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「……くっ」
ルーヴァンス、ティアリス共に、身体中に鈍痛が走っていた。大地に堕ちる直前、ティアリスが白翼を羽ばたかせて勢いを殺していたが、それでも無傷とはいかなかったようだ。
「……ヴァン。まだやれるですね?」
「……ええ。勿論ですよ、ティア」
二者は、先頃彼らが放った閃光によって大きく窪んだ大地の底に佇む紅魔を、勇猛果敢に睨みつけたが、その黄金色と空色の瞳には微かに暗い影が宿っていた。
大地の様を変貌させる威力を持った一撃は人形を肉片と化した。しかし、肉片は人形へと容易に復元した。彼女の損壊が無意味なものでしか無いのならば、神の代行者達に勝機など欠片も存在しないことになってしまう。
彼らのそのような思考は、彼らの肉体へも影響を与えた。その身体を駆け抜ける痛みに表情を歪めて足を止め、魔へと向かう勇敢な心にも影が差した。
その惑いこそが絶望への架け橋だった。
「さあ、ウチの番じゃ」
人界を護る者達が動かぬのを見て取って、シスター・マリア=アスビィルが詰まらなそうに嘆息した。彼女は退屈を押しのけるように宣告し、腕を掲げた。
その先には――セレネ=アルマースが居た。
「セレネくん!」
「セレネ!」
その刹那、人の子と精霊の顔に迷いは無くなった。代わりに焦りと絶望が満ちた。
ルーヴァンスの背には黒翼が、ティアリスの背には白翼が生じた。それぞれ、簡易的なサタニテイル術と精霊術の結果だった。彼らは羽ばたき、紅魔との距離を詰める。
紅魔は彼らに時間を与えることなく、白い腕に黒い光を集めた。
「干渉のみのお前に処理できるかのう? アルマースよ」
頑是ない笑みを浮かべたシスター・マリア=アスビィルの呼びかけを受けて、セレネ=アルマースの顔に緊張が走った。その表情の変化こそが彼女の応えだった。
セレネ=アルマースの処理能力には限界が有った。名も無き悪魔が相手ならばともかく、圧倒的な力を誇るシスター・マリア=アスビィルが本気を出したなら、技巧で誤魔化せられるわけが無かった。
「……空虚な闇……」
静かに、白くしなやかな腕から絶望の黒が放たれた。
黒は寸の間も与えずに魔の元へと至った。そして、別段の物音を立てることも無く、あっさりと魔を呑み込んだ。
その黒が消えた時、そこに魔の者――セレネ=アルマースの姿は無かった。