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救いのない物語  作者: 十一三
第二章 紫堂レイ

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8/10

第七話「中村」

 このままいけば真っ向からこの男子生徒は、あたしとぶつかることになる──はずが、ひとつ瞬きをする間に彼の姿は視界から消え、代わりにレイが鋭い目つきでこちらの視線を捕捉しながら正面に突っ立っていた。


「何すんだよ、お前!?」


 いや正確にはどうやら、そのレイによって男子生徒は首根っこを掴まれたまま後ろ向きに引っ張られるように転ばされたらしい。授業中につき控えめではありながらも怒声を上げる足元の彼に、あたしとレイはほぼ同時に目線を落とす。


「悪かったな。でもこのまま進んでたらお前、()()()を踏むことになってたぞ」


 そう返答しながらレイの方()()を見上げる男子生徒の真横にしゃがみ込むと、レイは都合よく彼の足先数センチのところに転がっていた画鋲の針の部分をつまんで拾い上げた。


「無理やり引き止めたのは謝るが、一応何度か声はかけたんだぜ。でもお前心ここに在らずって感じで、全然止まってくれなかったからな」


 そんな事実(はず)はない。最初に発した「待て」の一声も声量からして、この男子生徒に対しての呼びかけではなかった。その後だって、あたしにもレイの声は全く聞こえなかった。出任せに違いないわ、こんなの。


「なんで⋯⋯」

「ああ、そこのポスターのやつが取れちまってたみたいだな。後で直しとくよ」


 言われてあたしも気づいた、保健室側の壁一面に貼り付けられている掲示物のひとつ、彼らが通り過ぎたほんのちょっぴり後のそれが剥がれかけていることに。でも多分──


「いやそうじゃなくて⋯⋯」


 そうよね、この男子生徒が気にしているのは、それとはまた別の話。


「なんであんたは今、こんなところに?」


 当然の疑問を受け、レイはすぐには応答しないままおもむろに立ち上がる。


「それ、そんなに重要なことか?」

「えぇ⋯⋯?」


 口を開いたかと思えば、またそんな身も蓋もないことを。概ね彼と同じ反応しかできないわ。ただまあ、ちょっとは安心したかしら。レイは何もあたしに対してだけあの無愛想な態度ってわけじゃあなかったのね。いや、大して関わりのない相手にはこんな対応を取ってるってだけなのかもしれないけれど。


「確かに俺には関係ないかもしれないけど、この後先生にも同じこと言うのかよ?」


 おお、これは鋭角な切り返し。しかしレイはこれにもすぐに応えることはせず、代わりにわざとらしくため息をつくと、剥がれかけたポスターの方へと歩いて行き先程拾った画鋲でめくれている部分を留めた。


「お前と一緒だよ。俺もちょうどさっきまで保健室にいたんだ。ベッド、使われてただろ?」

「あぁ⋯⋯そうだっけ? 覚えてない」


 もちろんそんな事実はなく、これもレイの大胆な出任せ、ハッタリに過ぎない。でも今となってはもう誰にも、それを確認する術はない。そして疑ってどうこうなるものでもないから、彼の()いた嘘もこの場においては真実に成り代わる。


「よっぽど周りが見えてないみたいだな、お前。()()()の所為か?」

「⋯⋯何?」


 ああ、そうか。レイがこれまでの会話の中でわざわざ嘘を言っていたのは、いじめ()の話を自然な流れで切り出せるように支配(コントロール)するため。更にこの彼の精神状態を突くことで、さっき吐いた二つの嘘にさりげなく信憑性を持たせている。こいつ、思っていたよりもずっと食えない奴ね。


「知ってんのかよ、俺があいつらに何されてんのか」

「俺だけじゃない。少なくとも一年の奴らはみんな、下手したら先公どもにも知られてるぜ。スイレンも一応場所を選んではいるが、隠すつもりはなさそうだしな」

「そんな⋯⋯だったら、何で誰も止めてくれないんだよ?」


 これもまた、当然の主張。しかしその訴えを聞くや否や、レイはまず無言で首だけ振り返った。凍てつくような冷たい眼差しで、男子生徒の方を見下ろしながら。


「なあ中村。お前もう部活決めた? 運動部か?」

「は、いやまあ⋯⋯うん、入学前から剣道部に決めてたけど。てかなんで名前知ってんの?」


 わかりやすく戸惑いつつも、中村と呼ばれた彼は突然の問いかけにも素直に応えてくれる。レイも、少しは見習った方がいいと思うけれど。


「あれ、覚えてないのか? 小学校の時同じクラスになったことあるだろ」

「そうだったっけ⋯⋯? すまん、マジで覚えてない」


 今まで散々適当こいてるものだから、中村に記憶がない時点でこれもかなり怪しいのだけれど、相変わらず抑揚もなく淡々と語りかけてくるものだから、嘘なのか本当なのか、今はなかなか判別し難い。


「いや、お互い大して喋ってたわけでもないし無理もないか。俺も今までのクラスメイトの名前全部覚えてるかって言われたら怪しい。まあ一旦それは置いといてさ」


 レイはそこで言葉を区切ると、中村と目線を合わせるために今度は彼の真正面に腰を落とした。


「闘う力はあるはずなのに、なんで抵抗しないんだ?」

「は⋯⋯?」

「自力でどうにか解決しようともしてないくせに、それを無関係の他人に求めるのか?」


 その眼光や声色以上に冷たい言葉を浴びせるレイに、中村は睨み返しながらただ歯を軋ませている。


「スイレンは周知の問題児なんだ。関わり合いにならないよう自衛に徹してる奴らの方がまだ()()()()って言えると思うぜ」

「⋯⋯見て見ぬ振りしてるだけの奴らの方が偉いって言うのかよ」

「だったらお前はもしも自分が第三者の立場だったとして、手を差し伸べてやれるって自信持って言えるのか?」


 中村は即答せず息だけ呑むと、わかりやすく伏し目がちに顎を引いた。


「それは⋯⋯わからない」


 聞いている方も息苦しくなるような、あまりにも弱々しい掠れた声で呟く彼の一方の肩に、思いもかけずポン、とレイは手を置いた。柄にもなく、まるで勇気づけるかのように強かに。


「それが普通だ。世の中、善人か悪人かしか存在しないわけじゃない。むしろ、他人に無関心って奴らが大半なんだ」

「だったら、俺はどうすれば⋯⋯」

「言っただろ、闘うしかないんだよ」


 弾みをつけて立ち上がりながら、奮起を促す言葉をレイは続けて投げかける。


「スイレンたちをどうこうしてやろうなんて解決策は考えるな。天地がひっくり返っても奴らは更生しない。放って置いたって、必ず誰かを傷つける。なら最悪、自分がそのターゲットにさえならなければいい」


 悪魔のような提案だけれど、筋は通っている。第一、いじめを見て見ぬ振りするのもそうやって目をつけられないためなんだもの。行動の原理は一緒なんだし、今更同じことを彼がやったって誰も文句は言えない。


「剣道部って言ったよな? 力も()()も揃ってるんだから、それを盾にお前がただやられるだけの人間じゃないって証明してやるんだよ」

「道具って⋯⋯言っとくけど竹刀は使わないぞ。たとえ奴らであっても、試合以外で人に向けることだけはしないって決めてるんだ」

「そうか。だが何も竹刀だけを闘うための道具だと言ったわけじゃないぞ」


 一度中村から視線を外しさっき留め直したポスターの近くまで再び歩いていくと、レイはまたすぐに半身だけ振り返り、片方の親指でその掲示板を指し示した。


「俺が無理やりにでもお前のことを引き止めたのは、〝画鋲を踏んだら危ない〟からだ。当たり前だが⋯⋯同じように、学校には簡単に怪我に繋がりうる危険物がありふれてる」


 コンパスやハサミにホチキス、工具、それと劇物に薬品⋯⋯などなど。確かに、挙げだしたらキリがないくらい学校という施設は、一歩使い方を間違えれば大きな事故に直結しかねないようなものがそこら中にある。考えてみれば至極当たり前なのに、なぜだか今まで意識したことがなかったけれど。


「そこで、だ。ここで会ったのも何かの縁だからな、つまらない物だが⋯⋯ほら、手出せ」


 ポケットの中をまさぐりながら再度近づくレイに、中村は戸惑いつつも促されるがまま片手だけ差し出した。間髪を入れずその手のひらの上に置かれたのは──カッターナイフ。


「おい、これ⋯⋯」

「美術室の備品を拝借した。一個ぐらいバレないから気にすんな」

「お前のじゃないのかよ!?」


 正当な反応(リアクション)ね。まさか盗んだものを他人に渡すなんて。


「気になるようならそいつは別に使わなくてもいい。大事なのは抵抗する力と、それを知らしめるための武器はどこにでも、いくらでもあるってこった。今を変えたいなら、早いとこ奴らに一泡ぐらい吹かせてやるんだな」

「できんのか俺に⋯⋯? クズとは言え、他人に本物の刃を向けるなんて⋯⋯」

「そりゃ、今までやろうとしたこともないことをいきなりできるようになるわけもないが、だからこそ奴らにとっても意識の外側だ。案外ブッ刺さると思うぜ? それに、アドバイスって言うほどでもないけどな」


 言葉を続けるより先に、レイはカッターナイフが載ったままの中村の手首を掴み、そのまま力強く引っ張るように立ち上がらせた。


「他者を一方的に痛めつけている時ほど、人間は油断するもんだぞ」


 ブラックホールのように吸い込まれそうな昏い瞳に真っ直ぐ見つめられ、ほんの少し仰け反りながら唾を飲み込む中村の、生々しい嚥下音があたしにも聞こえてくる。それだけじゃない。小刻みに震える身体、頬を伝う汗、荒い息遣いから強かに、彼の緊張が伝わってくる。

 でもその眼の奥で確かに、ゆらゆらと燃え始めている──漲っている。勇気が、希望が、闘志が。


「ありがとう。やってみるよ」


 これまでとは明らかに雰囲気の違う、自信に満ちたような声音でそう言い放つと、中村はレイから受け取ったカッターナイフを握り込み、もう一方の手で重ねるように包んでからそそくさと走り去って行った。

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