5-33
『ふふ。甚いのぉ。身体がぐちゃぐちゃじゃ』
既にシスター・マリアの肺や声帯がまともに機能していないのだろう。アスビィルが魔界から声だけを響かせた。
人と精霊と魔と肉片と、それぞれの視線が絡み――
ばさッ! ひゅッ!
先ずはセレネ=アルマースが動いた。最早身体を動かすことすら難しいだろう紅魔の姿を瞳に入れ、好機とみたのだろう。黒翼を羽ばたかせてルーヴァンス達とシスター・マリア=アスビィルを結ぶ線上を翔けた。傷だらけの悪魔に暇を与えず、闘いを一気に終わらせる心積もりだった。
ルーヴァンスとセレネもまた、急ぎ神の力を人界へ引き込んだ。こちらは特に動かなかった。紅魔の放つ闇をセレネ=アルマースが防ぐと信じ、再度強力な閃光を放つことだけに集中した。
そして、肉片は――
しゅッ!
ギリギリで人の形を保っている肉片の集合体は、唐突にその場から掻き消えた。
そして、一瞬の間すら無く――
どんッ!
「!」
横手から黒弾が迫ってルーヴァンスとティアリスを襲った。ティアリスが奇跡的な反応をみせ、直前で守りの精霊術を行使したが、その術では完全に防ぎきれ無かった。
あえなく天上の二者は大地へと堕ちた。
『油断するなとアルマースに忠告されたばかりじゃろうに。ウチがもう動けぬとでも錯誤したかのぉ』
紅き血を滴らせた『シスター・マリアだったモノ』が言った。
黒き翼の生えた肉が天上を漂っていた。ソレはばさり、ばさりと、ゆっくり羽ばたいていたが、その移動速度は光のそれに匹敵するだろうことが、大地から一瞬でその場に至ったことから予想できた。
ソレは未だ動く首だけを動かして、ぎこちなく身体を見渡した。損傷した遺体を瞳に映して、壊れた玩具を見るかのように眉を潜めた。
『ふむ。実害は無いとはいえ、流石にこの姿はアレじゃな』
肉片が独りごち、そして、一瞬の後――
すぅ。
物音すら立てずにシスター・マリア=アスビィルへと戻った。
千切れた右手が生え、潰れた左半身はふくよかでしなやかに変じ、折れた両脚は脳からのシナプスを正しく処理できるように成った。衣服だけは千切れたまま、白き柔肌を外界に晒していた。
「さて、こんなところじゃろうか。若い女子がこの様に肌を露わにするのも如何なものかといった所じゃが、衣服の復元はやったことが無いしのぅ。その内に研鑽を積んでおくとするか……」
破れた黒色の衣から覗く白い肌を紅色の瞳に映し、シスター・マリア=アスビィルが未来を口にした。此処で終焉を迎える気など全く無いようだった。
しかしそれは、人の子も精霊も、人界も同様だった。命も世界も何時かは終る。それでも、それは今では無い。彼らはそう信じたがゆえに、痛みを押して立ち上がった。