5-15
ヘリオスにはアルマースの声が聞こえていないようだった。状況から察するに、マルクァスや使用人たちについても同様だろう。
そうであるにも関わらず、ミッシェルはセレネとアルマースの会話を耳にし、それどころか、悪魔を前々から識っていたかのように語った。
「……あの、ママ?」
「アルマース。アレはどなた?」
ミッシェルは娘の問いかけに応えず、姿の見えない悪魔に尋ねた。
アルマースは声だけで肩を竦めて視せた。
『久方ぶりだというに挨拶も無しか。まあ良いがな』
一拍置いて幼き声は嗤った。
『奴はアスビィル。お前は一度約したことがあっただろう? 最もお前ら人間を悪んでいる魔だろうな』
ミッシェルが嘆息した。
「やはり、彼女ですか。それじゃあ、ルーちゃんには荷が勝っているかもしれませんね」
『ルーヴァンスは神よりも魔に適しよう。アレでは実力の半分どころか一割も出せん。あのまま精霊と共に在れば――死ぬな』
知己の語らいは絶望へと達した。
セレネが息を呑んだ。
「そんな……!」
「どうしたんだ、セリィ。母さんもさっきから誰と話してるの?」
顔色を悪くしている双子の姉を気遣いつつ、ヘリオスが首を傾げた。
彼に応える者はなく、幾ばくかの時が流れた。
沈黙を破ったのは、町の中央で響く爆音だった。遠目に建物が崩壊していく様が映った。
「ヴァン先生っ!」
先ほどの悪魔の言葉と、響く爆発の音と。セレネの心に不安の影が差すのは当然だった。
彼女は駆け出した。
「セリィ!」
同じく一歩を踏み出したヘリオスだったが、その肩を押さえられて立ち止まった。彼が振り返ると、微笑む母の姿が在った。
「セレネにはアルマースがついています。大丈夫ですよ」
「あ、あるまーす? てか、あいつ独りだったよ?」
ヘリオスは、走り去るセレネの姿とミッシェルの顔を交互に見つつ、戸惑った。どうするべきか大いに迷った。
「アルマースが居るのか?」
「正確には『居た』ですわ、あなた」
横手からのマルクァスの問いに、ミッシェルが穏やかに応えた。
「セレネについてルーちゃんの元へ向かったようです。彼女ならセレネを守ってくれるでしょう。それよりも――」
「ルーヴァンスくんか。どうなんだ?」
端的な質問だった。彼は事情をある程度察しているようだった。
「相手が悪いですね。アスビィルです」
「ティアリスさまと――イルハード神と共に在っても勝てないのか?」
神の名を耳にして、ミッシェルの顔から笑みが消えた。言葉にも棘が生まれた。
「あなたもご存じの筈です。愚かな神の力など信じるに値しません。彼と共に在っては何者も絶望に囚われずには……いえ、私怨を内在した分析はやめましょう」
ゆっくりと頭を振ってから、ミッシェルはひと息つき、硬かった語り口をゆるめた。
「客観的に見て、ルーちゃんと精霊の相性は最悪でしょう。彼女を相手取るには力が間違いなく不足しています」
「……いざという時は頼めるか?」
「……まあ、構いませんけれど」
そこで会話は途切れた。
夫婦の間で為された謎のやりとりを受け、息子は眉を潜めた。何が何だか全く分からなかった。
不得要領のまま、ヘリオスは紅に染まった町を瞳に映して、他の町民同様、不安に立ち尽くした。