湯の街リリアルト:前編
「なんでこうなったんだっけ……」
何度考えても答えが出ない。
一つだけわかっているのは、誰一人こうなる事を望んではいなかっただろうという事。
しかし……。
現実に今、カイトさんは上半身裸の状態で庭で気を失っている。その額には大きなこぶができていて……。
兄は顔と体に引っかき傷を無数に作り、ボロボロになった服を着たまま椅子の上で放心していて……。
リース姉さんは一人、龍すら酔わすと言われる『極酒 龍姫』のボトルをまくらに高いびき……。
ルルカはその横でクルトを『強く』抱きしめたまま眠っていて……。
クルトはその拘束から逃れられずにもがいて……あ、力尽きた。
「なんで……どうしてこうなった……」
私の疑問は誰に答えられる事もなく、虚しく虚空へと消えていった。
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事の始まりは姉さんの提案から始まった。
「最近野宿続きだから、そろそろまともなお風呂に入りたくない?」
流石に野宿しかしていなかった訳でも無かったけれど、『お風呂』があるのはそれなりに大きな街位。
毎回そんな街に泊まっていた訳でも無かったから、入れない時は道中の川とか、村の井戸からくんできた水で少し体を洗う位しかしてこなかった。
自分達が育ってきた村では、幸か不幸か共有のお風呂があって、毎日ではないけれど、数日置き位にそこにお湯をはって交代で湯浴みをしていた。
村人曰く……「たまに贅沢をする位のゆとりがなければ毎日の仕事に精を出す事は難しい」という事で。
その『贅沢』が、たっぷりのお湯をはったお風呂だったり、カイトが獲ってきた山の獲物だったりしたのだが。
おかげで私と姉さんは勿論、ルルカもお嬢様育ちだったわけで……世間的には『嗜好品』に近いお風呂を使い慣れてしまっていた。
流石に迷宮なんかに行くとなれば我慢もするだろうけれど、特にこれといって我慢する理由がない今、「入れない訳ではないのに入れない」という状況が流石に苦痛になってきていた。
それに、意識している人間がそばにいる事も大きな要因の一つだろうか。
結果、女性陣の満場一致で街への立ち寄りが決まり、その希望を満たすべく、私達は近場の街へ向かう事になった。
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リリアルト。
立地がいい訳でもなく、他の街や国へ輸出できる産業があった訳でもない。
平凡な街。
でもその名前は意外なところで有名になっていた。
元々山に程よく近かったおかげで、その山から掘り出した鉱物資源を頼りに生活をしていた街。
でもその質はあまりいい物ではなくて……。
それでも他の街へ行く当ても無かった街……いや、当時は村といってもよかったかもしれない……人々は、ある日を境に大きく生き方を変える事になる。
たまたま掘っていた坑道の一つから、いきなり高温の湯が湧き出てきたからだ。
理由は分からなかったが、次から次へと湧き出してくる高温の湯によって、一本の坑道が潰されてしまった。
最初は嘆き悲しんだ村人達。
生活の糧を手に入れる手段の一つが消えてしまったのだ。
しかもそこは、枯れかけてしまった他の坑道の代わりに最近新しく作った場所。
これから数年はそこからの鉱物を頼りに生きていく事になったはずだった。
だが、悲しんでばかりもいられない……ととある村人の発言から一念発起。
坑道は新しく掘り直すことにし、折角なのでこの地面から湧き続けるお湯をなんとか汲み出し、村へと引いてくることにした。
それが現在のところの『第一湯殿』の始まり。
その後村へと行商に来た商人達が、村人の好意によってその湯殿を使い、そのあまりの心地良さを各地へ伝えた事が、現在のリリアルトの発展のきっかけとなったのだ。
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「おーいニーナ!宿が決まったぞー」
なんとなく村の中央にあった奇妙な、片手で柄杓を掲げた若者の像--どうやらきっかけを与えた青年らしい--の隣にあった看板に書かれていた、この街の成り立ちのようなものを読んでいた私は、かけられた声に振り向いた。
「お疲れ様。よかったねー、見つかって」
「ああ、ほんとに。まさかこの街がこんなに賑わってる場所だとは思っていなかったからなぁ」
背後から近づいてきていた兄は、少し疲れたような顔でため息混じりにそう漏らした。
偶然決められた場所の近くにあった街がここしかなく、これといった情報も無いままやって来たら門の近くは長蛇の列。
なんとか入ったはいいが、そのほぼ全てが他の街からやって来た人達で……その全てがどこかしらの宿に泊まることになるわけで。
馬車を預けた後、最初に皆で行った宿は既に満員。
その後幾つかまわってもだいたいが満員か全員泊まれる空きがない状態。
仕方が無いので手分けして探す事になったのだけれど、早々に割り当ての場所を回り尽くし、その全てに断られていた私は、こうして街の中央の集合場所で待っていたんだけれど……。
見つかったのなら今日の寝床の心配はない。
これで思う存分お風呂を楽しめる。
そう思ったちょうどその時、兄の背後からカイト……とルルカが寄り添って歩いてくるのが見えてしまった。
瞬間、心臓がドクンと大きく脈打ち、体の中央がキリキリと痛んで……。
いきなり固まった私に不思議に思った兄はその視線の先に目を移し、カイトの姿を見つけ大きく手をふった。
「カイトー!宿見つけたぞー!」
その声に気がついたカイトさんが手をふりかえして……その姿から目をそらした私の瞳がルルカのものとピッタリと--
--バレた。
その瞬間の私はどんな顔をしてたんだろう。
ただ、その視線があった瞬間ルルカはハッキリと、お互いが同じ人に好意を寄せている事に気がついてしまった。
気がつかせてしまった。
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その後、なんとなくぎこちなくなってしまった私達の前で、その原因となった人は兄と宿の相談をはじめた。
どうやらそれぞれ別な宿を見つけてきたようで、どちらに決めるか……といったところだろうか。
しかし私はそれどころじゃない。
カイトさんの横に立っているルルカの目がずっとこちらを向いていて……。
話に入れないどころか近寄る事もできない……っ。
もし適当な口実さえ見つかれば即座にこの場を離れていただろう。
しかしそんな適当な理由も無い自分には到底無理な話で……。
『せめて早く終わって!どっちの宿でもいいから!』
心の中でそう念じつつ、視線をあらぬ方向へ向け続ける。
しりませんよー。
気のせいですよー。
そんな空気を必死に纏い、突き刺さる視線から逃れようと背中を向けていると……。
「あ、リース姉さん」
「早かったんだね、皆。そっちは見つかったの?」
思わぬところからやってきた救いの神に感謝しつつ、打開策を求めて事情説明。
「カイトさんと兄さんが一つづつ見つけてきたみたいで、今はどっちにしようか話し合ってるみたい」
状況を理解したのか兄の元へと歩み寄る。
その途中ルルカの視線に気がついたのか、一瞬「おや?」といった表情を見せるも、特にこれといって反応はせずに男二人の元に近づいた頼れる姉。
「どっちにするか決まった?」
「あぁ、リース。そっちは?」
「見つかってないよ。だから、二人が見つけたどっちかだね。早くしないと埋まっちゃうかもよ?」
その返しにうっと顔をしかめた兄は、どうする?とカイトさんに視線で問いかけた。
「んー、正直違いはあまりなさそうだし、両方皆で行ってみて、実際に見て判断した方がよくないかな?」
「それもそうだな。悩んでる間に泊まれなくなるのも嫌だし。まずはいってみるか」
……よし、なんとか方針は決まったみたい。
心の中だけで安堵しつつ、「決まったなら早く行きましょー!」と元気に促したリース姉さんの後について、最初にトリス兄さんが見つけたぞ宿に行く事になった。
私だけ、若干の居心地の悪さを抱えつつ。