07:帰ってもいいですか?
「──はいぃぃぃ!? 花屋が全焼ぉぉぉ!?」
ボロが出る前に「お世話になりました。実家に帰らせていただきます」と頭を下げ、部屋から出て行こうとしたところ、「お前の帰る場所は、昨晩の内に火事で消滅した」と聞かされた。
最初は嘘だと思ったが、相手が相手なだけに信じるしかなかった。
「そ、そんなっ……私の、セカンドライフ……あばばばば……」
花屋の娘はショックのあまり泡を吹いて倒れた。
※長らくのご愛読ありがとうございました。次回作にご期待ください──……。
──ドンッ★
眠りについていた花屋の娘は、暑苦しさを感じて寝返りを打った。
刹那、床に落ちて顔面を強打した。
棺桶(並みに狭い)ベッドで眠るときは気をつけていたのに、不覚だった。全身を打ち付けた衝撃と、この歳でベッドから落ちたという恥ずかしさに、なかなか起き上がることができなかった。
ぷるぷる震えていると、横から「起きないのか」と冷めた声が降ってきた。反射的に頭を起こすと、今度は近くのテーブルに頭をぶつけた。
「あ、だっ! ……ゔぁ、いだいぃぃ!」
目の前に星が飛ぶほど激しく打ち付けてしまい、生理的な涙が出てくる。
視界が滲んで目を擦ると、なんということでしょう──反対側のソファーに、イケメンが座っているではないか。
手元の書類に目を通しながら、傍に控えた側近に指示を出している姿が敏腕社長そのもの。その側近もまたイケメンだ。さらに、後ろに立っている護衛の騎士も。まさに、イケメンパラダイスである。
「……あの私、間に合ってます」
これまで一度も間に合っていたことはないが、とりあえず間に合っていることにする。
頭を打っておかしくなったのかもしれない。イケメンに対する免疫と耐性がなかったせいだ。
「何がだ」
「……顔の良い男性?」
「こちらも寝相の悪い女は間に合っている」
ぴしゃりと撥ねつけられるように返され、花屋の娘はようやく我に返った。そこにいたのは見た目こそ良いものの、近づいてはいけない鬼畜野郎だった。
花屋の娘はズキズキと痛む頭を下げ、もう一度床にへばりついた。ここもふかふかの絨毯が敷かれ、家のベッドより寝心地が良さそうだ。
それより頭の中を整理する必要がある。
起きたらカルロス(仮)がいて、オレンジ髪の男もいて、もう一人は分からないが彼らの仲間だろう。
どうやら意識がない内に、彼らの屋敷に運ばれてしまったらしい。そして一番忘れてはいけないのが、職場兼住居の花屋が全焼したということだ。
「はっ! そうだ、マイハウス!」
最も重要なことを思い出して頭を上げようとした瞬間、大きな手によって押さえつけられた。
おかげで再び頭をぶつけることは免れたが、扱いがペット以下。
「いつまで床に転がっているつもりだ、娘。ソファーに座れ」
「……はい」
人間に対する扱いからは程遠かったが、花屋の娘は大人しくソファーに這い上がった。
と、シートにいくつもの布団や外套が折り重なっていた。
「いや、多すぎでしょ」
通りで、寝苦しかったわけだ。
今の時期であれば外套一枚で十分なのに、随分と多くの布をかけられていたようだ。嫌がらせにしては幼稚すぎる。
花屋の娘が鼻を鳴らすと、オレンジ髪の男は視線をそらし、初めて見る男は咳払いをした。
「それは、貴女の寝相があまりに悪かったからです」
「え、そんなにひどかったですか?」
考えてみれば自分が眠っている間、部屋には三人のイケメンがいたことになる。それは寝顔を見られて「キャ、恥ずかしい!」なんていう次元ではない。なかなかの地獄絵図だ。
「ええ、ソファーの背に足を乗せるわ、いきなり服を脱ぎ始めるわ……子供よりひどい寝相でしたよ」
「な、なっ……! だったらこんなところじゃなくて、ベッドで寝かせてくれたら良かったじゃないですか! セクハラで訴えますよ!」
「セク、ハラ? ……は、何か存じませんが、被害者は我々のほうです」
寝ていただけなのに痴女扱いされ、花屋の娘は居住まいを正した。
──よし、戦争だ。
真顔で彼らを見つめると、言い過ぎたことに気づいたのか、毒舌男が失言を認めて謝ってきた。
「──そこまでにしろ。お前をここに運んだのは、昨日のように逃げられると思ったからだ」
「お家に帰っただけです」
「ああ、そのようだな。……だが、そのせいで事件に巻き込まれた」
一体誰が何のために、得にもならない花屋を燃やす必要があったのか。
はっきり言って、売上などあってないようなものだった。せいぜい生活費の足しになるぐらいで、よく潰れずにいるものだと感心しながら営業していた。
そのため商売敵に恨まれることもなく、気楽なセカンドライフを送れていたわけだが。
「屋敷に戻った後、使用人の裏切りが見つかった」
「原因はお宅でしたか」
どうやら本当に、ただ巻き込まれただけのようだ。
さらに冷めた目で彼らを見やると、なんとも言えない空気が流れた。
「つまり私は、貴方たちが押しかけてきたことで家を失い、死にかけたということですか」
「それは悪かったと思っている」
カルロス(仮)が謝ると、仕えている二人が「閣下!」と声を上げた。彼が自分の非を認めるのは、余程珍しいようだ。何もかも完璧にこなす男なのだろう。
「当主様は使用人の裏切りに気づいて、自ら彼女の元へ駆けつけたではありませんか!」
「まして火の手が回った家に飛び込むなど、正気の沙汰とは思えません。こんな大事なときに、怪我など……」
鬼上司かと思ったら、意外にも部下から愛されているらしい。何せこちらは家を燃やされ、命も奪われそうになったのに、悪者にされかけているのだから。
「カルロス(仮)さん、怪我したんですか?」
「……貴方は他人事のように。それにカッコ、カリとはなんですか? 自分の立場が分かって──」
「アベル、やめるんだ。この娘が被害にあったのはこちらの落ち度だ」
さすが、できる上司は違う。
部下の裏切りも自分の責任であることを認め、立場に関係なく謝るところは謝る。ただ、偉そうなことに変わりはないが。
だが、花屋の娘は目の前の男が謝罪したことより、気にかかっていることを訊ねた。
「それで貴方が、火傷を?」
「ああ、お前は一日で完治したようだが」
「──なぜですか?」
危険を冒してまで助ける必要はなかった。名無しのエキストラなど、代わりはいくらでもいる。
しかし、問題はそこではない。
「それは貴女を助けるために……!」
「でも、普通の火は利かないですよね? ……あれ、違ったかな? ああ、でも魔女の火は──」
相手に訊ねつつ、半分は独り言だった。
自分の記憶が正しければ、カルロスは荒れ狂う火の中へ飛び込んでも、火傷ひとつ負わず突き進むことができる。それは彼が持つ能力に関係していた。
しかし記憶を辿る過程で、それらを軽々しく口に出していいものではないことを思い出し、咄嗟に口を噤んだ。もちろん、手遅れだが。
「……人違いだと言っていたが、お前で間違いないようだ。私に普通の火が利かないのは、近しい者しか知らないはずだ」
「あ、あれぇ? ソウデシタカ」
「地下牢で裏切り者と仲良く拷問されたくなかったら、正直に話したほうが身のためだぞ──預言者」
「あー……ははー……」
もう、帰ってもいいですか?