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「うえっ。ヴァン菌が伝染りそうです」
「何ですかもぉ。ヴァン菌って。何だか素敵な響きですねっ」
ほぅ、と愛おしそうに、ヴァン菌が付着していると思しき袋を見つめる少女。
「……うわ。あんたも大概でいやがりますね。マジ死んだ方がいいですよ」
恋する乙女というのは斯くも気色の悪い――もとい、盲目的なものであっただろうか。ティアリスは顔を引き攣らせてそのように素直な感想を抱いた。
「酷くありません?!」
「正直、文句言われる筋合いのないごく一般的な反応だと思いますけど、まあ、それはいいです。んなことより、セレネはワタシに構わねーで寝やがったらどうですか? この調子で絡まれてもうっぜーですし。それとも、ヴァンに夜這いでも掛けに行きやがるですか?」
「い、行かないよ! アリスちゃんはボクを何だと思ってるんですかッ!」
「変態好きの変態だと思っているです」
真面目な表情で女児が言い切った。間違ってはいない。
ぎし。
ベットに腰掛けて、セレネがため息をついた。紅の瞳が伏せられ、金の髪がふさりと垂れた。
「もぉ…… とにかく、ヴァン先生のとこには行かないし、まだ眠くないし…… あ、そうです。せっかくですしお話でもしませんか?」
提案を受けて、ティアリスは心底嫌そうに眉を潜めた。
しかし、少女の紅い瞳には好奇心の光がふんだんに込められており、面倒だからという理由のみでは覆せない力強さを秘めていた。
下手に逆らうと余計に体力を奪われそうだと感じた女児は、諦観のため息とともに首肯した。
「まあ、別にかまわねーですよ。手短に頼みます」
「やった」
セレネは嬉しそうに手を叩き、ぎゅっと枕を抱きしめて、座り直した。そして、ベッドをぽんぽんと叩いて示した。
弾力のある寝心地の良さそうな寝具が揺れた。
「じゃあ、アリスちゃんもここに座ってくださいね。ガールズトーク……でいいのかな? そういえば、アリスちゃんって何歳ですか?」
改めて、精霊さまが『ガールズ』のくくりに入るのかどうか、気になったようである。見た目通りならば当然ガールだろうが、そうでない可能性の方が高い。
ティアリスは一冊の書籍を両手で抱えつつベッドへと向かい、ポンッと軽やかに座った。
ちなみに、彼女の腕に収まっているのは『動物百科』だった。陸海問わず、大小問わず、あらゆる動物が載っており数百ページにも及ぶ。明朝までの暇つぶしには持って来いだろう。
女児はベッドにばふっと寝っころがって書籍をぱらぱらとめくり、少女の質問に対して考え込んだ。
「年ですか? んー、八十歳くらいのはずですね。めんどくせーんで正確には数えてねーんですが」
「あ、思ったよりも若いんだ……」
人知を越えた精霊さまともなれば、何千年と生きていてもおかしくはない。そのように考えていたセレネは、肩すかしを食らったように微妙な表情を浮かべた。
その様子が気に入らなかったのか、ティアリスが眉をしかめて胸を張った。
「その反応は甚だ不本意ですよ、クソ虫! ワタシは、ワタシがワタシとして発生する前の精霊としての記憶もちょっとは持っているですからね! 八十歳という若輩だからといってあまりなめねーでもらいたいものです!」




