2.サリナの引っぱり
ネリアは奈々の姿でタクラの街を、けっこう歩き回っていたのだが、アンガス公爵夫人はそんなこと知らない。彼女は手にした扇をにぎりしめ、悲壮感を漂わせて唇を震わせる。
「わたくしね、ひいきの店をご紹介したのですけれど……来店されたネリス師団長はずっと不機嫌でいらしたと、あとから聞いて青ざめましたの。なんとか挽回したいですわ!」
「そんな……公爵夫人のせいではございませんわ」
芸術好きの公爵夫人だけあって情感たっぷりな嘆きように、取り巻きの貴婦人たちがあわてて彼女をなぐさめだした。
(それってたぶん……あのときのネリアよね)
(きっとそうね)
ネリアは一時期だけ記憶が混濁していて、言動がかなりおかしかった。いつも恥ずかしがってアワアワするのに、レオポルドにしなだれかかって甘えていた。
そのときはテルジオ補佐官が、彼女のめんどうを押しつけられていて、ちょっと彼が気の毒になったことをふたりは覚えている。
返答次第では出禁どころでは済まされない。ミーナは必死で失礼にならない言いわけを考えた。
「ですが婚約者のレオポルド様がお許しにならないのでは、私どもにもどうしようも……」
困ったときの魔術師団長!
彼ならばひとにらみで凍りつかせて終わりだ。ニーナたちにはどうしようもない。
「わたくし……ネリア様にタクラのよさを知っていただきたいの……」
「こんなに心を痛めておられるなんて、なんてお気の毒な公爵夫人!」
今にも嘆きのあまり崩れ落ちてしまいそうで、もう公爵夫人の演技力は抜群である。まわりの貴婦人たちも同調しているから、ニーナたちへの圧はぐぐっと増した。
(ここでほだされちゃダメよ、ニーナ!)
(わかってるわよっ!)
双子の姉妹が声にならない会話を、アイコンタクトでしていると、またもやおっとりとした声がした。
「わたくしからレオ兄様にエンツを送ってみましょうか?」
うねるような豊かな金髪は光り輝き、こぼれ落ちそうなほどパッチリとした大きな緑の瞳で、サリナ・アルバーンが心配そうにまばたきをして公爵夫人を見つめている。
(あああ、公爵夫人の演技力にだまされてるううぅ!)
(待って、そこで止まって!)
ニーナたちはにこにこと笑顔を凍りつかせたまま、黙っているしかない。すると声をあげたサリナはすぐに、自信がなさそうに目を伏せた。
「あ、でもレオ兄様はお忙しいから、お仕事のお邪魔はしないようにしているのですけれど……」
(そうそう、それでいいのよ!)
(サリナ様、ナイス!)
ちょっと今なら収納鞄を売ってあげてもいいかもしれない。ニーナたちのサリナへの好感度が急上昇したところで、公爵夫人の声がワントーン上がった。
「まあぁ、サリナ様!なんていじらしい!」
「サリナ様は心根の優しいかたなのね」
「レオポルド様とも、いつも仲睦まじくていらっしゃって……」
口々に貴婦人たちにほめそやされて、サリナのほほも少しだけ紅潮した。
竜騎士団長のライアス・ゴールディホーンは、ふだんからマメに公爵夫妻へも連絡を取ってくるが、魔術師団長のレオポルドは貴族への対応は、団長補佐のマリス女史に任せっきりでエンツも受けない。
招待状を送ってもスルーされるし、もちろんそれだけ彼は忙しいのだが、サリナのように親しい間柄でないと、コンタクトをとるのは難しい。
公爵夫人がちらりとスタッフを見ただけで、察した彼はすっと身をかがめて彼女に耳打ちする。
「レオポルド様は本日、港湾事務所に向かわれています。エンツを受ける余裕ぐらいはあられるかと……」
「まぁっ!じゃあサリナ様、エンツを送ってみていただけます?」
今すぐ!
レオポルド様に!
この場でエンツを!
にっこりとうれしそうにほほえむ、公爵夫人の圧が凄い。アンガス公爵邸の温室は、もう彼女の独壇場である。
(公爵夫人、すごいわ……)
(さすがやり手なだけあるわね……)
ニーナとミーナは目を見合わせて、パチパチとまばたきをする。それだけでお互い、なにを考えているかわかるのだから、双子なだけでなく長年いっしょに働いてきた経験が物を言っている。
(サリナ様はアンガス公爵夫人を、お手本にしないほうがいいわよねぇ……)
(でもアルバーン公爵夫人を見習っても困るじゃない?)
ふたりだけでなく、この場にいる一同が息を潜めて見守っていると、サリナはにこやかに公爵夫人の圧に応じている。
「よかったですわ。公爵夫人の顔色もさっきより、ずっとよくなられましたわね」
「ええ。希望がでてきたのですもの!」
瞳を輝かせてサリナ・アルバーンにつめよる、公爵夫人の圧が凄い。その目力は彼女がこう言っているようだ。
今すぐ!
レオポルド様に!
この場でエンツを!
……にこにこにこ。ふっくらとした唇にほほえみを浮かべ、サリナはそれを優雅にうなずきながら見守っている。
(えっ、なんかぜんぜん動じてないわよ?)
(ある意味サリナ様もすごいわね。さすが公爵令嬢……)
いつもミラのワガママに振り回されているサリナにしてみれば、アンガス公爵夫人の無茶ぶりなどたいしたことはない。ひさしぶりにレオポルドへエンツを送るなら、なにを話そうかといろいろ考えていた。
(ネリス師団長のこともだけど、オドゥ・イグネルの話も聞きたいし……でもエンツでは聞けないから、お茶会に呼べたとしても人払いをして話す時間もほしいわ)
そんなことを考えていると、期待の眼差しを向けてくる公爵夫人と、またもや目が合う。
……にっこり。絶世の美女と呼ばれたレイメリア・アルバーンに負けず劣らず、サリナも女神のごとく美しい。そのほほえみだけで公爵夫人をはじめ、貴婦人たちは魂を持っていかれて、骨抜きになりそうである。
長い冬に閉ざされる北部を治めるアルバーン一族は、冬は領地に引きこもるのが通例で、なかなか王都にも長期間滞在することがない。しかも〝魔力のアルバーン〟……なんだかんだ言って美形ぞろいなのだ。
(やばっ!創作意欲が湧いてきた!)
今すぐデザイン帳を開きたくなって、ニーナの指がムズムズする。
(ちょっと!落ち着きなさいよニーナ!)
今はそれどころじゃない。それどころじゃないけれど、なぜかこの場でいちばん落ち着き払っているのは、公爵令嬢のサリナ・アルバーンのようだ。
「そうですわねぇ……まずは作戦を考えませんと」
おっとりと言い、サリナは紅茶のカップをゆったりと優雅に持ち上げた。