04:ポンコツ魔女
『黄金眼の王子と報復の魔女』は、ファンタジー要素がぎゅっと詰まった世界だ。人族以外にも、エルフやドワーフ、魔族や獣人も大陸のどこかで暮らしている。
魔女に関して言えば原作のタイトルにある通りで、道を歩いていれば野良犬にローブを噛まれて泣きべそをかいている魔女に遭遇することもある。
「……魔女、ここで何をしているんだ」
「閣下ぁ、いいところにー! たっ、だずげでぐだざぁいっ!」
頭からつま先まで黒いローブに覆われた魔女は、犬が苦手なようだ。その犬は尻尾を振りまくっているというのに。
ため息交じりにカルロス(仮)が近づくと、野良犬は瞬時に危険を察して逃げ出した。
見事な撃退である。感動して拍手を送ると、ギロリと睨まれた。冗談の通じない男だ。動物に好かれないタイプなのがよく分かる。
「あの犬、今度会ったときは蒲焼にしてやるっ!」
想像してしまったではないか。
さすが魔女だけあって、言うことは魔女っぽい。だが、いきなり情けない姿を見せられたせいで、恐れなければいけない相手なのに、畏怖の念を抱くことはできなかった。
魔女のローブは犬のヨダレがべったりついて、可哀想なことになっている。そこへ、カルロス(仮)が追い打ちをかける形で口を開いた。
「言っていた花屋の娘を連れてきた。こいつで間違いないか確認しろ」
「……はい」
容赦のない男である。
魔女も彼には逆らえないのか、しぶしぶ魔女の館に案内してくれた。
館と言っても暗幕が張られた二畳間ぐらいのテントだ。まさかここで暮らしてわけではないだろう。入口には「リンフルト王国一の占い師! ゾフィーちゃんの館へようこそ!」と書かれている。……魔女よ。
「ゾフィーちゃん……」
「はい、呼びました? あ、閣下は外でお待ちください。彼女と二人で話したいことがあります」
「五分だ。それ以上は待たない」
やーねぇ、待てない男って。
軽くケッと吐き出すと、ばっちり目が合ってしまった。花屋の娘は胴体と首が切り離される前に、テントの中へ駆け込んだ。
幸い追いかけてこなかったカルロス(仮)に安堵するも、魔女と二人きりというのも不安になる。テントの中は薄暗く、動きを封じられた気がして落ち着かなかった。
「こちらに座ってください」
ぼんやりと浮かんできた椅子を見つけて、大人しく腰を下ろす。
すると、魔女はテーブルの上にある水晶玉に手を翳すと、短い呪文を唱えた。異国の言葉なのか、聞き取ることはできなかった。
刹那、視界がパーッと開けて、テントの中が別の部屋に切り替わった。書物でびっしり詰まった本棚に囲まれ、薬品の棚や大きな鍋にあり、実に魔女らしい部屋だ。
「外に話が漏れないように、亜空間に移動しました。さて、花屋の娘さん──」
魔女が向かいの椅子に腰を据える。
と、花柄のポットとティーカップ、クッキーが盛られた皿が飛んできてテーブルに載った。クッキーの皿には「一人2枚まで!」という文字が浮かび上がっている。魔女のくせにケチだ。
花屋の娘が紅茶を飲んで気持ちを落ち着かせたところで、魔女が前のめりで話しかけてきた。
「貴女ねぇ! 何てことをしてくれたんですかぁ!」
「……まだ何もしてません」
「しましたよ! 自覚ないかもしれませんが、してしまったんです!」
「ワタシ、ムジツ」
「いいえ! 貴女が買ったリンゴを転がさなかったせいで、外にいる閣下と占いに出てきた少女が出会わずに終わってしまったんですよ! おかげで、助言した私が疑われる羽目になったんですからねー!」
たかがリンゴのくせに、名無しのエキストラより重要な役を任されているではないか。けしからん。
だが今は、目の前でわんわん泣き出す魔女をなだめるほうが先だ。
「水晶にちょっと手をやって、浮かび上がってきた場所と女の子の情報を伝えるだけの簡単な仕事だと思ったのに! どうしてくれるんですか!」
「魔女も働かないといけないんですか?」
「魔女だってお金を稼がなきゃ生きていけないんです! 今のご時世、占いだけじゃ食べていけないんですよぉ!」
魔女は魔女で、苦労しているようだ。やはり、名無しのエキストラが一番なのかもしれない。
それにしても、自分がリンゴを転がす大役を任されていたとは知らなかった。原作にそこまで書かれていたかどうか思い出せない。
「ちなみに二人はどんな形で出会うはずだったんですか?」
「……ぐすん、……貴女が転がしたリンゴを花売りの少女が拾おうとして屋台の店主にぶつかり、屋台の前を歩いていた老夫婦が驚き、近くで休んでいた野良犬の尻尾を踏んづけてしまい、驚いた野良犬が走り出して例の少女とぶつかりそうになったところを、閣下が助けに入るはずでした」
「それ、転がす役いります?」
野良犬より出番が少ないではないか。それもリンゴを転がすだけの役。
しかし、肝心のリンゴを落とす前に受け止めてしまったせいで、物語が変わってしまった。
それは名無しのエキストラとして、第二の人生を歩み始めた花屋の娘には由々しき問題だ。自分より遥かに出番の多い登場人物が訪れてくるのだから。
「それなら、今からでもカルロス(仮)さんと、その少女を会わせればいいんですよ! ──そうしましょう! 私ではなく、ヒロインを連れてくれば万事解決するじゃないですか!」
「カッコカリ? ヒロイン? とにかく、少女なら亡くなりましたよ、その日馬車に轢かれて」
「え、死……」
なんてこった。
リンゴを転がさなかったばかりに、人が死ぬとは思わなかった。それもヒロインが。
ほんの些細な出来事が変わるだけで、迎えるはずだった未来ががらりと変わってしまうことを目のあたりにする。
花屋の娘は、予想外の事態に頭を抱えた。
目の前の魔女がさらに助言を与え、カルロス(仮)たちを自分の元へ派遣した理由がこれで分かった。
今、ヒロインがいなくてもこの物語を有利に進められるのは、原作を知っている自分を置いて他にいないからだ。
「……あの、魔女の力でヒロインを生き返らせるなんてことは?」
「犬も追い払えないのに?」
ちょっと聞いてみただけである。