【第九話】幽眠
一行が目指すのは、北の国、正式にはサグ・ヴェーヌ共和国。東西南北、アーガマ地方を四分割統治している国において、唯一の民主主義国家だ。国王はいない。政治によって国の運営を決める。元首はラインアルフ卿、巨人族だ。さまざまな種族が入り混じる北の国では、その分種族間対立も激しい。なかでも巨人族、一つ目族、エルフ族、獣人族が中心だ。少数派として、亜人族、虫族がいるが国家における種族の割合が少なくとも、迫害されるということはない。対立はあるものの、いわゆる人権という点では、平和そのものなのだ。
北の国からやや西に外れた山岳部、年中北西からのからっ風に吹き付けられるデレク山。そこにルイ・ドゥマゲッティが住んでいた。土地は枯れているものの、ルイが使役するアンデッド隊によって、丘陵地は耕され小麦・大麦・米・あわ・ひえといった穀物類が自給自足されていた。アンデッドたちはその身を特殊なローブで覆い、一時の肉体を復活させデレク山のふもとで商いを行っていた。
「ねぇ、この山登るの?」
セイレンが肩で息をしながら、バルスに訊いた。登りたくないという意思を体全体で表現していると、ライオットは思った。嫌なことを遠回りで意思表示するのは、セイレンの悪い癖だ。
「そうだな、この山頂にルイが住んでいるはずだ」
バルスが胸ポケットから地図を取り出し、進むべき道を確認した。
「ねぇ、その服。いかにも着せてもらったみたいで、ダサくない?」
セイレンの口が悪い時は、必ずと言っていいほどトラブルが起きる。火に油を注ぐ係、メルフがジェムのところに残ってくれて助かった。
「いくらリザードマンの身体ったって、裸のままってわけにもいかないでしょ」
バルスは北の国に入国すると真っ先に亜人が経営する防具店に飛び込んだ。胸ポケットが二つついているチェックシャツ、くるぶしまでしかない麻のパンツ、メラク牛を鞣して作った革のブーツを買った。
「それ、三又の槍、もらったんですか?」
ライオットが会話の嫌な流れを断ち切るつもりで、割って入った。
「そうなんだよ、ジェムは良いって言ってたけど、ゴード・スーが渋ってさぁ。だけど、ガルが飾ってても仕方ないし、って貸してくれた」
バルスは三又の槍を天にぐいっと突きさして高らかに言った。
「ちょ、ちょっと危ないからやめなよ。仮にも元勇者なんだし」
セイレンはバルスを諫めた。バルスが所在なさそうに槍を肩に担ぎなおした。ライオットが山頂までのルートを確認し、セイレンが全体魔法で自動回復を詠唱し始めた時、あたり一帯にふわっと嫌なにおいが漂った。
生者ともちがう、死者ともちがう、そのはざまでつなぎ留められた憎悪の念。ふっ、と周りを見渡すと、美しい絹のローブに身を包んだ女性たちがライオットたちを取り囲んでいた。
ローブの袖からちらりと見える腕はか細いが誰もがはちきれんばかりの麻袋を四、五個担いで下山してきた。ライオットがニオイの主だと気づいた瞬間、バルスが一人の女のもとに近づいた。
「お前たち、あれか?ルイのところの?」
絹のローブは着くたびれている感はあるものの光り輝く美しさだ。フードをファサッと外したリーダーと思しき女が言った。
「あら、バルスだ。バルスの魂のニオイがする」
ローブを外した女、肩にかかるていどの長さの金髪がどさどさと地面に落ちる。皮膚ははがれ、肉が落ち、頬の表情筋ははらはらとほぐされた鯨肉のように剥がれ落ちた。
「ちょ、ちょっとぉお。何これ」
セイレンが慌てる。この女に回復の雫を詠唱しようとしたが、バルスが制止した。
「馬鹿野郎、そんなことしたら死んじまうよ。こいつらはルイの手下だ。アンデッドどもだよ」
アンデッド、不死の生命というといかにも矛盾した表現だが、天と地の境界線に魂がしがみついている彼たち・彼女たちは、生きながらにして死に、死にながらにして生きている。その多くは、霊体として空中をさまようにすぎず、生者の魂を喰らって生きながらえている。霊体でも腹が減るのだ、と知った五歳の頃、ライオットは興奮して寝られなかった。このアンデッドの女を見て、ライオットは胸が高鳴った。いた、見つけた、本物を見るのは初めてだと。
セイレンは詠唱をやめて、一歩後ろに下がった。
「よぉ、ルイは元気にしてるか?」
バルスはチロチロと舌を出しながら、リーダー格の女に訊いた。女はフードをかぶりなおした。同時に金髪が急速に生え、落ちた頬の肉はあっという間に再生し、皮膚はつるっと美しく蘇った。
「いますとも。でも、バルスが。その、リザードマンとは」
女は笑いを堪えきれず、吹き出した。その声につられて、取り囲んでいた他の女たちも笑い出す。笑い声から発せられる音が共鳴し合う。
と、同時にセイレンが膝からがくっと崩れ落ちた。
「しまった、耳を塞がせればよかった」
バルスが倒れたセイレンを抱き起し、ライオットの方に目をやった。ライオットはグラブを外して耳の穴に隙間が産まれないようにして、その「声」を聴かないようにしていた。
アンデッドたちの声には特殊能力がある、幼い頃母から口酸っぱく聞かされてきたことが役に立った。「アンデッド見たら、火を消す前に耳塞げ」、やはり親の言うことは聞いておいたほうがいい、そう確信しなおした。
「なんだ、戦闘をご希望か?」
バルスの顔つきが変わった。
「いえいえ、そんなつもりは。私たちはここで、小麦を売りに下山してきただけでして。ほらあの店。私たちの店です。店の奥ではパンも焼いているんですよ」
女は自慢げに言った。ライオットはセイレンの頬をひっぱたきながら、目覚めを促す。眠りは深いまま、ピクリとも反応がない。
「バルスさん、セイレン、脈はあるんですが、その目覚めませんよ、これ。大丈夫なんでしょうか?」
「口うるさいのが寝てくれた方がいいが。なぁ、これ何時間でアウトなんだ?」
バルスは女に訊いた。
「十時間です。店に気付け薬はありませんで」
女は続けた。
「あ!この中に、僧侶がいれば、【覚醒】の詠唱で目覚めるはずです」
バルスとライオットはお互いの顔を見合わせた。そしてセイレンに向かって、指を指す。
「コイツが僧侶だよ」
バルスはうんざりした顔で、女に言った。
「あぁ、なんと皮肉な」
「皮肉って、お前たちのせいだろ。なんとかしろよ」
バルスが口悪く言った。ライオットがセイレンを抱きかかえながら
「あの、ルイさん。ルイ・ドゥマゲッティさんにここに来てもらうわけにはいかないですか?」と要求した。
「おい、ルイをここに呼ぶなんて、俺はまだ心の準備が」
「でも、このままセイレンを担いで山頂までなんて無理です。バルスさん肩に三又の槍乗せてるでしょ。右手も塞がってるし。ってことは、僕がセイレンを担いで山頂までってことじゃないですか」
「じゃぁ、お前が三又の槍を担いでくれよ」
バルスはライオットに言った。
「そんな重たい槍、セイレン担ぐ方がマシですよ!」
アンデッドの女たちがそのやり取りに笑いを堪えている。ちょうどバルスの死角にいた下っ端の女がププッと笑い声を漏らした。その声は伝播する。周囲をぐるりと取り囲むように、五人のアンデッドの女たちの笑い声が広がる。バルスが不意を突かれた形で、眠りに落ちた。リザードマンは聴覚が敏感なことが災いした。
ライオットはぐっと踏みとどまった。さっき手で耳を塞いだときに、万が一の時のために小石を耳に詰めておいたのだ。
「ちょ、ちょっとバルスさんも眠ってしまったじゃないですか?これ、戦闘の意思ありってことなんですか?」
ライオットがリーダーの女に詰め寄る。
「そ、そんなことはありませんが。私たちもバルスを見つけたら、殺せとはルイ様から言いつけられていますが。これは偶然」
「ちょ、ちょっと待って。じゃぁ、バルスさんを今から殺すってこと?」
「そうですね、バルスは死んだと聞いていたのですが。風の噂では、亜人となって復活したとも。ですから、このまま殺してしまうのが我々としても」
リーダーの女はそう言うと、ローブを脱ぎ去った。周りの残り四人のアンデッドの女たちもそれに追随する。髪は落ち、皮膚は剥がれ、肉は繊維質の束となって地面に返る。ライオットと眠るセイレン、バルスはアンデッド五体に囲まれている。ライオットはグローブを嵌め直し、メルディックの剣を鞘から抜いた。
一対五、ただでさえ弱者である自分が勝てるのか。二人を守りながらのアンデッド戦。霊体は魂に執着するがアンデッドは肉体そのものに執着する。失ったものを取り戻せるとでも思っているのか。グローブの内側に汗がしみ込む。中段の構えのまま剣先が震える。リーダーの女、いやリーダーのアンデッドを倒せば、あとは散り散りに逃げるか。アンデッドたちの目的はバルスと言いながらも、肉体への執着が強い分、ライオット自身とセイレンにも襲い掛かるのは間違いない。じりじりと間合いを詰められている。
右脚の親指に全神経を集中して、踏み込み強く一撃を与える、そう決心した時だった。
「そこまで」
取り囲んでいるアンデッドたちがすっと横一列に隊列を成した。声の主は、すぐそばの店、アンデッドたちが収穫した穀物販売店の前にいた。窯から取り出したばかりの焼きたてのパンを平べったい籐のカゴにこんもり積んで、近づいてくる。小麦とバターのいい匂いがアンデッドたちの臭気を消し去る。
アンデッドたちは投げ捨てた絹のローブを着直して、肉体を復活させていた。
「あなたは?」
ライオットが剣を構えたまま訊いた。その姿がマヌケに映ったのか、アンデッドたちから笑いがこぼれそうになった。
「静粛に、諸君」
その声の主はパンと香ばしい匂いとともに近づく。ボブの黒髪、すらりと美しく長い手足。牛の革をなめした露出の多い、ボンテージ。目のやり場に困る。アンデッドたちが膝をつき、目線を地面に遣る。
「ルイ様」
ルイ様?ルイ・ドゥマゲッティがパンを持ってやって来た。そのシュールで異様な光景に二人はいびきをかいて寝ている。
「キミは?」
「僕は、ライオット・ウェルといいます」
ふふっ、とルイは笑うと、その声でライオットは眠りに落ちた。