第六話「邪魔」
区切りのいいところでちょうど予鈴が鳴り響くと、レイは一旦語るのをやめ、「また後でな」とだけ吐き捨て再び校舎裏の駐車場──スイレンたちの方を見下ろした。
スイレンは射撃の的にしていた男子生徒を勢いよく張り倒し尻もちをつかせると、その頭上に彼のものと思しき体操服を放り投げるように被せ、エアガンをスクールバッグに仕舞ってからあとの二人と共に昇降口の方に走り去って行った。
「あいつ、邪魔だなぁ⋯⋯」
「え?」
スイレンたちを目で追うわけでもなく、取り残された男子生徒から視線を動かさないままそう呟くレイに、間抜けにも声が溢れてしまう。
「いや、こっちの話だ。俺らも行くぞ」
「⋯⋯そうね」
あまりにも不審な誤魔化し方に戸惑いつつも、促されるがまま扉の方へと歩き始める。
「ねえ。なんであんたが後ろなのよ」
意識だけ背後に向けながら、足を止めることなくレイに話しかける。
「そりゃあ、鍵を持ってるのが俺だからな。戸締りするやつが最後に出た方がいいだろ。それにお前が障害物をすり抜けるところをぜひともお目にかかりたいし」
「後の方が主な理由でしょう、それ──って、痛 ぁっ!?]」
一瞬、何が起きたのかわからなかった。当たり前のように閉じたままの扉を通過しようと前のめりになっていたあたしの身体は、つま先よりも先に額が鉄扉と正面衝突した。硬いものに思い切りぶつかったものだから反射的にこんなリアクションを取ってしまったけれど、もちろん痛みは一切ない。ただ、響き渡る鈍い衝撃音が羞恥心を催してくる。
いやそんなことはどうでもいい。そんなことよりなんで──
「なんで、触れてるの⋯⋯?」
ドアノブを捻り扉を解放しながら、当然の疑問を喉奥から漏らした。
「⋯⋯とりあえず早く出るぞ。間に合わなくなる」
「え、ええ。悪かったわね」
幽霊になってからこれまで、例外を除いて何かに触れることはできなかった。それも今のように、手の中に握り込んだり動かしたりするなんて。
「実体があるんじゃないか? 今のお前には」
戸締りをし、今度はあたしを先導するように階段を下り始めながら、レイはそう仮説を立てた。
「俺に取り憑くまでは触れなかったんだろ? あれだけ自信満々に鉄のドアに突っ込んでったんだ。すり抜けるところを見られなかったのは残念だが、そこを疑うことはねえよ。お前が相当の変人なら話は別だけどな」
一瞬だけこちらを振り返り余計な一言を最後に付け加えるレイに、眉がピクリと痙攣する。でも、あながち間違っちゃいないのかもしれない。
あたしは『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の詳細をまだ完全には理解していない。能力を使用したのはレイが二人目だし、パパの時はほんの数分会話をしただけで、今回のように何か物に触れたりもしていないから、実験にもならなかった。だからこのサンプルは実質、あってないようなもの。
「影だってあるし、多分鏡にも映るんじゃないか? でも姿が俺にしか見えてないんなら、お前が物を動かす時周りからはどう見えてるんだろうな」
「さあ、どうかしらね。あたしも気になるところだけれど⋯⋯ポルターガイストとやらの正体がそれだったりするのかしらね」
階段を下り続けながらレイと話しているうちに、あるひとつの懸念が浮かび上がってきたことに気がつく。この能力は特定のひとりの意識内に入り込み、あたしの存在を強く認識させる能力──つまりその人物にだけ、あたしの姿や声を知覚できると、そう思い込んでいた。
それはあの時本能的に感じ取った内容だから、これまでもそこのところを自分で疑問に思うことはなかった。けれどパパに対してほんの数分能力を発現した際、確かにあたしは他の誰とも会っていない。教室に戻ろうと忙しなく階段を駆け上がってくる生徒たちのように、誰かがすぐ側をすれ違うことも。
実に盲点。影ができたり、物に触れたりもできているこの実在感はひょっとしたら、あたしは誰にでも見えるようになっているんじゃあないか? って。その場合、本物の肉体と衣服は、今ここに立つあたしと葬儀場に置かれてある遺体、どちらになるのかしらね? いや、遺体に着せられているのは死装束とやらだけれども。
そうね、答えの出ない謎について考え続けるのは不毛ってやつだわ。懸念についても、放っておいたってどうせすぐに白黒はっきりするんだし、レイに話すほどのことでもない。そんなことより──
「ねえ、どこまで下りるつもりなのよ」
他の生徒たちが続々と次の授業場所、主に自分たちの学級へと駆け込んでいく中、目の前のレイに倣ってどの階層にも停まることなく黙々と階段を下り続け、ついに一階にまで到達しかかったところで彼の背中に声をかける。
「そりゃあ授業始まるんだから、教室に向かってるに決まってんだろ」
足を止めることも振り返ることもせず、雑にそうとだけ返してくる。
「いやでも、一年の教室は四階でしょう? とっくに通り過ぎてるじゃない。それとも次は移動なのかしら?」
「そういうわけでもないけど。社会だし」
あまりにもちぐはぐな会話のテンポ感に内心うんざりしながら、なんとかキャッチボールを続けようと試みてみる。
「だったらなんでわざわざこんなところまで来てるのよ」
「単なる遠回りだよ。ちょっとした用事だ」
「そんなことしてたら間に合わな──」
言い終える前に、本鈴のチャイムが鳴った。校舎一階に到着してから間もないタイミングで、授業の合図はけたたましく空気を揺らした。この時点でレイは遅刻確定、にも関わらず彼は焦ったり急いだりといった素振りを一切見せず、用事とやらを済ませる為なのか一心不乱に廊下を突き進んでいる。
「授業に遅れるのがそんなに気になるか? まあ確かに、他の奴らもみんなそうらしいが」
チャイムの残響まで完全に止んだ後の静寂を待たずして、レイは先に口を開いた。
「だからだよ。だからいいんじゃねえか」
「どういう──」
目的の場所に行き着いたのか、レイは突然立ち止まりこちらを振り返ると、自身の口元に人差し指を立てこちらの発言を制し、その指である一室の室名札を示した。保健室だった。しかしレイはそこに入るわけでもなく、出入口が見える場所でただ待機している。
わざわざ黙らせなくても、あたしの声は他の人には聞こえてないはずなんだから別に⋯⋯いや、今はわからないんだし無理もないかしら。それよりも彼のこの様子を見るに、用事は保健室自体ではなく他にあるみたいね。
程なくして保健室の中から姿を現した人物によって、ようやくあたしにもレイの狙いがわかった──ような気がした。
スイレンたちのいじめの標的になっている男子生徒。彼はこちらに気づく気配もなく、ただ呆然とあたしたちの立っている位置とは逆方向、さっき下りるのに使った階段の方へと向かっていく。その足取りは重く、普通に歩いてもすぐ追い越せる程度の歩調で彼は進んでいる。
きっとレイは彼と接触する機会が欲しかったんだわ。屋上で例のいじめを目撃した時から彼の行き先にアタリをつけ、先回りしてみせた。そして授業が始まったこのタイミングなら、他の誰に知られることなく密談ができる──はず、なのにどうして?
レイは未だ動き出すことなく、男子生徒の背中を睨めつけたまま立ち尽くしている。
いや⋯⋯そうか。あたしだってまだレイとはロクに会話したわけでもないけれど、きっと同類だからよくわかる。これまでの口ぶりから察するに、単純な話、レイは絶望的に他人と話すのが苦手なんだわ。だから今も、この状況を生み出したまではいいもののどう声をかけたらいいかわからず、尻込みしているに違いない。
仕方ないわね。ここはあたしがささやかながら、きっかけを作ってやることにするかしら。
「ねえ。あたし、ちょっと試してみたいことがあるから、彼のこと利用させてもらうわよ」
そう、それは『ダンサー・イン・ザ・ダーク』に関わる実験的な試みでもある。要するに、今のあたしはレイ以外の人間にも姿は見えるのかどうか。見えなくても、触れることはできるのか。どうせ遅かれ早かれ確認することになるんだから、今ここで検証したっていいはずよね。
「待て──」
レイの制止を振り払って駆け出してから、さっきも推測していた通りほんの一瞬で、ふらふらと不安定ながらも前進を続ける男子生徒の前方に躍り出ると、その進行方向を妨げる形であたしは彼と向かい合った。




