1.公爵夫人の無茶ぶり
アンガス公爵夫人は上機嫌だった。ニーナとミーナを呼んだのは大成功で、タクラ港を見下ろすガラス張りの温室では、冬だというのに貴婦人たちが早くも春・夏のファッションで盛り上がっている。
いち早く流行を取り入れたいのはだれでも同じで、とくに同じ派閥の女性たちは小物などをおそろいにしたがる。
ドレスはかぶらないほうがいいけど、小物ならば逆に結束の強さを示せるからちょうどいい。
(しかも麦わらを使うなんて……いいアイディアだこと!)
麦わら帽子にかごバッグ、通気性がよくて軽い素材は、春夏の装いに合いそうだ。
しかもニーナの夫であるクロウズ子爵は、タクラ郊外の穀倉地帯が自領だ。麦わらなんて掃いて捨てるほどあるだろう。
それにそれほど高価ではないから、大人から子どもまで取り入れやすい。
もちろん貴婦人たちは、家格に合った品を身につけなければならないが、毎日正装するわけでもない。
価格を低く抑えられるなら、爆発的に売れる可能性がある。
エクグラシアは平和な国だ。女性たちもそれぞれ仕事を持ち、貴族でなくともちょっとしたおしゃれを楽しんでいる。
カラフルに染めた布が使われるなら、タクラの染色産業も潤う。それに小物といった使いかたなら、あわてて増産する必要もない。
公爵夫人は扇を広げて首をかしげた。
(マール川の水質管理に、専門家の意見を聞かないといけないわね……)
きれいな色をだすには川の水も重要で、扇の開きかたを見た公爵邸のスタッフが急いでメモをとる。
今日はふだん公爵夫人の侍女として働いている者たちも、ドレスを着て参加している。そこかしこで彼女たちはお茶会を楽しみながら、公爵家に必要な情報収集をおこなっていた。
ニーナは休暇中にでかけた、マウナカイアの話をしている。
「人魚の王国カナイニラウとの交流が復活したので、マウナカイアに人魚のドレスを見に行っていたんです。海王妃が描きためたという、デザイン帳が手に入ったので」
「まぁ!」
海王妃は海王に昔嫁いだ、人間の娘だという。嫁いでから何十年とたった今も、当時と変わらぬ姿で、海王に寄り添っているという。
鮮やかな色があふれるデザイン帳を見せられて、貴婦人たちはうっとりと見惚れている。
「私の髪色に合うのはどんな色かしら?」
「お好きな色を取り入れたらいかがですか?」
色白でアッシュブロンドの髪を持つ令嬢が、それを聞いて表情をくもらせる。
「それが……ターコイズが好きなのだけど、私に似合わないの。貧血気味だから顔がくすんで見えてしまって」
「あら私もですわ」
線の細い令嬢がそれに同意して、ふたりしてため息をついている。するとニーナの目がキラリと光った。
「差し色として使う方法もございますよ。肌なじみのいいオレンジを基調にして、ワンポイントで使うと服も引き立ちます」
ニーナのアドバイスで、ミーナが布見本をささっと取りだし、令嬢の顔回りにあてる。
ターコイズ色のリボンを絡ませ、スカーフのようにふわりと巻くと、鏡を見て令嬢が顔を輝かせた。
「まぁ、本当だわ。じゃあ私、あきらめなくてもいいのね」
「色のバランスは私どもにおまかせください」
ニーナがにっこりと笑うと、令嬢も晴れやかにほほえんだ。
「すてきね!春になるのが待ち遠しいわ!」
「ドレスを仕立てるのは時間がかかります。最初はハンカチや靴下など小物で取り入れる手もありますわ」
ミーナがすかさず勧める話に、公爵夫人も乗った。
「そうねぇ、マウナカイアの図案を用いて染めた布を、扇に張ったらどうかしら」
その提案に貴婦人たちの目がいっせいに輝く。このことは今日この場に集まった者たちしか知らない。
今から急いで注文すれば、春になって流行が変わるころには、気の利いた小物として鮮やかな扇で装いを彩ることができる。そしてこの場にいなかった物は、慌てて扇を注文することになるだろう。
扇なら貴婦人たち同士で贈りものとしても使える。みなが注文する数を頭の中で考えはじめたところで、ニーナたちもうやうやしく首を垂れた。
「おそれいります、公爵夫人。すばらしい思いつきですわ!」
「あら、だってせっかくですし、ドレスに合わせたいものね」
クスクスと楽しそうな公爵夫人を、サリナ・アルバーン公爵令嬢は感心して見つめていた。
(お母様とはだいぶ違うわ……)
サリナの母ミラには見栄っぱりなところがあって、とにかく値段が高いものをほしがる傾向がある。
ミラが求めているのは賞賛であって、アルバーン領の産業にまで配慮した提案をすることなどない。
(でも……アルバーン公爵家を継ぐわたくしが、お手本にするとしたらアンガス公爵夫人のほうじゃないかしら)
公爵夫人はパチリと扇をとじると、控えていたスタッフたちに緊張が走り、それに気づいたサリナは不思議に思った。
(どうしたのかしら……)
公爵夫人はにこやかに、デザイン帳を広げていたニーナへ話しかける。
「よく麦わらを使うことなど思いついたわね。ニーナかそれともミーナ、もしかしたらクロウズ子爵が考えたの?」
「それは……」
黄緑の髪を持つ双子の姉妹は、顔を見合わせてうなずき合い、ミーナがにっこりして公爵夫人の問いに答えた。
「これも錬金術師団長ネリア・ネリスのアイディアですわ。マウナカイアでデザイン帳を海王妃から預かってきたのは彼女なんです」
ニーナは大げさにため息をついた。
「すぐにも見たかったのに、仕事が忙しくてミーナに見せてもらえませんでした」
「なんですって?」
思いがけない名前がでてきたことに、公爵夫人は目を丸くして驚いた。
「まあぁ」
「ネリス師団長がデザイン帳をニーナに渡して、小物の提案までなさったというの?」
同席していた貴婦人がサワサワとささやき合うなか、公爵夫人は手にしていた閉じた扇をトンと一回手のひらに打ちつけ、それから顔の前で扇を開き、視線だけをニーナに向けた。
「いつもローブ姿しかお見かけしてないのに……」
「ええ、ホントに。あれはどうにかしたいと、王都新聞を見るといつも思いますわ」
ニーナだってあのローブは気に入らない。もちろん術式の刺繍はみごとだし、使われている素材も最高級の糸を使っている。
(それなのに体型をすっぽり隠すあのデザイン!)
機能的なことは重々承知しているが、小柄なこともあって、彼女がより幼く見える。公爵夫人は残念そうにため息をついた。
「本当は今日も彼女をお招きしたかったのだけど……レオポルド様のガードが堅くて。公務以外はなかなか連れだそうとなさらないの」
ニーナもミーナも公爵夫人に合わせて眉を下げ、残念そうな顔をしつつも黙っていた。ここでヘタにあいづちを打てば、公爵夫人の無茶ぶりが待っている。
(なんとしても……なんとしても無事に終わらせて帰るのよ!)
(わかってるわよ、ミーナ。ここまではいい感じだったじゃない!)
ふたりが一瞬目を合わせただけで、心の中で会話をしていると、思わぬ方向からひと言が放たれた。
「わたくしも……ネリス師団長とお話ししてみたいですわ」
(ちょっとおおぉ⁉️)
見ればサリナ・アルバーン公爵令嬢が、おっとりと首をかしげながらつぶやき、公爵夫人の目がキラリと光る。
「まぁあ。ねぇミーナ、なんとかならないかしら?」
「はいっ⁉️」
公爵夫人はパタパタとせわしなく扇を動かし、飛び上がったミーナに迫る。
「ミラがいない今がチャンスなのよ。サリナ様とネリス師団長がゆっくりお話しできるように、なんとかして差し上げたいわ!」
(ええええ⁉️)
「私たちで場を整えませんこと?」
にっこり。公爵夫人はパチリと扇を閉じて満足そうにほほえんだ。