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「……そのような史実はありませんが? ティアリスさま」
マルクァスが即座に否定した。
この場に集う人界の者たちの知識の上では、彼の指摘は間違いなく正しい。
しかし、知識は真実でないし、史実は事実とは限らない。
少なくとも、精霊界における常識からは著しく乖離していた。
「都合のわりーことをもみ消すのはてめーらクソ虫の得意技じゃねーですか。そのくせ、ワタシを嘘つき扱いっつーのはどういう了見ですか、ったく。胸くそわりーですね」
ぐいっとティーカップをあおってから、ティアリスはマルクァスをきつく睨み付ける。
「そもそも、てめーらの間で聖人君子みてーな扱い受けてるクソ虫――何千年も前に、死んでから蘇ったっつークソ虫の話ですけど、そいつも悪魔と取引していやがったサタニテイル術士で、蘇ったのも、奇跡とかってもてはやされた偉業とやらも、悪魔の力を利用してやってただけで神の奇跡でも何でもねーっつーのはワタシらの間じゃ一般常識……むぐっ」
軽快に言の葉を操っていた精霊さまの口が急遽塞がれた。
「あ、あの、ティアリスさん。申し訳ないんだけどその辺で…… オレと母さん、ルーせんせえはともかく、父さんとセリィは結構ガチなイルハード正教徒だからさ。その話の真偽のほどはともかく、ちょっと刺激が強すぎるんだよね」
ヘリオスが半笑いを浮かべながらぼやいた。
彼の父も姉も、大聖堂への日曜礼拝は決してかかさず、食前には心を込めて天に祈る、『敬虔な』という形容詞がよく似合うイルハード正教会の信徒である。
一方で、ヘリオスと母のミッシェルは、表面だけを取り繕うおざなりな信徒である。ルーヴァンスに至っては、正教会と極力関わらないようにしている節がある。
当然ながら、ティアリスの言葉を受けた際の反応は大きく異なる。
精霊さまが口にした過去の偉人は、五聖人と呼ばれる者たちのうちの一人である。正教会は功績の大きい教皇や信徒を聖人と位置付けて崇めている。そのうちで最も位の高い聖人こそが、さまざまな奇跡を起こして、ついには死からの復活を為したという信徒であった。彼は神に愛された結果、神の力を扱えたのだというのが、通説だった。
しかし、精霊さまの談によれば、かつて聖人が扱った力は魔のモノだったという。
それが事実だろうと虚構だろうと、波紋は既に広がってしまった。面白くない顔をしている者が二名ほどいた。
セレネなどはなまじティアリスと関わってしまっているため、少し眉を潜める程度で済んでいるが、マルクァスははっきりと嫌悪を顔に出していた。
悪くすれば、ティアリスこそが悪魔であり、夕刻時の戦闘は悪魔の策謀、狂言であると判断されてもおかしくはない。




