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「ティア!」
「ルーせんせえ!?」
ルーヴァンスが勢いよく部屋を飛び出していった。
彼を追いかけて、パジャマ姿のヘリオスもまた寝癖をたずさえたまま駆け出した。
セレネの部屋の前には飛び出していったルーヴァンスが、騒ぎを聞きつけた警邏隊の者が、それぞれに佇んでいた。彼らの顔は一様に、驚愕に満ちていた。
彼らの表情に喜びなどの正の感情が浮かんでいるはずがないのは、部屋の内から破壊音が響いてきたという現状を鑑みるに、当然だった。しかし、そのことを差し引いても、彼らの表情からは平生に無い緊張感が漂っていた。
ヘリオスがルーヴァンスの隣へと向かいつつ、眉を潜めて疑問を呈した。
「ルーせんせえ。何があったの?」
「その声はヘリィね。寝起きの声。また、昼まで眠っていたのね」
落ち着きはらった声が聞こえてきた。ヘリオスの姉――セレネの声だった。
姉の部屋から姉の声が聞こえたとして、全く不思議はない。それにもかかわらず、ヘリオスの視線の先では、ルーヴァンスや警邏隊員たちが相変わらず驚きに支配されたまま目をみはっていた。
かつ。かつ。
少年はゆっくりと、恐々と、廊下を歩んで、件の扉の前まで至った。
視界に混沌が入り込んできた。
ヘリオスの紅き瞳は次のようなモノを捉えた。
或いは、窓が壊れてぐちゃぐちゃになってしまった姉の部屋を。
或いは、窓に開いた穴から吹き込む風に揺られているセレネの黄金色の柔らかな髪を。
或いは、ピッと真っ直ぐに伸びた姉の背にある筈の無い黒き翼を。
「……え?」
乾いた一語のみを辛うじて絞り出し、弟が頭を真っ白にして佇んでいた。土気色の顔には、大きく大きく見開かれた紅だけが目立っていた。
一方で、姉はニコニコと機嫌良さそうに笑っていた。紅眼を細めて、口元を笑みの形に開いて、嬉しそうに、頑是無い幼子のように、破顔していた。
微笑む少女は、バサリと黒翼を羽ばたかせて、それから小さくしなやかな白魚のような右手を振り上げた。白き手にはようよう黒き光が集っていった。
「待っていてくださいね、ヴァン先生。今、アリスちゃんを殺しますので」
満面の笑みを携えたまま、少女はそう宣言して腕を振り下ろした。伴って、黒き力が解放された。
ぐしゃッ!
絶望の音が部屋に満ちた。