02:「……ご、ごんべぇです」
エキストラは時計がなくても、夜は決まった時間に眠くなり、朝は決まった時間に目が覚めるようになっていた。ちなみに、前日の夜に深酒をしても翌日にはアルコールが抜けきっており、しっかりリセットされている。ありがたい。
花屋の娘は身支度を整えて一階のダイニングで朝食をとり、やはり昨日と同じぐらいの時間に店を開ける。
週休二日制といった労働基準はなく、やることがなければ店は毎日開けていた。なぜならば、お客が来なければ昼寝ができるほど暇だからだ。
花は手入れをする必要がないぐらい輝いており、水の入れ替えも不要だ。店内の掃除も気分転換にやるぐらいで、箒で掃いたところで埃一つ落ちていない。
大きなあくびを漏らしても、誰かに見られていることもなかった。
──のだが、今日は違った。
「……今、宜しいですか?」
「ふが……? あ、えっと、いらっしゃいませ!」
大きな口を開けているところを見られてしまった。それもかなり好みのイケメンに。笑って誤魔化すも、恥ずかしくなって顔が熱くなる。ただ、初めて見る客だった。
外套の上からでも分かる鍛えられた肉体に、180センチは超える身長と、精悍な顔立ち。とても敵う相手ではないけれど、柔らかなオレンジ色の髪に、薄茶色の瞳からは人の良さがにじみ出ていた。
真面目で少し融通が利かない、正義感の強いタイプだろうか。物語だったらサブキャラとして活躍していたはずだ。実に惜しい。
片や、転生した名無しのエキストラは、パッとしない紺色の髪に茶色の瞳をした、平凡な花屋の娘だ。超絶美人なわけでもなく、かと言って不細工なわけでもなく、他と比べられるのに使われる中間の女だ。
転生する前と同じだけに、悔しくはない。……悔しくは、ない。
「それで、どのような花を希望ですか? 自分用ですか? 贈り物ですか?」
「失礼。花ではなく、人を捜しているんです」
うちは交番じゃありません。と、喉まで出かかった言葉を呑み込んだ。タダでうら若き乙女の口の中まで見せてあげたのに、不公平にも程がある。
客でないと分かった途端、明らかに落ち込んだ様子を見せると、彼は慌てて口を開いた。
「あの、2日前に市場の果物屋からリンゴを買われませんでしたか?」
「リンゴ、ですか……? それなら買いましたけど」
もう全部食べてしまって残っていない。もしかして、食べたらヤバイやつだったのか。
こんな場所まで捜しにくるようなリンゴだ。あのリンゴに問題があったらどうしようと、冷や汗が出てくる。
「ま、まさか……毒リンゴ……」
「いいえ、違います! リンゴに問題はありません。……我々が捜しているのは、その日リンゴを買って行った花屋の女性です」
「──……」
やけに具体的な内容に、今度は別の汗が出てくる。我々という言葉が妙に引っかかった。つまり目の前の彼は、一人で動いているわけではないということだ。
物語の中ということも忘れて満喫していたせいか、油断した。まさか、こんなイレギュラーがやってこようとは。
「……間違いました。買ったのはリンゴではなく、マンゴーでした」
「聞いたこともない果物ですね」
「そうなんですか!? や、野菜です!」
「果物屋で野菜を買われたのですか?」
置いてあるわけないだろ、と自分でも突っ込みたくなったが、一先ずこの場から逃れる方法を必死で考える。
至り尽くせりの生活を守るためには「ワタシ、ナニモ、シリマセン」「ナニモ、ワッカリマセン」で乗り越えるのが一番だ。
「それじゃ、オレンジってことに……」
「イサーク、娘はいたか?」
逃げずにもたもたしていると、イケメンの後ろから、さらに美丈夫な男が現れた。
こちらも負けず劣らず長身に、強靭な肉体。うっかり見惚れてしまいそうな顔立ちに、輝いて見える銀糸の髪に、吸い込まれそうな紫色の瞳。明らかに主役級の男だ。
そんな二人が並ぶと目の保養。ここが花屋だったおかげで、背景もばっちりだ。
「お前が花屋の娘か」
「……いいえ、留守を任された娘です」
「近所の奴に訊ねてきたが、ここには花屋の娘が一人で暮らしていると言っていたぞ」
──詰んだ。
なんて用意周到な奴らなのだろう。
舌打ちすると、どこからともなく冷気が流れてくる。どうやら怒らせてしまったようだ。
「お前の名は?」
「ななし……ご、ごんべぇです」
名無しのエキストラだと名乗るわけにもいかず、思いついた名前を言った。
(世の中の権兵衛さん、すみません。今だけお名前お借りします)
「平民が貴族に嘘をついたら、どうなるか分かっているか?」
どうなるっていうんだよ。
これだからお貴族様は。ちょっと見た目が良いからって、気取って見下しやがって。と、心の中の声が危うく零れそうになって口を押える。
同時に、オレンジ頭の男は反抗的な態度を崩さないこちらに、顔が蒼褪めていた。彼にとって銀髪の男は上司か、主人なのだろう。こんな恐ろしい男に仕えることになって可哀想に、と同情する。
「お前は思っていることが顔に出るようだな」
「よく言われます」
なるべく顔を合わせないようにして、訊かれたことには素早く答える。
早く帰ってくれないかな、と思っていると、目の前に男の手が差し出された。
「手間は取らせない、一緒に来てほしい場所がある」
「拒否権はありますか?」
「……ないが、望みがあれば一つだけ叶えてやろう」
「それでは明日以降、二度と私の前に現れないでください。金輪際、関わらないと約束してくれたら行きます」
「できればそうしてやりたいところだが、お前次第だな」
これほど平和で、安定した暮らしを自ら投げ出そうとは思わない。しかし、約束は守るという言葉を信じて、彼らについていくことにした。ここに居座られても困るからだ。
仕方なく店の戸締りをして出ていくと、紋章のないオンボロ馬車が待っていた。例の二人は素性を隠したいのか、外套のフードを被っている。顔だけは良かっただけに、テンションが下がる。
「それで、リンゴはうまかったか?」
「はい、リンゴパイにして食べ……あ、卑怯っ!」
気が緩んだところで、まんまと誘導尋問に引っかかる。最低だ。さらに、くつくつと笑う銀髪の男の手を借りて馬車に乗せられたのも屈辱的だ。
やはり金輪際関わるべきではない。だから、彼らの名前を尋ねるような真似はしない。なぜなら、花屋の娘はしがないエキストラだから。
先ほど聞こえてきた名前だって、綺麗さっぱり忘れてやると心に誓う。
「それで、私はどこへ連れていかれるのでしょうか?」
「行けば分かる」
……畜生め。