ep3. 術色
「日が暮れてきたね。何か食べるかい?」
ドラーグが横の箱に手を入れながら聞いてきた。話に夢中になっていて今が夕暮れ時ということに気付かなかった。
「テキトーに持ってきたからサンドイッチ二つしかないけど…カペラはどっちがいい?」
もちろん私は少しばかり大きいサンドイッチを選びたいが、その前に一つ気になるものが耳に入ってきた。サンドイッチに向かおうとする手を止めてドラーグの方を見る。
「どうしたの?」
「……いやぁ、『さん』も何もなく呼ばれたもんで…」
ドラーグは笑みを浮かべながら眉を困らせる。
「これから長い関係になりそうな予感がしてついね。もし気に障っちゃったのなら取り消すよ」
「いやいや全然いいよ。寧ろ歓迎。それじゃあ私もドラーグって呼ぼうかな」
「いいよ。まぁ、出会って間もない人間に馴れ馴れしく呼ばれると戸惑っちゃうよね。ごめんね」
それもそうだが、何かとそう呼ばれたのが生まれて初めてだったからというのもある。基本皆は『カペラ様』や『アウリガ』、『アウリガ様』と呼ぶ。そういう友達のような呼び方をされた嬉しさを実感する。
彼の手からサンドイッチを取って、自分の口に運ぶ。
神自体空腹になることは無いが、腹を満たすことをしないというわけではない。では何故食べるのか。美味しいからである。気分が上がるからである。そう、それだけ。
ふと、彼の帯に刺さっている一本の木でできた笛が目に入る。
これって、どこかで……確か500年前のエスダインで同じような笛を持った子供が─────
その思考は、最後の一口を飲み込んだドラーグからの質問に中断される。
「そういえばカペラは代行者なんだよね?どの神を信仰してるの?」
油断。まさかそんなことを聞かれると思ってなかった言葉が耳から入ってきて、まだよく噛んでいないサンドイッチを飲み込む。カペラはなんと答えていいのかわからず、しかし考え込んでいると怪しまれる、その時間にして0.4秒。カペラは口を開く。
「アウリガって神様だよ。君は知らないと思う。多分、そんなに有名じゃないし」
その言葉にドラーグは笑った。
「アハハ。残念ながら知ってるよ。姿かたちも──────」
言葉が続こうとした瞬間、荷車を引いていた馬が突然止まった。ドラーグは瞬時にカペラの肩に手を置き、前へ転ばんとする体を支える。
「なんだ?」
ドラーグが懸命に促すも馬はビクともしない。
「様子がおかしい…どこか怪我したんじゃ」
カペラは荷車から降りて馬の状態を確認しようとした時だった。進行方向から音が聞こえてくる。音はまだ遠く、それが何であるかは判別できない。その先を凝視し、やがてその音の答えが判明する。
カペラは荷車に再び乗り、ドラーグの耳元で囁く。
「ドラーグ。前をじっと見て。奥に赤い光が薄っすらと───あれが…」
「ああ、間違いない。あれが血を啜りにランプを持って歩く赤い群れ、星壊衆だ」
まずいな。先ほどまで夕方だったが、既に夜の帳は下りきっている。視界は悪く、屍食鬼にとっては最高の時間。何より山道だ。自分達以外に人がいるわけが無い。
彼は剣を携えている。こちらには弓。戦闘自体はできるが、奴等は群れで歩く故にこちらよりは数が多い。さらには特殊。手札が揃っていない以上、今ここで戦うのは得策ではない。
「カペラ」
横から彼の声が聞こえる。彼の方を見るとこちらに手を差し伸べていることがわかる。
「な、何?」
「何って。ああ、そういえばまだ聞いていなかったね。カペラ、『術色』は何色?」
その時、カペラは脳天に電流、心臓に剣が突き刺さったかのような衝撃が走った。
ヴ、ヴィヴィ…術色だぁぁぁ!?
□
術色。
それは神と大魔術師しか扱うことができなかった魔術の最奥。それがまさか一般市民であろう少年の口から出たのだから驚きだ。この500年間で人界は一体どうなってしまったのだ。
彼は「色は何か」と聞き、こちらに手を伸ばしている。術色の仕組みは500年前と全く変わってはいないようだ。
術色には、緋・藍・白・空・翠・黄・黒、と宝石の名を与えられた七種類の色がある。魔術という奇跡に色というこの世の現象の結果を混ぜ合わせたもの。緋なら炎が。藍なら水が─────わざわざ木を擦らなくとも、川に水を汲みにいかなくとも術色を使えばそれらが出てくる。術色の出力は使用者の練度によって変わる。
過程の省略化、と言えば少々弱く聞こえるが術色にはその色を引き出すための『型』と呼ばれるものが三つある。
術色を放って攻撃したり、ある程度の形あるものを造ることができる『構築』。
術色を体や道具に纏わせることができる『塗着』。
範囲を指定して結界やその座標から攻撃などができる『範囲』。
型は一人につき一つ持つことができ、これらを駆使して降りた神達は邪や鬼を祓っていた。
□
「──────色は緋だよ」
「僕は黄だ。よし、これで岩が作れる。それで奴等を押しつぶそう」
彼は岩で屍食鬼を潰そうと試みようとしているが、それじゃだめだ。私は彼の差し伸べた手に自らの手を乗せる。
今から行おうとしているのは術色のもう一つの用途である『彩法調和』。複数の術色をかき混ぜることにより通常では成しえない現象を引き起こす。強大な力が生み出されぬよう、神星界の縛りで調和できる術色は最大で二色までとされている。何であるかは説明できるが、実際に調和をするのは初めて故、緊張が走る。
私の色は緋、ドラーグは黄。この二色が重なり術色・橙が誕生する。橙には岩の力が内包されている。
カペラは頭の中で岩の形を調節し、それを具現化させる。岩は籠をひっくり返したような形となって道を塞ぐ。中から外の状況を確認できるように小さな穴を開けてある。カペラはその穴から覗き屍食鬼の様子を伺う。
「なるほど。岩の中に隠れてやり過ごすんだね」
荒く土を蹴り歩く赤い屍食鬼が道を塞ぐ岩の手前まで来た。一体の屍食鬼が声を出す。
「あ?なんだぁこれ?道のど真ん中に岩があるぜ?」
「本当だ!これじゃあ通れねぇじゃねぇか!」
「上から転がってきたのか?ツイてないぜこんちくしょう!」
「アホか。回り込めばいいだろ。道なりに沿って馬鹿正直に歩く奴がどこにいんだよ」
一体の赤い屍食鬼が他の屍食鬼の頭をランプで小突く。その様子を見ながらカペラは馬を撫で続ける。
馬が鳴かないか心配だ。こんな所で茶番をしていないで早く去って欲しいものだ。
だが、後ろの方にいた屍食鬼が勘の良いことを口にし、岩の中に潜むカペラ達に緊張が走る。
「でもよぉ、なぁんかおかしくねぇか?」
「んだよ」
「転がってきたってんならもっと、ほら…ゴツゴツしてて汚ぇっていうか……なんつーかわかんねぇけど。でもこの岩少し綺麗すぎやしねぇか?」
「んなこたぁどうでもいいだろ!そういう細けぇことばっか気にしてるからいつまで経ってものろまなんじゃねぇのか?」
心臓を締め付けていた緊張の鎖は砕け散る。
どうやらあの屍食鬼は細かいことがいちいち気になる性格らしく、こちらの異変には気付いているわけではないようだ。だがまだ安心はしきれない。あの屍食鬼達が完全に立ち去るまで耐えなければならない。
赤い群れは岩を避けて奥へと歩いていく。十分に警戒は必要。闇の中に溶けたとて、奴らとの距離はまだ近い。
だがその時、屍食鬼が来た方向から赤い光がどんどん近づいてくる。警戒して正解だった。その鬼は金属を擦り合わせたような声で群れに向かって叫ぶ。
「おーい!大変だぞお前らぁ!」
その叫びにより奥へ行かんとする屍食鬼達の足が止まった。
「どうした!?」
「焔血鬼の奴が裏切りやがった!」
「何ぃ!?」
焔血鬼?聞き馴染みのない名前だ。星壊衆のリーダーがヘルベルトと呼ばれているが、彼等は互いを名前で呼んでいる様子は無い。おそらく低級の赤い屍食鬼には固有の名は無く、固有の名を付けられている屍食鬼は上級なのだろう。だが、その上級であろう屍食鬼が星壊衆を裏切った動機までは推測できなかった。
「今、他の奴等も急いで別の班に報告しに行ってる!」
「前々から少し様子がおかしいと思っていたんだ!まさか裏切るとは!」
「見つけ出して腹を切り裂いてやる!」
「いや血を吸うのが先だね!」
「いや!背骨を引っこ抜いて縄跳びだ!」
次々に叫ぶ鬼達。報告に来た屍食鬼が一旦それを止める。
「それは今考えることじゃねぇ!一回黙ってろ!いいか、焔血鬼が逃げたということはスリーストン付近の警戒態勢が更に強くなる可能性があるってヘルベルト様が仰っていた!最近俺達はこの辺りで結構殺ってるからな、後をつけられてもおかしくねぇ!」
この状況は非常にまずい。もし、こちらに戻って来たりしたら─────
「屍食鬼には代行者!つまり魔術使いが必ず同行している!この辺りで違和感のある物は手当たり次第破壊しろ!」
「そういやぁ、アンタのちょっと後ろにあるあの岩、俺あれおかしいって思ってんだけど……」
「何でもいい!手当たり次第ぶっ壊せ!」
後から来た赤い屍食鬼が叫び終わると同時に赤い群れがこちらに迫ってくる。
ここで黙っているのも限界か──────────!