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ロアー大陸は混迷を深めていた。空が死に、森が死に、村が死に、人が死んだ。戦火が全てを飲み込んだ。
ボルネア軍が侵攻し、村々を侵略した。
ロディール軍もまた、物資を求めて、士気の向上を目的として、村々から食糧や女を奪った。
誰が敵で誰が味方なのか。誰にも分からなくなっていた。
どんッ!
とある村のとある家で窓が破られた。ロディール軍の歩兵が手近な物を乱暴に投げつけたためだった。
「オレらはお前らのために、お国のために戦っているんだッ! それを、食い物も酒も女も出さねぇっつーのはどういう了見だッ!」
「い、いえ…… 食糧とお酒は献上させていただきます。しかし、どうか村の女共を連れて行くのだけはご勘弁を……」
人の三大欲求として、食欲、睡眠欲、性欲があげられる。なるほど、彼らが食糧を、そして、女性を求めるのも道理だった。男所帯の彼らが欲を満たすためには是非とも必要な存在だった。
しかし、人はそのような欲望を満たすためだけに存在しているわけではない。誰にだって人格があり、矜持があり、自由がある。殊に、村の大切な一員が連れ去られようとしているのならば、抵抗をするのもまた道理だった。
がんッ!
別の兵士が壁に長剣を叩きつけた。木片が飛び散り、家の者の身体を浅く傷つけた。
「ひぃ!」
非日常を知らずに日々を生きてきた者にとっては、その程度の暴力ですら絶大な脅威になり得た。家の主人であり、この村の長である老人は腰を抜かして床にへたり込んだ。
「お祖父さま!」
家の奥へと続く扉の陰から少女が飛び出してきた。年の頃ならば十七、八。金の髪と紅き瞳が目を惹く、大層美しい娘だった。娘は紅き双眸に険を宿して闖入者たちを睨み付けた。
兵士たちの中央に佇んでいた男が、駐屯している部隊の長が下卑た笑みを浮かべて口を開いた。
「なるほど、お美しい。噂には聞き及んでおったのだ。煌めく金の髪。夕焼けを思わせる瞳。透き通るような白き肌。一部隊を率いる私に相応しい美女がいる、とね。お前は特別扱いをしてやる。私専属の女にしてやる。光栄に思うがいい」
「……ッ」
部隊長と彼の取り巻き数十名が薄汚い笑みを浮かべるなか、数名は俯いて歯がみしていた。
こんなことが正しいわけがない。国を守るために民を苦しめるなど、イルハード神の僕たる人のすることではない。
ロディール国の国教であるイルハード正教会の信徒たちは、目の前の光景に、そして、これまで他の村や町で目にした悲劇に絶望していた。
しかし、彼らには何も出来なかった。一人が正しきことを声高に主張したところで何になろう。ただの雑音として切り捨てられ、土に帰るだけだ。いくつかの村や町が多少の悲劇に襲われ、その結果、部隊の士気が高まって、ボルネア軍との戦が早期に片付くのならば、きっとそれは国のためなのだと、人のためなのだと、イルハードの子たちは無理やりにでも納得せざるを得なかった。
悲劇を喜びはしない。けれど、止められもしない。