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「ティアはどうしました?」
その問いを受けて、セレネはほんの少しだけ不機嫌になった。頬を膨らまして視線を下げた。
しかし、直ぐに視線を上げてニッコリと微笑んだ。きっとルーヴァンスに他意はない。そう判断した。
「すっごく眠かったみたいで、あんまり話す時間もなくボクと入れ替わりに寝ちゃいました。やっぱり子供だから、徹夜は辛いんじゃないでしょうか?」
実年齢は八十歳ていどとのことではあるが、身体の大きさが子供のそれであれば、蓄えられるエネルギーも少ないのだろう。セレネはぼんやりと、そのようなことを考えていた。
一方で、ルーヴァンスはそろそろと足音を立てずに廊下に這い出た。
ぱたん。
扉を静かに閉めて、なおも、抜き足、差し足、忍び足、と廊下を行く。
「ヴァン先生?」
「しっ。セレネくん。ティアが起きてしまったら大変です」
「はあ……」
言っていることはごもっともなのだが、セレネの部屋の扉へと向かう意味は分からない。
「あの、何をなさっているのですか?」
セレネの疑問に対して、ルーヴァンスは振り返り眩い笑みを浮かべた。
「キュートな女児の寝顔を見逃す手はありません。あわよくば目覚めのキスを桜色のほっぺたに――」
バッチーン!
鋭い音がアントニウス邸に響き渡った。
「ヴァン先生のバカ!」
先ほどとは違い、セレネは目に見えて不機嫌になった。顔を真っ赤にしてぷくっと頬を膨らまし、瞳を吊り上げている。
「もう! ご飯、行きますよ!」
「……は、はい。セレネくん」
赤くなった左頬をさすりながら、ルーヴァンスが首を傾げた。何故叩かれたのかさっぱり分からない、といった表情だった。
先を行く少女の背中を見つめ、思案する。
(何を怒っているんだ? 先ほどの僕の行動から考えるに…… ああ、勝手に部屋に入ろうとしたからかな)
彼はその予想が事実だろうという、頓珍漢な結論に達した。そして、頬に真っ赤な紅葉を拵えたままで、にっこりと微笑んだ。
「すみません、セレネくん。次からはひとこと断りますね」
「いやいやいやいや! 断ってもダメですよ!」
未来の犯罪を慌てて止めるセレネ。
ルーヴァンスが寝顔を見るだけで済ますのか、ほっぺチューをするのか、はたまたそれ以上の変態行為に走るのか。それは定かではない。しかし、いずれにしても止めねばならない。彼に想いを寄せる乙女として。
「あれ? 断っても駄目ですか? えーとそれでは、セレネくんにティアを運んでいただいて――」
「駄・目・で・す! ボクの目が黒いうちはぜえったいに駄目っ!」
「そんなご無体な……!」
「こっちの台詞ですうっ!」
類稀なる変態と涙目の乙女の攻防が始まった。
そのようなかみ合っているようでかみ合っていない不毛な会話が、朝食の席へ至るまで続いた。




