ep1. 落ちる明星
ここには何もない。完全な闇。罪を犯した者の行きついた場所。されど、またこの声が頭に響いた。
「質問、アナタは何故禁忌を犯したのですか?」
民を、守るため──────
そうするしかなかった。護衛の身分では限界があった。救えぬと判断したから。そして、私一人が覚醒しようとも意味がないと判断したから、私の力を民に分け与えた。
「質問、民は救えましたか?」
─────わからない
最後の一撃を見舞う瞬間に虹色の光に包まれ、神星界[天高くに位置する神々が住まう世界]に強制転移されたのだ。どうなったのかは、わからない。
「質問、これをどう思いますか?」
これを?
「はい。民を救うべく立ち上がった神に、一切の情も無く降り注いだ罰を、アナタはどう思いますか?」
────────────
もちろん、それがなければ勝っていた。エスダインは救われたはずだ。あれさえなかったら…
「ならば今一度世界を歩み、己を取り戻してください。さすればアナタは、ワタシの最初で最後の協力者となるでしょう──────」
瞬間、突如として闇に白い光が現れた。目を閉じていても感じられるほどに、それは眩しかった。
人影が一つ。慣れぬ光の中を必死に凝視する。そして、解放の言葉が告げられた。
◆
アウリガ。
それは嘗て、エスダインと言う国の民に信仰されていた神の名前だ。剣術に秀でており、人々を光ある方へ導いていた。だが彼女は、災厄とも言える戦いが巻き起こった際、神星界の禁忌を二つも犯し、人界[人間の世界]に多大なる影響を及ぼした。
一つ。自身が神星界の使者であると人界の民に明かしてはならない。
一つ。神の力を人間に与えてはならない。
神星界の禁忌を破ったものは当然死刑が言い渡される。だが彼女へ言い渡されたものは、死刑ではなく石蔵に500年間の禁錮だった。その結果も相まって、神星界では彼女の名を知らぬ者は一人として居ない存在となった。
そこから彼女の星願声[人々が神を信仰する声、信仰度のこと。多ければ多いほどその神はより強い力を発揮する]は地の底の底まで落ち、釈放される頃には、神星界で最も落ちこぼれた神と化してしまっていた。
◆
「カペラ・アスモティア様。現在貴方の星願声は0です。全くありません」
嘗てアウリガと呼ばれていた神であるカペラ・アスモティアは、500年という刑期を終えて釈放されるや否や、下神協会[星願声の低い神をサポートする組織が集う場所]に勤めているアルヤ・ネークスという女性から突き刺さる真実が浴びせられた。鋭い眼光と眼鏡の反射に少し気圧されながら、カペラは頭の後ろを掻いて答える。
「それはもう先刻承知で……何かどーんとデカい、いっぱい徳を積める依頼とか来ていませんか?」
「カペラ様、お忘れですか…?徳というものはそう簡単に積めるものではないのですよ」
「ですよね………」と、がくっと両肩を落とす。
何故徳を積まなければならないのか。それには理由がある。
一つは、全く名の通っていない神はただ座していたところで信仰されるわけがないからである。故に自らを自らが布教しなければいけない。人界へ赴いて、事件解決や商売、また神罰の代行者を装って邪を祓い信徒を獲得しなければ徳も詰めず、星願声向上にも繋がらない。
そしてもう一つ、これが一番重要なこと。特殊な例を除き、一定期間の間星願声が低い状態が続いた場合、執政神と呼ばれる神星界の東西南北を統べる四人から追放を言い渡されてしまう。つまりこの身は神ではなくなるということだ。
神でなくなるだけであるならまだいいが、追放された場合、今まで生きてきた年数が一気に押し寄せてくる。百ほどしか生きられない人間の身に、神速の如き速さで老化すれば確実に死に至ってしまう。
なのでそれを回避するために、できる限り早く徳を積んで星願声を上げたいとカペラは思っている。その時、
「────失礼」
とアルヤはこちらに一言言って、述書[特殊な本。開くと対象の相手と会話することができる神々の連絡用端末]を開いて目を通し始める。読み終わるや否や「なるほど」と呟いて再びこちらに視線を向ける。
「カペラ様。たった今、南の執政から貴方へのご依頼をお預かりしました」
「南の執政から?と言うか彼は今どこに?てっきり石蔵の扉を開ける者は彼だと思っていたのですが……」
「彼は今、グノーサル帝国の誕皇宴[王の誕生を祝う祭り]に行っており神星界には居ません。それ故に、私がお迎えに上がりました」
「なるほど…そういうことでしたか。それで、執政からは何と?」
「スリーストンの国民が頻繁に祈祷をしているのがわかり、何か異常があったのではないかと執政は考えられました。なので彼の代わりに赴いてほしいとのことです。もし受けてくださるのであれば、この信徒達の奉納はその数に拘わらず、全て貴方の星願声として捧げられます。いかがでしょうか」
スリーストン。確かこの国も南執政を信仰していたな。ということは、この依頼で発生する報酬はとんでもないことになるのではないか?
「是非!これが完了すれば私は──────」
「あまり浮かれないように。そもそもこれを完了できたとて、その星願声は執政のお零れ、貴方への信仰ではございません。ですので、それが終わっても人界で徳を積まなければならないことには変わりません」
「うっ………」
まぁ、薄々わかっていたことだ。絶望しても仕方がない。
そう思うと同時に姿勢を正す。
「では今からスリーストンに向かいます。ありがとうございました」
黒い髪を揺らしてアルヤに礼をし、下神協会を出ようと後ろを向いた時、背後から咳払いが聞こえた。
「何も武器を持たな状態で行くつもりですか?」
あ─────
そう言われて初めて気付く。さっきまで石蔵に居て鈍った感覚、そして今までは腰に剣を携えて当たり前の生活だった。故に、今自分が丸腰なことをすっかり忘れていた。
顔に熱が奔る。
「あはは…これは失敬。では私の剣がある所へ案内してくれますか?」
だが、アルヤは顔を横に振る。
「申し訳ございません。貴方の剣がある場所を知っているのは執政等のみですので、私は案内することができません。ですが西執政から貴方へと品を受け取ってあります」
西執政から?…違う所属区域を統括している執政から貰うのは初めてだ。
アルヤは棚の引き出しから黒い弓を取り出す。
「剣ではありませんが、これを持っていってください」
「ありがとうございます」
黒い弓を受け取る。手にした瞬間、通常の弓とは違った重さが腕に伝わってくる。弓自体は初めてではない。だが、いきなりこう高級感のある弓を持たされては心が落ち着かない。
壊したら、どうなっちゃうのかな────────
「それに大変申し訳ないことを言いますが、今の貴方は星願声がないのでたった一人で人界を歩く、ましてや執政の依頼を受けるのは極めて危険です」
星願声は民の声、即ち神の力の源。それが全くない私が人界に降りたとて、戦闘技術は体が覚えていても力の差で敗れ、神星界に無様な姿で戻されるだけだ。
「では、どうすれば……」
「ご安心ください。どこからそれを聞きつけたのかはわかりませんが、匿名で既に一人、この依頼の手伝いをしたいと申し出ている者がいます。今は少し手が離せないそうなので人界での合流になります。が、これでもまだ安牌とは言えません。せめてあと二人は欲しいですが……」
カペラが口を開く。
「なら、以前私に仕えていた三人の麾下から二人を選べば─────」
「あの御三方は貴方が石蔵に入った瞬間から執政等の命によって独立しています。故、以前より声を掛けることは困難でしょう」
そんな予感はしていた。そう簡単な話は無いなと思っていたが、言われると余計に効く。頬を掻き、溜め息交じりに言葉を出す。
「で、ではそのまま募集を続けてください。決まり次第人界へ送ってくれると助かります」
「ではそうさせていただきます。それと───」
アルヤは立ち上がり、述書をカペラに渡した。
「連絡する際はそれをお使いください。では、くれぐれもお気を付けて」
「はい」
アルヤに頭を下げ、今度こそ下神協会を後にする。そしてそのまま神星界の最南端を目指して歩く。神星界の端には人界へ降りるための場所が東西南北に一つずつ存在している。その内の一つが下神協会の少し先にある。しかし、久しぶりに歩くせいか少々遠く感じてしまう。
神だから、体が衰えたというわけではない。感覚、心が衰えた。
周りを見渡しながら歩く。星南域 [神星界の南エリアのこと]は特に変わっていない。けれど、懐かしくも真新しく感じてしまう。500年の暗闇からの解放。色々と感覚を狂わせる。
前方には雲海。そして白い外套を揺らす風。
深呼吸をする。
「よし─────」
一歩、前に出た。そしてすぐに重力によって下に引っ張られる。迫る雲海。体を貫かんとする風。
500年前もこうして風を受けながら人界へ降りたっけ。
遠い過去に浸る。自分と仕えていた麾下三人でこの空を浴びた。その記憶が雲を通してみる地上のように薄く脳裏に蘇る。
それも刹那の間。すぐに雲海を突き抜ける。と同時に──────
「!─────」
目前に黒い亀裂が現れた──────
過去にそのまま浸っていればそれを認識することはできなかっただろう。
このまま行けばそれとぶつかると瞬時に理解した。落ちているから止まる、だなんてことは絶対にできない。
カペラは精一杯力を込め、何とか触れないように体を傾ける。
寸前。結果的に亀裂にぶつかることなく、落ちる体とあの亀裂は上下にすれ違った。
あれは一体何だ?神の術か?否、そんな術は見たことないし、神が神星界へ帰る際は、幕下[執政の配下]が人界にいる神に転移陣[神星界へワープすることができる小エリア]を送ることになっている。
さらに数秒後に、
『カペラ様、聞こえますか?』
アルヤから貰った述書からアルヤ本人の声が聞こえた。懐の中、さらにこの豪風の中でもしっかりと声が聞こえるとは思わなんだ。
懐から述書を取り出す。書を開けば相手の顔や状況もわかるが、今はそれどころじゃないので開かずそのまま声だけの会話をする。
「どうしたんですか?」
『良い知らせと悪い知らせがあります。良い知らせは、貴方に協力してくれる者が二人名乗り出てくれました』
幸先が良い。申し出てくれた人が誰であれ感謝しかない。安心して人界で活動ができる。
「それで、悪い知らせは?」
『先ほどまで貴方を禁錮していた石蔵が崩壊しました』