眼球
習作です
「最近、原因のわからない凶悪犯罪が増えたなぁ」
ため息とともに椅子に腰を下ろす。
「えぇ、今日の事件もそうですよね。あの携帯はいったいなんだったんでしょう・・・・・・」
年若い部下の首を傾げたようなポーズを見て、唇が苦笑の形に歪むのがわかる。
「さあな、あとは鑑識連中に任せて今日はゆっくり休むよ」
歳月を感じさせる皺だらけの顔に、明るさが浮かぶ。
「念願の一戸建てで、ですか? なんでも最近防犯装置をいれたとか」
「刑事がそんなもんとは思うが、最近物騒でね。人に反応してライトがパッっとつくやつあるだろ? かなり強力でな。一瞬ストロボが光ったように見えるよ」
若い方も腰を下ろしながら書類を手にとり、
「じゃ、私は報告書を書いてしまいますから」
「うん、じゃお先」
そのままコートを羽織って警察署からでていく。
もうすでに深夜になっているが、歳とともにこれだけは衰えなかった視力が夜道に視線を投げかける。
刑事家業の長い癖だが、頭の中は家での急速に向かいつつある。
もうずっと冷たかった妻が、最近は思い直したように料理などをまめににしてくれている。
そう思うと気分的には軽かったが、どこか頭の中で今日の事件を反芻しているのか思考は重かった。
人通りの絶えた道を家路に急ぐ、もう家は見えているのだが、明かりがついていない。
長年の習慣との違和感を覚え、警戒しつつも家に近づく。
居間のカーテンが開いているにもかかわらず、黒い影を投げている。
この時間は子供たちが、はしゃいでいる事が珍しくないのに。
玄関口をくぐった瞬間、強烈なハロゲンライトの光が男に降りかかる。
他のことに警戒していた男は、そのまぶしい光を直接見てしまい、一時的に視力が奪われる。
ただ、別段物音が響くわけではないし、そのまま扉口へと進んでいく。
視力が少し戻った瞬間、扉が勢い良く開いて、中から必死の形相の妻が飛び出してくる。
ドン、と夫に勢い良くぶつかった。
どうした、と声をかけようとしたが、何故か声がでない。
その時、妻の目が狂気の光を湛えている事に気づいた。
ふと視線を下に向けると、出刃包丁の柄が自分の首の辺りから延びているのが見えた。
男はもう一度、どうした、と声をかけようとしながら意識を失った。
両手だけでなく、全身に血をかぶったような有様の妻が振り返る。
居間の黒い影の部分には、今はただおとなしく横たわっている子供たちがいるはずだ。
そして「あの人」の為に、これだけの事をした。
あとは「あの人」と一緒になる事だけだ。
そのための計画は「あの人」が知っているに違いない。
そのまま元・夫の体を引きずり、家の木陰に横たえる。
私はもう、待つだけで老いるのは耐えられないのよ、見つめる目が物語っている。
家にとってかえり、乾きはじめて堅くなりつつある手で受話器を握る。
あの人、が出た!
「全て終わったわ。これであなたの目も見えるようになるわよ。適正検査の結果はぴったりですもの」
そう伝える声は歓喜に震えている。
・・・・・・何が終わったの?
「うちには誰もいなくなったのよ! これであなたと一緒にいられるわ」
・・・・・・今から私がいくから、そこで待っていて。
「わかったわ、なるべく早くね。色々と片づけないといけないし」
返答が無く、そのまま電話は切れた。
元・妻はそのまま自分の妄想の中で歓喜に震え、待っていたのかもしれない。
明かりのない家からは、その心を伺い知るよしもない。
それからまもなく、警察が大挙して押し掛けた。
元・妻は、あの人は何故来ないの、と叫びながらつれて行かれた。
そして警察署で事件通報者である、とある有名画家が事情を聞かれていた。
・・・・・・あの人は私のファンですが、まさかこんなに思い詰めているなんて。
その瞳は悲しみに沈んでいるようにも見えるが、焦点が定まっていない。
事故で視力がほとんどなくなっているのだ。
元・妻の錯乱という事で、一家惨殺事件は幕を閉じた。
「あの人」は元・夫であり刑事である視力を手にいれた。
献体として提供する旨、記述があったのだ。
視力が回復した画家は、そのまま喜びに震えていた。
・・・・・・うまくいった、思いこませ、あやつり、ついには念願の視力を手に入れた!
病室で視力が回復した事を確認できた時はうれしかった。
元・刑事でもあるこの目の持ち主も、私のような偉大なる芸術家の役に立ててうれしいはずだ。
そして男はアトリエに向かい、真っ白なキャンバスと向かい合った。
そのままキャンバスを見つめる。
すると、目の前に少しずつ風景が浮かび始めた。
・・・・・・そう、いつもこうやって浮かぶままを描くのだ!
それはやがて窓の形になり、その奥にソファがあり、そして隅にはもつれ合っている子供。
はっきりして来るにつれ、色が赤一色で染められている事に気づく。
特に子供のいる辺りの色が濃い。
・・・・・・なんだこれは・・・・・・
その風景に重なるように、必死の形相のあの女の顔がだぶる。
そして包丁の柄
・・・・・・わ、わたしは知らない。こんなの見ていない!
次第に詳細になっていくキャンバスから目を逸らすが、
周囲の白い部分であるはずが、赤黒い鈍い光をはなっているように見える。
全てが血のような色に覆われているのだ。
男は泣き叫びながら、その一夜を過ごした。
次の日病院に行き、精密検査を受けた。
医師の告げる声は沈痛な響きを含んでいた。
「網膜の奥になにやらフィルムのように映像が焼き付いているんです。突発的に死なれた方の目には、たまにそのような現象が起こるんですよ。」