5.きみと淡くはじける泡を
「わぁ、ゴージャスだね!」
色とりどりの花が咲き乱れるアンガス公爵邸の温室で、はしゃいだ声をあげたのはネリア・ネリスだ。
キョロキョロと物珍しそうに室内を見回している。
上質な魔羊の糸で織った布を黒く染めたドレスは、冬でも軽くて暖かい。動くたびにふわりと生地が揺れ、黒一色でありながら重たさは感じさせなかった。首元まで覆うレースは、メニアラで紡がれた生糸をタクラの工房で染め、サルカスで織られたものだ。
エスコートするレオポルド・アルバーンも、光沢のあるグレイの生地にアクセントとして凝った金の刺繡をほどこした黒い襟のジャケットを着ている。
長いまつ毛に縁どられた黄昏時の空を思わせる瞳は、光のかげんや角度によっても色を変える。
「ドレスのテーマはずばり〝夜の精霊との邂逅〟ですわ。黒いドレスは夜空を、レースはそれにかかる雲を、縫いつけた真珠は星々をあらわしていますの」
ニーナの説明にも貴婦人たちは、ぼんやりとうなずくしかない。エスコートする女性を見下ろして、ほほえみを浮かべるレオポルドを、彼女たちは信じられない思いで見つめていた。
黒いドレスを着たネリアは、赤茶の髪はいつものようにまとめていて、甘い香りを放つ白いネリモラの花飾りをつけていた。そして耳元には花の形をした紫陽石のピアスが揺れる。
咲き誇る美しい花々も、それに負けないぐらいきらびやかなドレスを着た貴婦人たちも、いっさい彼の目には入らないようで、ただ彼女の言葉に耳を傾け、静かにうなずいている。
海遊座で竜騎士団の群舞を見学していたときは、むしろ険悪なふんいきではなかったか。会の主催者であるアンガス公爵夫人が進み出た。
「ようこそ。ネリス錬金術師団長、アルバーン魔術師団長。タクラでのおもてなしが不十分ではなかったかと、心配しておりましたの」
赤茶の髪をした錬金術師団長はにっこりと笑って首を横に振る。
「とんでもない。いろいろ準備もありまして、ごあいさつがきちんとできず失礼しました」
ネリア・ネリスはよく見ればレイメリアには似ていない。もっと素朴で人懐っこい印象だ。それは上品な黒いドレスを着ていても変わらず、むしろ強い生命力のようなものを感じさせた。
アンガス公爵夫人の後ろに控えていたサリナ・アルバーンが前へと進みでる。軽く腰を落として優雅に一礼すると、うねるような金髪がきらめきを放った。
「サリナ・アルバーンと申します。レオポルドお兄様には子どもの時から可愛がっていただきました。ネリア様をお姉様とお呼びしてもよろしくて?」
「お姉様⁉」
目をぱちくりとさせて、ネリアはサリナを見つめた。
(わぉ、ゴージャス美人!)
こうして真正面から見れば、ますますその美しさが際立つ。
「や、そんなガラじゃないというか、どう見たってサリナさんのほうが大人っぽいし」
サリナの背も髪の長さも、何なら胸周りもネリアを超えている。ネリアはチラッと自分の胸を見下ろして、それから小さくため息をつくとレオポルドを見上げる。
「なんだ」
「いや、なんというか……もったいなくない?」
「なにが」
「べつに……」
むくれたような返事に、レオポルドはため息をついて首をかしげる。
「きみの考えていることはわかりやすいが……私を捨てる気か?」
「まぁ!」
レオポルドのひと言に公爵夫人が小さく叫び、サリナも目を丸くした。
「お兄様を⁉」
「捨てません!捨てません……だいじにします」
顔を赤くしてあわてて答えるネリアに、その場にいた一同はほぅ……と息をもらす。
(眼福ですわ。ご覧になって……レオポルド様のあの表情!)
(本当に。なんて穏やかで満足そうにほほえまれるのでしょう)
つねに淡々として何事にも動じず、淑女たちを冷淡にあしらうさましか見たことがない。それがネリア・ネリスからは視線を外さず、その言葉に耳を傾け、ときにはすがるようなセリフを口にする。
(ずいぶんと印象が変わりますのね)
(そうね。幼少時より物静かで大人びた方という印象でしたけど、年相応の青年に見えますわ)
サリナもいざ目の前で、ふたりのやり取りを見せられると納得した。
(お兄様を変えられたのは、このネリア・ネリスという女性なのだわ……)
楽しそうな魔術師団長なんてだれも見たことがない。それなのにむくれたネリアににらみつけられても、目を細めて肩を震わせるだけだ。彼女の耳元でキラリと紫陽石のピアスが輝いた。
(あら?レオ兄様のブローチにも何か……)
彼も首元に透明度の高いペリドットのブローチをつけていて、それはネリア・ネリスの瞳とそっくり同じ色をしている。
その中に光のかげんでふしぎな模様が浮かび上がる。
(何かしら……)
「お兄様がつけておられるそのブローチ、ひょっとして……」
サリナが目を留めると、公爵夫人も気がついて興味深そうに質問した。
「あらホント。うっすらと模様が浮かび上がりますわ。どのような意味がありますの?」
「これは……」
「えへっ、ないしょです」
目を見合わせるふたりのようすから、それが婚約の贈り物なのだとサリナも気がついた。ネリアが手を伸ばして、自然にふたりは手をつなぐ。
「子どもたちのために四本足のお茶会もあるようだ。宝探しなどの催しもある。あとで見て回ろう」
「うん、そうだね!」
もうすっかりふたりの世界で、公爵夫人をはじめ貴婦人たちは、あっけにとられて歩きはじめたふたりを見送った。
「サリナ様……おふたりとお話があるのでは?」
公爵夫人が思い出したように言えば、サリナもうなずいてぼんやりとつぶやく。
「そうだったのですけれど……おふたりのあいだに入れませんわ」
「サリナ様がそれじゃあ……わたくしどもも……ねぇ?」
アンガス公爵夫人はあきらめたようにため息をつくと、スタッフに合図を送った。
「通路の先にあずまやがあるでしょう。そちらにユーリカの花蜜酒を運ばせてちょうだい。おふたりが休憩するのにちょうどいいわ」
「かしこまりました」
すぐによく冷えた蜜色の酒が運ばれる。グラスに注げば淡く細かい泡がはじけ、それを見たネリアがまた歓声をあげた。
「わあ、きれいな色。それに甘い香り!」
「ユーリカの花蜜がぐうぜん醗酵してできたものだ。めったに採れない貴重品だが、ポーションの材料にはならない」
スタッフから渡されたグラスを、レオポルドは身を寄せて彼女のグラスとふれ合わせる。
「うふっ。でもこんなにおいしいんなら、ポーションにしなくてもひと口で元気になっちゃうね!」
にこにこと返事をしてから、ネリアは遠巻きに見守る貴婦人たちに笑顔で手を振る。
それに応えてアンガス公爵夫人は軽く手を挙げ、ため息をついて自分たちにもグラスを配らせる。
「会としては大成功ですわね。この光景が見られたんですもの。みなさま大満足でございましょう?」
それに異を唱えるものはだれもいなかった。その日公爵邸の温室でふるまわれたユーリカの花蜜酒の味は、しばらく社交界での話題になったという。