ep6. 按摩の湯
あの後、カペラとアルラ、アリスとボレアスで分かれ、エスダイン周辺の見回りを行った。
エスダインを囲む森には確かに屍食鬼が居た。だが噂は誇張されていたものなのかはわからないが、想像していたほどは多くなかった。
それはそれで安心した。
けれど、警戒は怠らずに毎日見回りは続ける。もしかしたら今日たまたま少なかっただけの可能性もあるわけで。
王城に戻る途中、前方から複数の声が聞こえてきた。
「師匠───!」
「カペラお姉ちゃん!」
弟子と可愛い女の子のお迎えだ。それも横の男を無視しての。ただリッチはいつも通りに我々に言葉を掛けてくる。
「師匠とアルラさん。お疲れ様です」
「ああ。少し聞きたいのだが、弟子達はいつも帰ってくる時にこんなお迎えをするのか?」
アルラがリッチに質問する。
「いえ、そういうわけではなんですが……今回は師匠が何も言わず何処かへ行ったので皆心配でこうなっちゃったんです」
確かに私は何処かへ行くとき弟子達に言ってから出て行く。これは私が悪いな。
「どこ行ってたんだよ師匠」
「ちょっと屍食鬼退治にね…」
「え!おれも行きたかった!ねぇ次はおれも連れてってよ!」
するとアルラがミーシェルの襟を掴み、猫のように持ち上げた。
「うわっ!おい、何すんだよ…!」
「今回は異常が無いか調べるために行ったのだ。いつも通りのものだと思うな。仮に異常があった場合、お前等のような未熟者ではすぐに殺られる。特にお前みたいな騒がしい奴は」
「なんだとコノヤロー!早く下ろしやがれ!おれは王子だぞ!」
そう賑やかにしていると奥から男の叫び声が聞こえた。
「おーい、王子様方!夕食の時間ですよ!急がないと冷めますよ!」
「あの人って確か……えーと」
「貴婦人の従弟のヘルベルトさんだ。本当にあなたという人は、関わりの深い人しか覚えませんね」
「何度か関わらないとすぐ忘れちゃうから……」
私達はヘルベルトの方へ向かい、賑やかな夕食の時間を共に過ごした────────
◆
「ふぅ……食べ過ぎた」
料理を目の前にするとつい張り切って沢山食べてしまう。
そのままだと少し苦しいので今は廊下を徘徊している。暫くしたら湯に浸かりに行くつもりだ。
月明りが差す。黒と青が視界を彩る。
庭に出よう。夜風を浴びたらさらに気分が良くなるだろう。
そう思い庭に一歩踏み出すと──────
「────リッチ?」
風の音が耳に響く。
月に照らされた少年は一つの芸術のようだった。
刹那、少年は手に持っていた笛を口に当てようとした。
「リッチ」
少し驚いたのか、リッチは体をピクリとさせこちらを向いた。
「し、師匠!?」
「どうしたの。お腹いっぱい?」
「いえ……ただ、考え事をしていて」
カペラはさらに歩み寄って聞く。
「何を考えていたの?」
リッチは月を見上げながら口を開いた。
「オレはちゃんと、強くなっているのかなって……ちゃんと戦えてるのかなって」
これは憶測にすぎないが、昼に彼等に何も言わずに屍食鬼を討伐しに行った事と、アルラがミーシェルに言った言葉が原因だろう。私は優しく彼に言葉を掛ける。
「別に強くないから連れて行かなかったんじゃないよ。半年前より屍食鬼の数が増えてるって話を聞いたからとりあえず様子を見るために私達だけで行っただけ。もしかして、アルラが言ってたこと気にしてる?」
少年は頷く。
やっぱり……と、私は言葉を続ける。
「別に本気にしなくていいよ。彼はただ勘違いしている人が嫌いなだけで、口から出る嫌味も心からのものじゃないから」
「そうなんですか?」
「うん。彼とは付き合い長いからね~。割とわかるんだよ」
多分そうだろう……多分…。
一呼吸置く。
青白く輝く月は黒い雲を纏い始める。
「別に無理して急がなくてもいいと思うよ。君達はまだ若いんだから、少しずつ積み重ねて行けばいいんじゃないかな。私がまだ師匠じゃなかった時よりはずっと強くなってるけど、君達はまだ連携が取れてない。自分が自分がって戦い方をしてる」
「すみません……」
「謝らなくていいの。これから直していけばいいんだから」
月は完全に雲に隠れ、ぼやけた光が空に残った。
カペラは背伸びをしてリッチに言った。
「さて、中入ろうか。なんか曇ってきたし……それと、夜に笛吹いちゃダメだよ。変なの来ても知らないよ」
◆
リッチと話して満腹感は薄れ、大分楽になった。
そういえば、彼はよく笛を吹いているけどしっかり聞いたことなかったなと、ふと頭にそう過ぎった。機会があったらお願いしてみようかな。ただ本人の性格的に、これを言ったら恥ずかしがってやってくれなさそうだけど……。
そう考えながら脱衣所で衣服を脱いで浴場へ入る。
王城の湯。疲れを取るのにはピッタリだ。広いが故に足も思い切り伸ばせる。
「ん?」
一つ奥の浴槽から泡がブクブクとしているのが目に入る。新しい効能がある湯なのかなと、そちらに入ってみる。特に何も無し。さっきまで入っていた湯よりは温度が低い程度だ。
瞬間、大きな音と水飛沫を上げ、何かが湯から飛び出してくる。
「な、何!?」
飛び出すや否やそれは私の体に纏わりついてきた。
ああ、この感覚は嫌になるほど覚えた──────
「アリス、何してるの!?」
体の至るところを撫でまわしながら澄ました声で喋り始める。
「アウリガ様のお背中を流そうと思い、浴槽の中で待機してました」
「それなら別に脱衣所でもよかったじゃん!なんで潜ってたの!隠れるような真似をするってことはいやらしいことする気満々だったってことでしょ!?」
「いえいえそんなことは決して」
「じゃあ何で撫でまわしてるんですかね」
「ただの按摩ですよ」
「そんな按摩聞いたことも見たことも無いんですが……」
「今現在耳にし目にしていますよ」
「うるさい!離れんか!」
ジタバタと藻掻く。波打つ浴槽。互いに体が濡れているので引き剝がしやすかった。疲れを取るために入っているのに余計に疲れてしまった。足を伸ばして首まで浸かる。
「アウリガ様」
「何?」
「今回の昼の見回りでそちらは何か変わったこととかはありましたか?」
急に真面目な話をし出すのが本当に怖い。その振れ幅には湯に入っていても風邪をひいてしまいそうになる。
「いや、特に変化というものは感じられなかったよ」
「そうですか……」
アリスの顔が少し曇る。
そっちは何か問題でもあったのだろうか。カペラは尋ねる。
「そっちは何かあったの?」
「はい。あの話を耳にしていたので傷を負う覚悟で行ったのですが、遭遇した屍食鬼の数は僅か三体でした」
「さ、三体?ちょっと少なすぎない?」
「ええ。少し不気味に思って色々と考察をしてみたのですが、もしかしたら居る場所に偏りがあって、その偏った方に兵士達は遭遇したのではないかと」
「でも、屍食鬼って集団で固まるものかな?自分さえよければの奴等が一ヵ所に集まっているなら絶対屍食鬼同士で争いが起こると思うんだけど……」
傲慢で自分勝手の人喰らい。出没場所が偏った事例は聞いたことが無い。
隣で浸かっているアリスは少し沈思黙考し、ある仮説を立てる。
「可能性としては低いとは思うのですが、もしかしたら執政神ように屍食鬼側にも屍食鬼を統率する者が居るのかもしれません」