4.ジェドナ王国
次の目的地を定めてからの行動は、我ながら驚くほど早かった。
迷っている時間が惜しくなった、というより――立ち止まっていると、また何かを考えてしまいそうだったからだ。
荷造りも、旅程の確認も、必要最低限で済ませる。
問題は、家を出る瞬間だった。
「えっ、もう行くの!? ちょっと待ってちょうだいクロードちゃん!!」
玄関に立った瞬間、父の甲高い声が屋敷中に響き渡る。
派手なローブの裾を翻し、目元を押さえながら駆け寄ってきた。
「久しぶりに帰ってきたと思ったら、またすぐ行っちゃうの!?
パパにも心の準備ってものがあるのよ!? ねえ!?」
「準備も何も……」
「滞在中用に買った、お揃いの服だってまだ着てもらってないのに!パパのことが嫌いなの!?ねえ!!!」
完全に聞く耳を持っていない。
その後ろで、母は穏やかに微笑んでいた。
手には、いつの間に用意したのか、小さな旅袋。
「体に気をつけてね、クロード。無理はしないで、ちゃんと食べて、ちゃんと眠るのよ」
「……ありがとう、母さん」
わめく父を半ば無視して、外へ出る。
「学院に行くなら、カミーユ先生によろしく言っておいて頂戴」
姉ちゃん――メロルは、腕を組んで柱にもたれていた。
「カミーユ先生...ですか」
「それと!いくら久々だからって、敬語はやめなさいよ」
「……うん」
「寂しいでしょうが」
一瞬だけ、視線を逸らす。
「……姉さん」
その呼び方に、彼女は小さく目を見開き、すぐに満足そうに笑った。
「行ってらっしゃい、クロード」
背後で父のすすり泣きが始まったが、振り返らないことにした。
目的のジェドナ王国は南東の地だ。近づくほどに暑さが増す。
「……あっつ」
思わず声が漏れる。
乾いた熱気が肌にまとわりつき、
香辛料と油と酒の匂いが混ざった空気が、肺いっぱいに流れ込んできた。
グランドール国とはまるで別世界だ。
石畳の通りに立ち並ぶ露店、陽気な呼び込み、笑い声。
露出の多い服装の人々が、当たり前のように行き交っている。
――この格好じゃ、完全に浮いてるな。
そう思っていると、ちょうど目に入ったのが露天の服屋だった。
薄手のシャツ、ゆったりしたズボン、風通しのいい外套。
派手すぎない色合いを選び、さっさと着替える。
「3000ゴールドだよ。観光かい?兄ちゃん」
「まあ、そんなところです」
愛想のいい露天商に適当に相槌を打っていると、
「ふふふっ。見ーつけちゃったっ♡」
背後から、やけに艶のある声。
嫌な予感しかしなくて振り返ると、案の定、そこにいた。
「……ゲッ。アンタ、何でいるんすか」
女はクロードの肩に肘を置き、遠慮なく体重をかけてくる。
「おじさん、うちの子だからボっちゃダメよ♡」
「へへ、スピリタスちゃんに言われちゃあしょうがねえな」
露天商はその女が声をかけると露骨に相好を崩し、そのまま2000ゴールドを返してきた。どうやら、3倍の値段で売りつけられていたらしい。
「主人がいないと、口が悪いのねえ。うちで躾してあげましょうか?」
にこにこと笑う女――スピリタス。
グランドール王国一の魔女にして、“黒猫の吐息”という魔法道具店の店主。信者じみたファンクラブが存在し、普通ならそこを通さないと会うことすら出来ない。
クロードの主人、シャルムに変態的に迫るが毎回一蹴されている。
要するに、面倒ごとの塊だ。
「絶対にごめんです」
クロードが歩き出すと、スピリタスも当然のようについてくる。何か思いついたように表情を変えたかと思うと、腕を取られ、そのまま近くにある酒場へ引きずりこまれた。
「おじさん、エール二つね」
「ちょ、勝手に――」
「いいじゃない。ここで会ったのも何かの御縁よ♡」
気づけば飲まされ、いつの間にか荷物まで持たされていた。
「ホント、何なんですかアナタは...
そもそも何でこんなところにいるんです?お店だってあるでしょうに」
「ただの買い出しよ。この国は色々と都合がいいの♡」
にやにやとした笑みがやけに腹立たしい。
が、確かに魔女のことは魔女に聞いた方がいいのかもしれない。とクロードは思いなおす。
「あの、1つお伺いしても?」
「対価は高いわよう」
「...何で、うちの姉さんと言い、魔女ってのはレズが多いんでしょうか」
少し言い淀んだかと思うとデリカシーの欠片もない言葉が飛び出してきた。
「ぷっははは!!!いいわね、その素直さ...くっはは...っ」
ひとしきり笑ったあと、目尻の涙を拭いながらスピリタスは言った。
「魔法にはね、二種類の原動力があるの」
体内の魔力を使う魔法。
そして、外部から何かを抽出し、魔力へ変換する魔法。
前者は生活魔法が多く、ほとんどの人々が日常的に使用している。後者は適正が必要で、使える者は限られる。そうした人物が魔女や魔法使いと呼ばれる。
「人の“心”は、魔女にとって最高の素材なのよ。特に、情熱的なオンナノコとか...
シャルムみたいな直情タイプなんてそりゃもう、ね♡」
「...アンタはシャルム様を餌として見ているってことか」
空気がピリッと引き締まる。
「誤解しないでよね。
アタシたちは同意がなければ素材としてとることも、使うこともできないわ。
まあ、他にもカロリーを消費して戦う魔女や、植物からエネルギーを抽出する魔女もいるけど――燃費が悪いわね」
なるほど、と口では言ったが、正直ついていけているかは怪しかった。
「んで、クロードは何でこんなとこなんかにいるのよ」
「...ルゼリアが壊れた原因を知りたいんです。ここの学院で必ず手がかりを掴んでみせる。」
「へ〜〜♡健気ねえ♡」
例のごとく気持ち悪い笑みでニヨニヨとしながら。
「いいわ。このアタシが協力してあげる♡もちろん対価はたっぷりと♡」
「何で、男の俺なんかに」
「噂だけでアタシのことを突き止めた胆力と執念を買ってるのよ♡
しかも恋敵のために、ね。
――それに、いい暇つぶしになりそうじゃない」
俺は悪魔に魂を売ってしまったのだろうか。




