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ざわざわざわざわ。
翌朝、ルーヴァンスが国営塾に出勤すると、塾の周辺を人が埋め尽くしていた。老若男女問わず、不安げに塾の方向を見つめている。
陽の光が町を照らす中、闇が人々の瞳に宿っている。
「……どうかしたのでしょうか?」
呟いて、ルーヴァンスは人混みをかき分ける。
数刻かけて厚い人垣を抜け、彼は警邏隊員がバリケードを張っている位置にまでたどり着く。そこで、見知った顔を見つけた。
シルバーグレイの髪と口髭が特徴的な中年男性――国営塾の塾長だ。彼の隣には、ブルタス=ゴムズ警邏隊本部隊長も居る。
「塾長。それに、ゴムズさんも」
「グレイくんか。ああ、その人は入れていい」
隊長の言葉を受けて、警邏隊員は押さえつけていたルーヴァンスの身体を離す。彼は敬礼をしてから別の野次馬を抑えにかかった。
すっ。
人垣の内側へ入ると、尋常ではない騒ぎであることが知れた。決して狭くはない国営塾の敷地を、野次馬が途切れなく囲んでいる。
「これはいったい……?」
「る、ルーヴァンス先生。あの、その、とんでもないことが……」
蒼白になった国営塾の塾長を瞳に入れ、ルーヴァンスが首を傾げる。
しかし、すぐに思い至る。
今、リストールの町でこれほどに人が集まる事件は他にない。
鉄の匂いが鼻腔をくすぐって逃げていく。
だッ!
ルーヴァンスが駆けだした。吐き気を催す臭いの元を探る。
(塾の裏か!)
塾舎の側壁に沿って駆けて行くにつれ、どんどんと臭いが濃くなっていく。
「……ぐっ」
裏手へ飛び込むと、まずは赤が目に入った。
多量の紅き液体が地面を染めている。
次に目に入ったのは頭部だ。
血の気が完全に抜けた青白い顔は、恐怖と苦痛に歪んでいる。壮絶な最期を迎えたことは想像に難くない。
(……コレは、海洋学担当のエクマン先生か)
「……エクマン氏とは親交があったのかね? グレイくん」
いつの間にやら隣に佇んでいたブルタスが尋ねた。
「……ただの同僚以上の付き合いはありませんでしたが」
「そうか。とはいえ、知り合いのこんな姿を直接目にするのは辛いよな。俺らは一連の事件で、不本意ながら見慣れちまったところがあって配慮が足らんかった。すまない」
暗い顔の塾講師を目にし、ブルタスが一人で納得した。申し訳なさそうに頭を下げる。
しかし、ルーヴァンスは彼に連れられてここに来たわけではない。自分の意思で、自分の足で、絶望を目にしたのだ。わざわざ謝罪されるのはおかしい。
塾講師は警邏隊の隊長の謝罪を手で制して、考え込む。
(いざ遺体を直接目にするとわかるが、やはり、今回の件に悪魔が関わっているのは確かなようだな……)
この場に漂うのは、尋常ならざる濃い闇の気配であった。どのように残虐な殺人鬼であったとしても、人に出せる闇の深さを超えている。
人が滅びを、或いは救いを望んだ結果、魔が別の世より這い出して来たに違いない。
(……この気配……)
「グレイくん?」
無残な遺体を凝視しているルーヴァンスの様子を、ブルタスが訝った。
銀髪の青年の金の瞳は、同僚の死を悼んでいるようにも、残虐な遺体を忌避しているようにも、そして、ブルタスには窺い知れない何かを嘲っているようにも見えた。
「光と共に…… それは、願望でしょう?」