そんなことがあったのかい。お前さんも大変だねぇ」
「わしとて死にとうないしな。あいつらには悪いが剣を抜かせてもろうた。」
居間にて海舟の家中の人が淹れてくれたお茶で一服しながら俺と龍馬が会った時のことを談笑している。
二人は師弟関係なのでとても仲睦よく会話を楽しんでいるが俺はあいにくそんな度胸はない。
坂本龍馬と勝 海舟。幕末指折りの偉人とこうして会話するなんて前世じゃまず不可能なことだからな
「そこでこの健にあったわけじゃ。ほんまあのときは助かったぜよ。浪人の気を引き付けてくれたおかげじゃき」
「ふむ。なら師としてなにか礼をせんとな。私でよかったらだがね。」
「いえいえいえいえ!そんな偉人にそんな真似はいいです!というよりこっちが礼をさせてください!」
「いきなりどうしたんじゃおまんは。おもわず茶を溢すかとおもたぜよ」
「私は偉人と呼ばれるほど偉くはないがね。誰かと勘違いしてるのでないか?」
「ですけど貴女は幕府の軍艦操錬所頭取、勝 麟太郎ですよ!?そんな大物とは・・・」
その時、彼の台詞に海舟の眉がピクッと反応した。
なにやらその可憐たる表情が険しくなり、鋭い眼を光らせる。
「・・・龍馬、少しおつかいを頼みたいのだが」
「へ?わしにですかい?」
「うむ。本所相生町に美味い茶菓子屋がある。そこの饅頭を買ってきてくれ。ほれ、これが代金だ。」
「合点承知!」
お金を貰ってはバタバタと走って屋敷を後にする。
残ったのはやけに鋭眼な海舟と健の二人だけだった。
「あ、あの?勝様?」
「・・・お前さん、何者だい?」
「へ?」
唐突な質問。あきらかに唐突な質問だ。
しかも根を掘るようなエグい質問だ。これには返答が曇る
「幕府でも見たことない服。先程脱いだ履き物は下駄でも草鞋でもない履き物。それになぜわしのことを知ってる。なぜ、わしの名が麟太郎だと知ってる?」
しまった。あまりに興奮してドッキリにおけるネタバラシ並に口を漏らしてしまった。
他人の名前を知っているような輩なんてどっから見ても怪しい奴にしか見えない。
それが勝さんには探られたか?
「いや・・・その・・・」
「お前さんが龍馬の命の恩人なのは承知の上。だがわしは気になる。お前さんの身の上をな」
「・・・実は勝様」
こうなりゃ自棄だ。バラシてしまおう。下手に誤魔化して怒りを買うよりはましだ!
「私は未来の世から来た者で御座います!」
言った。はっきりと、しかし緊張しながらも己の素性をあきらかにした。
後悔はない。いずれバレるかもしれないんなら、今明かした方がいい。
勝様はどう反応するだろう。
「・・・はっはっはっは!!」
笑ってる?バカにされたのか?
「いや~。真面目な顔して面白いことを言うもんだね。それでこの世界では何をする?」
その言葉に俯く。たしかに、この世界には来ただけで瞑目なことはない。
神様に行きたいと言ったから来させてもらっただけだ。はっきり言って、目的がない。
「私は神隠しに会ったのです。気づけば竹林に居り、その近くで龍馬と会ったのです」
これしか言えない。一応神様に送ってくれたことは嘘ついてないし、納得してくれそうなものはこれだけだ。
「ほう。神隠しにか・・・。世の中は奇妙なこともあるもんだ。それでどうする気だい?」
「わかりません・・・。何をすればいいのか・・」
「なら、こういうのはどうだ?龍馬の・・・」
「勝先生!ただいまぜよ!」
早くもおつかいを済まして龍馬が帰ってきた。手には茶菓子屋で買ったと思われる包み紙があり、それ相応の品を漂わせる
「ほう、いいところに帰ってきたな。龍馬、健を家に泊まらせてやりなさい。」
「へ?」
「実を言うと彼は職が無くてね。このままでは野死にしそうなんだよ。それで一つ提案なんだが、命の救ってもらった代わりに彼を助けてやれないかね。わしからもお願いしよう」
「男を家にいれるのはちと嫌なんじゃが、勝先生の頼みならしゃーないのう。」
「こちらもそれなりの支援をしよう。健、困ったことがあれば遠慮なく言ってくれたまえ」
いやいやいや。今ちょうど困ってますよ。なんで女の家に行かなきゃならんのですか!?
そう訴えかけたい。だが、海舟の言うとおりにこのまま死ぬかもしれないので龍馬の家に居候するしかない。
なんとも不運な。
「その饅頭はやろう。なに、使いの駄賃だと思ってくれ。」
「ほんならわしらはこれでお邪魔しますじゃきに。ほれ、行くぜよ。」
「あっ、ちょっと!」
無理矢理引っ張られ、海舟の家を後にする。
ヒラヒラと手を振っては別れの挨拶をする海舟がなんとも恨めしい。