5-13
海が紅かった。
水面は鏡面のようなもので、昼の晴天を映し込めば青く成り、暗い曇天を映し込めば黒と成る。此度のように天を紅き光が覆えば紅と成るのが道理だった。
血のような海面と同じく血のような天上をそれぞれの眼に映して、リストールの町民たちは絶望に嘆息した。警邏隊の誘導で港へ避難してきたが、現状ではこの場も安全とは言い切れないように感じていた。だからといって、何処が安全なのか、町を出れば安全なのか、寧ろ危険なのか、彼らには判断がつかなかった。ゆえに、彼らは不安を抱きながらも港に佇んで紅を眺めるしかなかった。
人がひしめく港場では、方々で嘆きの言葉が囁かれていた。
一区画では怪我人の救護が為されていた。怪我人は軽傷の者から重傷の者まで様々だったが、助かる命があれば失われる命も当然有った。運命は幾たびも別たれ、或いは希望の涙が流れ、或いは絶望の涙が流れた。
そして、今一度雫がこぼれ落ちた。伴って歓声が上がった。
意識を失っていた少女がゆっくりと瞳を開いた。
「う、うぅん…… あれ、ボクは……」
身を起こしたセレネ=アントニウスのまわりには、彼女の弟のヘリオスや父マルクァス、母ミッシェル、そして、アントニウス家の使用人たちが集まっていた。
「気がついたか、セレネ」
「パパ。ここは?」
娘が尋ねた。しかし、応えたのは父でなく――
『我が悪友が町の中央で暴れているものでね。町の南端――港に避難しておるのだ』
幼き声音だった。
「え?」
戸惑った表情を浮かべ、セレネが辺りをキョロキョロと見回した。声の主はどこにもいなかった。
「どーかしたか、セリィ?」
双子の弟に尋ねられても、姉は首を傾げるばかりであった。状況が把握できぬがゆえに、沈黙を選択した。
すると、謎の声が沈黙を埋めるように再び語り出した。
『安心しろ。悪友――アスビィルの目的は果たされた。私がお前を利用する必要もなくなったのだ、セレネ』
「もしかして、あの時の悪魔さん?」
「はっ? 悪魔? ど、どこに!」
セレネの呟きを受けて、ヘリオスが大いに慌てた。その動揺は使用人にも伝播していき、周囲はざわざわと騒がしくなった。
そのような中でも、セレネの頭には某かのクリアな声が語りかけてきた。耳朶を刺激することなく、脳に直接言葉が伝わってくるような、不思議な感覚だった。
『先頃は、アスビィルが利用していたサタニテイル術士が介入したゆえ、自己紹介が出来ていなかったな。私は『エグリグル』の悪魔アルマースという』