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「とはいえです。セレネにはほんの少しとはいえ助けられたですからね」
例えば、人垣に阻まれたとき。
例えば、変態に迫られたとき。
それぞれは小さな助けでしかなかった。セレネ=アントニウスは、困っていた者を常識的に、常識的な判断で救っただけだった。それでも、希望は喜びを与えた。
「だから、ちょっと気が迷ったです。……セレネがしたいことを、助けてやらねーでもねーって、そう思っただけですよ!」
ティアリスがキレ気味に叫んだ。
彼女が人間を嫌っていることに変わりはなかった。当然ながらルーヴァンス=グレイのことは嫌いだったし、彼以外の人間も気にくわない者ばかりだった。しかしだからといって、必ずしも誰かを好きにならないわけではなかった。少なくとも、セレネ=アントニウスのことは嫌いでは無かった。
ルーヴァンスが小さく笑った。しかし、直ぐに表情を引き締めた。その瞳には暗い色が宿っていた。
(確かにアスビィルの言う通り、トリニテイル術の力が増している。けれど、アスビィルの力にはまだ余裕があるように見える。このままだとまずい)
事実、シスター・マリア=アスビィルは面白そうにニヤニヤと笑いつつ、ルーヴァンスとティアリスが必死で放つ白き光をさほどの苦労もなく止めていた。
何度目かに渡る均衡状態となった。
「退屈かと思いきや、こうして思わぬ喜劇を見せて呉れおる。ふふふ。楽しいのぅ。大した力も出せない割には、楽しくしてくれたのぅ。感謝するぞえ、人間よ。精霊よ。しかしなぁ……」
明らかに、彼らはもう限界だった。
「この辺で終いじゃろう。ウチをたっぷりと楽しませてくれた礼じゃ。せめて――」
苦しまずに逝くがよい、とでも続けようとしたのだろう。しかし、シスター・マリア=アスビィルのその後の言葉は紡がれることが無かった。
急激に、紅黒き光の勢いが落ちた。
『なっ!』
紅魔のみならず、ルーヴァンスとティアリスもまた驚愕の声を漏らした。
しかし、その後の彼らの運命は当然、二分した。
「な、なんじゃ、これは! ウチの力がまたも奪われておる!」
余裕など一切なく、淡紅色の瞳の裸婦が叫んだ。玩具を取り上げられた幼子のように、悲しみと怒りを伴って、我侭に叫んでいた。
「しかもこれは、ウチの制御がきかん! ウチの力を奪われる! そ、そんなわけはない! そんなわけはッ! いったい誰が――」