出禁
ミズキさんに電話をかけたけれど、繋がらずに留守番電話になってしまった。ポスティングを終えミズキさんを降ろした場所で休憩していた私は、スマートフォンを持って車の外に飛び出た。客の部屋まで走る。アパートの敷地内に入ったところで、ミズキさんと客がドアから飛び出してきた。客の手に握られているハサミを狙って、下から蹴りを入れる。跳ね飛んだハサミが私の足首に当たり痛みが走った。客の腕を取り、背中に回す。他に武器のような物は持っていないようだった。
「何なんすか? 何があったか車で話しましょうか」
「私は悪くない! ミズキが私だけのヒーラーにならないからいけないんだ!」
腕を捻り上げると客の女は泣き出し、大人しく車まで着いてきた。
「じっとしといてくださいよ」
二人を後部座席に座らせて、運転席に乗り込む。ティッシュで足首を押さえてから、ダッシュボードの絆創膏を取り出した。少し切れただけだけれど、チノパンに血が着いてしまった。ウェットテイッシュで染み抜きしながら二人の話を聞く。
「……私、ミズキに言われて風俗で働いてたんです」
「俺、そんなこと言った?」
「言ったよ! 嘘つき! ……そしたら、同じ店にミズキの客がいたんです。その子は自分がミズキの一番だと思ってるみたいで喧嘩になって、私は店を辞めました。もうお金がないから、また仕事じゃないときに会ってほしいって言っただけなのに、ミズキが冷たいからカッとして」
客の女は「気がついたらハサミを手にしていた」と言った。
「ミズキを刺して自分も刺そうと思ってた」
「今もそうしたいですか?」
「今は、落ち着きました。怪我ひどいですか? ……ごめんなさい」
「怪我は大丈夫っす。それよりミズキさんに聞きたいんですけど、このお客さんと性的なことしましたか?」
「するわけっ……」
「酷いよ。いつもしてるじゃん」
「そんなことないだろ! 俺はいつでもヒーリングしかしないし、外でも飯を食べたりしてるだけじゃねえか」
客は黙って泣き続けている。
「レイちゃん、信じてくれよ。この子が嘘をついてるんだよ」
「社長の前で同じ話しますか?」
「……何だよ! いつもよくしてやってるだろ!」
「とりあえず社長に連絡するっす」
泣いている女を部屋まで連れていって、申し訳ないけれど売り上げを回収した。
「違うヒーラーを探した方がいいと思うっす」
車に戻るとミズキさんがいなくなっている。このまま飛ぶつもりだろうか。突然店に来なくなって辞めてしまうヒーラーも多かった。
怪我したって、大丈夫? そう言ってモモが事務所の部屋に入ってきた。
「結局ミズキは枕やってたんだな」
「『ミズキさん』って呼んでなかったっけ?」
「あんなやつ『ミズキ』でいいんだよ。もし、また店に戻ってきても『帰れ!』って言ってやんね。もう来ねえと思うけどさあ。うちの店に泥塗りやがって。ああいうやつがいると他のヒーラーまで同じ目で見られんだよ」
「ヒーラーはインチキだって、いつも言ってんじゃん」
「ヒーリング自体は嘘くさいけど、おかげで生活させてもらってるしよ。レイもそう思ってミズキ守りに行ったんだろ。裏切りだよなあ」
「客が持ってたのがナイフだったら、少し腰が引けてたかも」
「こっちは丸腰だし当たり前だよ。俺ら護身具くらい必要じゃね?」
「社長に相談してみようか?」
モモはスマートフォンで護身用品を検索しはじめた。催涙スプレーとスタンガン、警棒が三大護身具らしい。専門家が教える詳しい使い方の記事を一緒に読んだ。
「私は催涙スプレーがいいな。この、風で逆流しにくいやつ」
「俺は警棒だな。似合いそうじゃね?」
「持ってるとこ想像したら、余計にチャラいよ」
「チャラいのは認めるけどさ」
「威嚇が第一の目的みたいだし、スタイルから入るのが正解かもね」
社長とのトークを開くと《その客は出禁にする》というメッセージが目に入る。ハサミを持っていた客が、泣いていたのを思い出した。
〈護身具を持ちたいんすけど、何かオススメはあるっすか?〉
社長の手が空いたら返信が来るだろう。
ヒーリングの仕事は昼間より夜の方が忙しい。昼夜逆転している顧客が多いからだろうか。暗くなってから営業終了時間まで、ずっと仕事が入っていた。どのヒーラーも今日のミズキさんのことを知っていて「たいへんだったね」と声をかけてくれた。接客業は毎日が本当にたいへんだと思う。ただのドライバーの私を労ってくれるのは嬉しかった。ハサミが当たった怪我は浅く、右足だったけれど運転に支障はない。
最後はサクさんの百二十分コースの送迎だった。その間に四十五分コースのヒーラーの送迎が入っている。
「お疲れさまっす」
仕事が終わったサクさんが後部座席に乗り込む。疲れているのか、いつもよりも無口だった。私だったら何十分も手をかざしたり、人の話を聞いたりできるだろうか。サクさんを家まで送ってあげたかったけれど、私にできるのは事務所のマンションまで送ることだけだった。
「これからは、この催涙スプレーを身につけてほしい」
社長が十センチくらいの大きさのスプレーをドライバーの四人に渡す。モモと記事で見た、たしか何とかジャッカルとかいう名前の催涙スプレーだ。
「意外と小さいんですね」
ゴウさんが言う。私も、もっと大きい物だと思っていた。この大きさだと携帯するのも使うのも簡単そうだ。
「間違っても自分や人に向けて試すなよ。強力らしいから、換気の悪い室内でスプレーしただけで酷いことになるぞ」
「えー。使うの、ちょっと怖いです」
アケミさんが社長に言った。
「催涙スプレーに関しては、各自で調べておいてくれ。だが使うようなことが起きないに越したことはない。ヒーラーについても知識を高めるように。彼らの話をよく聞いて再発防止に努めてくれ」
次の仕事でさっそくヒーラーと話した。
「ショウさん、何か仕事で困ってることとかないっすか?」
「さっきゴウさんにも聞かれたよ。僕、悩んでるように見えるのかな」
「いえ、社長とミーティングがあったんすよ。これからは、どんな小さなことでも私たちドライバーが聞くんで。何でも話しちゃってください!」
「それは心強いけど、今のとこ問題はないかな。いい常連さんにも恵まれたし。——あえて言うなら、たまにだけど特に男性の一見さんの口調がきついときがあるよ。カスハラっていうほどじゃないけどね」
「一見さんって初めてのお客さんっすよね。他のヒーラーさんたちにも聞いて、何か対策を考えてみるっす」
「ありがとう。今から行くのは二回目の女性のところだけど、何かあったら帰りに報告するよ。きちんと丁寧に断ってるんだけど二回目以降に誘われることもあるんだ」
「それもたいへんっすね。うまく断れないヒーラーさんもいるかもしれませんね。うちの店は休みの日に顧客さんと会うことは禁止してませんけど、枕営業は絶対禁止っすからね」
「やっぱり、ミズキさんのことでミーティングがあったの?」
「そうなんすよ。大切なヒーラーさんたちを危険な目に合わせるわけにはいかないんで。何でも頼ってください」
ショウさんは、入店三か月目のヒーラーだったけれど、三か月の間にミズキさんを含め二人が退店している。いつでも、働いてくれるヒーラーを大募集していた。その辺も含めてショウさんの話を聞いていく。入店してくれそうなヒーラーの心当たりは、ショウさんには無いようだった。




