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魔に染まったセレネが自室を襲撃したのと同時期に、アントニウス家の広間をパドル神父が来襲した。彼は黒き翼をはためかせ、闇色の光弾で壁を壊し、真っ直ぐに目標へと向かってきた。そして、その大胆さとは裏腹に、丁寧に頭を下げた。
「ご機嫌よう、アントニウス卿」
数名分の昼食が並んだ長いテーブルを挟んで、人と悪魔が対峙した。マルクァスを守るように警邏隊が剣を構えて前面に出ていた。彼らに守られたマルクァスの更に後ろでは、妻ミッシェルと、アントニウス家の使用人数名が身を寄せ合っていた。
「パドル神父…… 本当に貴方が……?」
「その様子、お気づきでしたか。例の精霊ですか?」
神父が問いに問いで返した。彼の様子は、明確な返答をしていなくとも、信徒の苦しげな問いにイエスと口にしたも同然だった。
平生から壊れかけている信仰という名の価値観が脆くも崩れ去った。マルクァスは目の前の耐え難い光景に眉を潜め、震える唇で言葉を紡いだ。
「いいや。ルーヴァンス君だ」
「ああ、グレイさんでしたか。以前から、私に対する彼の態度が妙だったので気にしてはいたのですが、彼はロアー南北戦争で活躍したサタニテイル術士だったそうで…… 流石に聡いですね。悪魔の間では噂の人間とようですよ。人でありながら『魔の上に立つモノ』という二つ名を賜ったとか」
随分と大仰な二つ名だった。しかし今、そのようなことはどうでもよかった。
広間には、マルクァスのみならず、狙われるだろう者たちが集っていた。当然、彼らの警護をする者も集っていた。合計で十五名は居た。
しかし、パドルの襲撃を受けて、警邏隊は直ぐに防護行動へと移り、これといって活躍することもなく、あえなく地に伏してしまっていた。床に伏す者や窓の桟に身を委ねる者など、それぞれ微かに痙攣しながら小さく呻いていた。
結果、その場に二本の足で立っている警邏隊員は、もはやたったの五名となってしまっていた。
「なぜ、イルハード神に仕える貴方が、悪魔の手を借りる!?」
「ああ、卿。貴方とセレネ様は、とても熱心な信者でしたね。申し訳ございません。私は正直なところ、貴方たちを心の中で嗤っていましたよ。イルハードなど、何もしない愚者でしかありません。その点、悪魔は私の願いに――人の希いに応えてくれます」
かつて神を信じた男は、その信仰の全てを捨ててしまったようだった。